冒険家 ナサニエル 織田 信忠(おだ のぶただ) 弘治三(1557)年〜天正十(1582)年 六月二日没 尾張国織田氏一族で信長の長男。母親は生駒の方。 岐阜城主。 永禄十(1567)年 武田勝頼の正室・嶺松院殿が死去した為、松姫と婚約。 この時、松姫7歳・信忠11歳であった。 元亀三(1572)年 元服。以来、父・信長に従い転戦。 天正三(1575)年 長篠合戦の後、十八歳で家督を相続。 天正六(1578)年 松永秀久の反乱討伐でも武功を挙げ、秋田城介を叙任される。 天正十(1582)年 武田氏討伐。滝川一益らを率い、総大将としてこれを滅ぼす。 同年、本能寺の変に遭い、二条御所にて嫡男・秀信を前田玄以に預け、誠仁親王らを避難させた後に自刃した。 享年二十六歳。 | |
(239)2005/07/09 14:26:07 |
冒険家 ナサニエル ・・・コホン。 そう言えば父上。 忍びについて(>>63)で御座いまするが。 某、越後殿が「乱破」、甲斐殿が「草」、当家や三河殿が「御庭番」と呼称しておったように記憶しておりまする。 一説には、東国では「乱破」、西国では「透波」と称していた由。 更には、甲斐殿が「透波」、相模殿が「乱破」と呼称していたなど、諸説御座いますな。 誰ぞ正しき知識をご教授下され。 | |
(240)2005/07/09 14:32:47 |