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あら? 此れは――何、かしら。
[さつきは床に落ちた紙片を拾い上げる。長方形の紙片と見えた物は、二人の男女を撮った写真であった。天然色の色合いは、まるで昨日撮ったかの様に鮮明で――女性の容姿を見定めたさつきは、息を呑んだ]
此れは――私? 一体、何うして――
この写真は……上、海?
[もう一方の人物――さつきに瓜二つの女性の肩を抱いた男性――を見定めるのが恐ろしく、慌てたように写真の裏を返した]
「媚児と十三 上海にて 昭和十■年」
えっ……な、ぜ……?
媚児……
[私は狼狽した。]
う、嘘だ!
しかし……
[私はさつきと写真の女性を何度も交互に見比べる。]
ああ……
…だが、似ている……
これは一体――
[写真に写った男性は若々しく、いっても未だ三十台の後半くらいであろうと思われた。全体の造作は彫り深く、瞳には精気が満ちていた。そして何よりも特徴的なのは――]
鼻すじの形――。
叔父様の、鷲鼻にそっくりだわ――。
枚坂先生、どうかよくご覧になって下さい……。
私だけでは、此れが真か嘘か、判じかねるのです……。
[枚坂へと写真を差し出し、便箋の文面に目を走らせた]
私は、南京中央病院に置かれた栄1644部隊の本部に保管された資料で、上海で起きた事件の関係者の写真を検分したことがあるんだ。
彼女は、そこで見た最重要人物の一人だ。
だが、なぜ君がこんな写真を――
[実業家の父らしい、読み易く几帳面な文字で綴られた内容は同封の写真に写っていた女性がさつきの母であることを裏付けるものであった。上海に居た戦前の当時、とある酒家で働いていた娘だったのだと、長彦の文章は語っていた。
そして其の娘と懇ろになり、生まれた赤子を長彦に預けたのが今からおよそ十六年の昔であった、という――]
ここに写っているのは天賀谷…十三さん――
そして隣の女性は君に瓜二つ……。
……十三さんは君の叔父ではなかったのか?
[私はその意味を推察し、唇を噛んだ。]
[文面を読み上げるさつきの声は次第にわななき、掠れ始めていた。全身を熱病のような震えと、其れに反比例するような寒気が襲うのをさつきは感じていた]
「――十三君。君が真に、さつきの父で有る事を明かそうと云う心算を持っているのならば、此れまでの十六年間の君の歩み、其の間に思い考えていた事柄の一切を、包み無くさつきに話して遣るべきであろう。そして其の上で、さつきの判断に全てを任せるのが筋である。其れが、今現在まで父親としてさつきを育ててきた兄よりの、心からの願いである。どうか、嘗て君の愛した女性に愧じる事無き振る舞いを、さつきに対してもしてやって呉れ給うよう。
長彦 」
ああ……。
[私は思わず呻いた。
本来なら穏やかで情の通うものであるべき父子の対面が、あのようなかたちに終わってしまったのだ。
ましてや、当事者の十三は真実を語ることも、また娘への情愛を表すこともなく逝ってしまったのである。]
[さつきは幾度も首を振る。身に感じた衝撃の大きさを示すように、便箋がはらりと床に落ちた]
……わたし……叔父様、が……父、だ……なんて……
……そんな、うそ……信じられ、ません……
[瞳は揺れ惑い、すがるように枚坂を見つめた]
さつき君、大丈夫か。
いや――
見なかったことにして仕舞うのがいいよ。
君にとって、大事なのは育ててくれた方の父君であろうから……。
[私は彼女に慰めの言葉のかけようもなかったが、せめて思うままを口にした。]
――三階/廊下――
[枚坂の言葉は温かく、優しく心の中へ染み入ってくるように感じられた。どこか危なげではあったものの、さつきはこくりと頷いた]
はい……。
私は……お父様……嗚呼、でも。
血の繋がった、父は……
『殺されたのだわ』
『屍鬼に殺された――
其れも、あんなにも無残な姿で――』
さつき君……
[戸惑いながら、その肩に手を置いた。]
私が云うのも可笑しな話だが、亡くなった人のことは忘れてしまうんだ。
気にしないことだ。
[自分自身の言葉がどれだけ空疎に響いたことだろう。
ここでこうしている間も、碧子の遺骸や天賀谷の遺骸、藤峰君の亡骸、そして――
亡者のことが頭の一隅から決して離れないこの私が。]
枚坂先生……。
[目を閉じた儘、さつきは首を振った。まなうらに映るのは鮮血を勢いよく噴き上げ、どろどろと臓物を吐き出す十三の非業の最期であった。ぶるっと頭を振って瞼を開くと、落ち着いた枚坂の姿があった]
先生……私には……まだ、其の様には……。
けれど……ええ、大丈夫です。
大丈夫……。
[横手からそっと腰を支える小さな掌。杏のものであった]
私には、杏が付いて呉れていますから。
それよりも、枚坂先生。
雲井さんを何うにかしなければ――あの様子は、屍鬼に魅入られてしまっているのやも――この儘では、屍鬼、と。
[大河原の名を口に出す事は出来なかった。
心中に赫っと熾った焔が、さつきの意識から其の名を焼き尽くし、灰燼に帰さしめた。杏に寄りかかるようにしながらも、さつきの瞳は異様なまでの光を*帯びていった*]
時間がかかるかもしれないが……
だが、無理はしないようにね。
[さつきの隣には杏の姿があった。「大丈夫」というさつきの言葉にほっとしたように肯く。
こうした酸鼻を極める場所であっても、己を見失った様子なく平常であるように見受けられるのは、年近い知己が寄り添うように居るからだろうと納得しながら。]
雲井さんか――
[藤峰青年には躊躇うことなく刀を打ち下ろした様子を思い出す。碧子と長く一緒に居させるわけにはいかなかった。
時間を経れば手遅れになってしまうかもしれない。]
たしかに、あのままにしてはおけない……。
[私は、雲井の背中を追って*歩み出した*。]
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