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霧のような雨の中、予は、小さな少女――彼女はウェンディと呼ばれていただろうか――の家の上を過ぎゆき、遠い木立の向こうへと飛翔していた。
茅葺き屋根の石造りの家の敷地から、くぐもった唸りが聞こえてきた。それはどうやら、澱んだ喚き声だった。
――――――
「おばさん、た、た、たぁすぅけてぇ……。」
穴の中で藻掻きながら、ミッキーは縋るように、見下ろす女に助けを求め続けていた。目の前の女が、かつて自分が怪我をさせた相手だという類のことは、都合良く忘れられる性分だった。
冷ややかな眼差しに、彼の胸の中で怒りが燻り始める。
「ま、魔女の親は魔女なのかよぉ!」
――魔女。
セシリアはかつて、自分の心を無惨に引き裂いたのだ。
「ミッキーって……カナブンみたいな臭いがする」
セシリアはそう言って、近寄った自分から一歩下がったのだった。鼻の上に一瞬だが皺をよせて。
ミッキーの仄かな恋情はそれで、砂の楼閣が波に洗われるようにあっけなく瓦解した。
或いはそれはただ、カナブンを飼っているかと聞かれただけだったのかもしれない。
己を恥じるところの多かった彼は、そうした言葉を善意的に取り難い性質だった。
それは三年ほど前のことであり、セシリアに狼が憑くより以前の出来事だった。
“人狼”の、人を喰い成り代わる性質が原罪であるならば、与り知らぬところで累卵の危険を得てしまうことはその代償であるのかもしれなかった。
雨が上がった頃、息子の姿が見られないと大騒ぎしだした粉屋の女将が、アーチボルド家に血相を変えて駆けつけることになる。
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雨がやんだ檻の周囲は興奮した人々に囲繞され、ごったがえしていた。
その中に、それまでの操行とは打って変わった勤勉さで日参していたミッキーの姿が見あたらないことに、クインジーは気づいていた。
クインジーはふと、ミッキーに感じる感情は一種同族嫌悪に近いのであろうか、と感じた。
教会の彌撒に訪れる人々の中で、いつもいち早くセシリアの姿が目に入った。彼女は慥かに一際目立つ少女だった。
玲瓏な白蝋の如き肌に淡紅の花片。繊細な輪郭を、柔らかく不揃いな髪が縁取っている。すっきりと尖った顎。
衣服は常に清潔に保たれ、白いリネンの布地は月明かりのように微光を帯びていた。
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[彼女には複数の噂が有った。]
[13番目の夜に予言を聞いた。]
[聖女]
[次々に変わった婚約者3人][聖職者]
[騎士団の全員と関係があった][淫婦][魔女]
[予言だけではなく天地異変を引き起こす][悪魔憑き]
[XIII]
[記録には、彼女は新月の夜に生き血を飲み、満月の夜に食人を行った。身体には人ならざる再生能力があったと言う──。]
端正な相貌に怜悧な眼差し。
その周囲では時が銀砂となって零れ、噪音は薄氷となって凝った。
クインジーはその浄妙な麗しさの中に、哀しみのような胸苦しさを感じるのだった。それは硬質であるが故に砕けやすく、いつか喪われゆくことを運命づけられた存在のように思えた。
氷雪に閉ざされた湖の底に、美の欠片が音もなく折り重なってゆく――
―檻―
[そのように感じていたセシリアがネリーの肉を引き裂き、鮮血に手も面も染めながらむしゃぶりつく様は、現実から乖離した出来事のようだった。
優美な曲線を描く繊細な顎の輪郭からは、到底大きな肉の咀嚼に耐えるようには思えなかった。]
『人狼――』
[接することができたのは僅かな間だったが、純朴なネリーに好意を感じていただけにそのあまりに無惨な最後を見届けるのは耐えがたいことだった。
檻に投げ込まれた時には既に変わり果てた姿だったが――
クインジーは、村人の澱み溜まった鬱憤はそうした弱く貶めやすい者へ容易に叩きつけられるのだと改めて実感していた。]
[男が彼女を抱きかかえる様にして、押さえている。
拘束された両腕を必死で引寄せ、交差させ、泣き濡れたその瞳の内側の表情を、目の前の男に見えない様に隠そうとする彼女。
男の肝臓を潰す位置を蹴り上げようとして、中空で制止してしまった右脚。つま先の震え。]
[その光景は、傍目には激しい尋問風景に見えていただろう。]
[また実際にその様な行為が行われていたにも関わらず。
けれども皮肉な事に──彼女を汚辱の底に突き落とした拷問行為の反復が、被虐のスティグマを確認する行為が、今、二人の精神をふかくかたく結びつける役割を果たしていた。]
──檻──
[ネリーの人生が終った瞬間は、実にあっけなかった。
クインジーがセシリアの鎖を繋ぎ替える間に、どうにか意識を取り戻し、14歳にしても痩せ過ぎの棒の様な足で、檻の端に後じさったものの──。
田舎訛りの酷い声で、制止の声をあげる事も出来ず。
ヒュゥと言う音と共にセシリアに喉笛を噛み切られ、恐怖に目を見開いたまま、檻の床の──ネリー自身が怯えながら取り替えたあの藁の上に倒れた。
歓声と共に藁が真紅に染まり──*暗転*。]
[其れは、果たして「ネリー」か否か――
闇の片隅で、黒き影が揺れている。
咆哮、断末魔、或いは嘆きの声か――
黒き影からは、もはや人間か獣かすら区別のつかぬ声が、発せられていた――]
[――ところで。
この場所は、天国か、地獄か。
天国に、黒き影と成りし野獣は居るか?
地獄に、罪無き者の嘆きの声は響くか?
では――ここは、何処なのだろうか。]
[―――ギョロリ。
野獣の目が、大きく開く。
目の前には、銀色の鎖と枷で拘束された少女の姿。
そして――ただの肉と骨と化した、己の身体。]
―聖銀の、檻の前にて―
―アーチボルト家―
[ジェーンは、セシリアが大切にしていた本を手にし、中身を開く事なく眺めていた。もう一冊は手記――。開かれる事なく、傍らの机の上に置かれている。]
[かつての日々――何かが奪われていく事があったとしても、それに怯える事があったとしても、それでも――穏やかだった日々。
遠い過去となってしまったソレらに、
想いを馳せている。]
―檻の前―
[檻の扉には鍵がかかっているので、助けたくても助けることができない。]
(このままでは、先程の二の舞を踏んでしまうのか…!?いいや…そんなことは、もうごめんだ!!)
[カミーラはふと、檻の周辺を見渡す。鍵でも探しているのだろうか。だが鍵は、見つからない。]
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