農夫 グレン まぶしい春の日差しの降り注ぐ昼下がり、グレンは酒場を訪れた。 軽く軋みを立てる扉を開く。 人影もなく静まり返った酒場。 ――ついこの間まで賑やかな声が聞こえていたというのに。 騒ぎの収まった翌朝、メイは姿を消していた。 鼻歌交じりに酒を注ぐローズマリーの姿も、気持ちの良いほどの飲みっ振りでグラスを空けるキャロルの姿も。 本を読みふけり、顔を合わすと議論に興じていたハーヴェイとラッセルも。 危なっかしげだが一生懸命なニーナの声と物音も。 リックとウェンディ。微笑ましい双子たちも。 毎日決まった時間に訪れるアーヴァインも。 いつもの席でうたた寝をしているデボラの姿もなく。 今は静かに。 ――そう、とても静かに。 静寂だけが彼を迎えるだけだった。 | |
(170)2005/04/06 20:38:14 |
農夫 グレン 外から入ってきた彼の目が酒場の中の明るさに慣れてくると、そこには目を引かれるものがあった。 部屋の真ん中にある、大き目の円卓。 その上には、いくつものグラスが並べられていた。それぞれに酒が注がれ、萎れかけた花が添えられている。 そして、飲み干されたグラスがひとつだけ。 ……きっと、あの男なりの手向けなのだろう。 目を閉じる。 去来するいくつもの思い。 とても長い時を。 ほんの少しでしかないはずの、とても長い時をそうして過ごして。 ため息と共に目を開ける。 ――もう、二度と戻る事のない日々を胸にしまい込んで。 彼はゆっくりと扉を閉め、酒場を後にした。 | |
(171)2005/04/06 20:39:01 |
農夫 グレン ぽっかりと穴のあいたような胸を、柔らかな日差しと、優しい風が撫でて行く。 騒ぎで滞っていた種まきは昨日ようやく終えることが出来た。この陽気なら、今年はきっと豊作に恵まれるだろう。物心付いた時から、土を耕し空を眺めていた彼にはそれが判った。 そして、今までそうしてきたように、これからもこの村で土を耕し暮らしていくのだろう…… ……やがて、時は巡り。 今、天に召される床にある彼の胸に置かれた手には、あのペンダントが握られている。 静かに。 ――そう、とても静かに。 今、彼の生涯はその終わりを迎えようとしていた。 あの頃のままの想いと。 忘れえぬ面影を胸に抱いて。 | |
(173)2005/04/06 20:40:10 |