自警団長 アーヴァイン
ふむ……まだ集まっていないようだな。 今のうちに、もう一度見回りに行ってくるとしよう。
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書生 ハーヴェイ ■1.この村は基本的にRP多めで進行予定ですが、アンケートや記号や人狼用語などの使用は推奨です。 ようはRP比率がかなり高いだけって事です。 ■2.突然死、駄目、絶対。 24時間コミットを想定している為、モチベーションがかなり下がる事が予想されます。 ■3.役職名(狼や占い師など)はそのままだと雰囲気が出ないので、プロローグの間に皆で考えましょう。3に寄れば文殊の知恵、3本の矢って奴です。 ■4.自分の使いたい武将(姫)のあらかたのプロフィールをお願いします。 あとは自分としては基本設定の上にこういう味付けでRPしたい、この人とはこう絡みたい、というのがあればそれもどしどしどうぞ。 | |
(7)2005/07/06 01:31:54 |
書生 ハーヴェイ 竹中半兵衛重治 一五四四年(天文十三)、竹中遠江守重元の嫡男として美濃国生まれる。後に、美濃三人衆の一人・安藤守就の女婿となる。斎藤龍興に仕えるが、龍興の人物に失望し、その行動を諌めるために、たったの十六人でその居城稲葉山城を乗っ取る。当時美濃への侵攻を考えていた織田信長は美濃半国と引き換えに稲葉山城を明け渡すように半兵衛にせまったが、半兵衛はこれを拒否。翌年には龍興に城を返し、自分は隠居してしまう。その後秀吉の執拗な勧誘に折れ、その与力となる。秀吉のもとでその力を遺憾無く発揮しその名を高めた。秀吉が中国征伐の主将を命ぜられると、これにも従軍。参謀となって大いに活躍するが、一五七九年(天正七)、播州三木城包囲攻めの最中に平山城の本陣において発病。秀吉の勧めで京都へ療養に赴いたが、回復の望み無しと悟り、「陣中に没する事こそ武士の本懐」と言って戦場に戻り、望み通り平山の陣中で没した。三十五歳。 | |
(15)2005/07/06 12:26:22 |
村長の娘 シャーロット 松姫(1561〜1616) 武田信玄の6女(5女とも) 母親は甲州一の美人と称された油川夫人。 幼い頃織田家と武田家の同盟の為、織田家の嫡男信忠と婚約する。 典型的な政略結婚ではあったが、積極的に手紙をやりとりするなど二人の関係は良好だった。 しかし輿入れ前に織田と武田の関係が悪化し、婚約は白紙となる。 それから10年後、よりによって信忠の手で武田家は滅亡する事となる。 松姫は脱出し、いったん八王子に腰を落ち着けるが、信忠から改めて松姫を娶りたいという内容の文が届く。 喜び駆けつけようとする松姫であったが、信忠は本能寺の変によって自刃してしまう。 その後松姫は仏門に入り、信松尼と名乗る。 一緒に落ち延びた姪達を育て、56歳で死去。 | |
(22)2005/07/06 14:16:23 |
村長の娘 シャーロット >>29 いらっしゃらなかったら、その時は…史実通り尼になるだけです。 家康の武田ブランド好きも手伝ってか、それはそれで結構順調な晩年をすごせるんですよ。 あ、確かにそのお顔の信忠様にはドキッとしそうです… …い、いっそ村長で入りなお…いえ、冗談です。 | |
(30)2005/07/06 14:44:07 |
村長の娘 シャーロット >>31 信長様ったら、面食いですのねw そういえば帰蝶様は、確かご生母が明智家の方でしたね。 村長&ナサは髪の色が同じだから親子っぽいという私の浅慮でした。 でも、若くて美形なら、私は信忠様がどんなお顔でも…(ぽっ) | |
(32)2005/07/06 15:13:58 |
隠者 モーガン 斎藤 道三(さいとう どうさん、明応3年(1494年)? - 弘治2年4月20日(1556年5月28日) 戦国の三梟雄(他に北条早雲、松永久秀)の一人に数えられる。その生涯については歴史的資料が乏しく不明な点が多いとされるが、もとは京都で油売りをしており、松波、西村という苗字を名乗っていたという。のちに美濃に行って守護の土岐氏やその重臣の諸家に仕えたとされ、土岐氏の重臣である長井家の後継となり、「長井規秀」と称した。1538年(天文7)には後継が空白となっていた美濃の守護代斎藤氏を継ぎ「斎藤秀龍」と名乗る。1542年(天文11)に守護の土岐頼芸を追って美濃国を平定し稲葉山城に拠った。しばしば尾張国(愛知県)の織田信秀と争ったが、後に娘の濃姫(帰蝶姫)を信秀の嫡子織田信長に嫁がせて和睦した。その後、家督を子の斎藤義龍に譲って隠居し、剃髪して道三と号した。1556年に後に義龍と不和になって長良川で殺された。信長の援兵が到着する前に討ち取られていたとされる。 | |
(41)2005/07/06 19:33:40 |
美術商 ヒューバート 織田 信長(おだ のぶなが) 戦国時代の武将。 尾張の戦国大名である織田信秀の嫡子として生まれ、長じて同母弟の信行との家督争い、周辺の今川氏や斎藤氏との戦いに勝利し、足利義昭を擁しての上洛を果たす。その後、義昭により武田氏、朝倉氏、延暦寺、石山本願寺などから成る反信長包囲網が結成されるもこれを破り、以後は天下布武を進め、楽市楽座、検地などの政策を取るが、本能寺の変で家臣の明智光秀に襲われ自害した。 既存の権威や勢力の否定、門地によらない人材登用、新兵器の活用などを通して、戦国時代を終結に導いたが、延暦寺焼き討ちなどの苛烈な政策は恐れられ、魔王(第六天魔王)とも呼ばれた。 | |
(54)2005/07/06 19:45:45 |
美術商 ヒューバート >>56 うむ。シンクロ率100%でこちらも笑ったぞ<髭 きっとこれはアレだ。この村が髭を求めて居るのだ。 アーノルドで信玄 ケネスで蜂須賀小六あたりカモン。 ※あくまで個人的な希望なので、入られる方はご自由にどうぞ | |
(59)2005/07/06 19:50:46 |
村長の娘 シャーロット >>57 信長様は何となく途中で消えそうでしたので、今開いているのとは別の巻物を開いてたのです。 お役に立ててよかった… (信長様からお褒め頂けた……松の未来は順風満帆のようです) あ、そうですね。 守護者合いそうです。 影に要人を守る… | |
(60)2005/07/06 19:52:53 |
美術商 ヒューバート >>60 忍者は普通“乱波”と呼ばれ、特定の主には仕えずに、その都度依頼主との契約で働くのが習わしであった。 とぐぐる先生に聞いたら出てきたな。 というわけで 守護者:乱波 ではどうだろう。 ちと分かりにくいのが難だが。 | |
(63)2005/07/06 19:59:48 |