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[さつきが何度か頷く様子を見て、
翠は表情を少し和らげた。]
……よかった。
さつき様、立てますか……?
[此処に長居していては、さつきが辛いだろう。
そう思って翠は尋ねた。
首を落とす、
出来ることがある。
様々な言葉が血塗れの部屋に響いた]
……枚坂さま、
出来ることとは……なんでしょう?
[臓物の欠片が未だ残っている。
変わり果てた、敬愛する主人の姿。
何とかできるのだろうか。
そんな思いも込めて。]
[望月の言葉を聞いた仁科の中に、1つの単語が浮かぶ。
「──…屍鬼」
──…そうだ。屍鬼が、十三を殺したのだ。
あの闇に浮かんだ憤怒の白い貌こそが、屍鬼なのだ。]
[仁科に頷き、なだめるようにその髪に触れようとする]
誰もおまえさんがたが殺したなんて言っちゃいない。こりゃあ、人間に出来る業じゃねえよ……。
『ああ、受け入れねばならないのか。ここに屍鬼が居ることを』
藤峰君。
確かに人は死ぬ。
だが、人を本当の死に至らしめるのは、その死を見届ける者の意志なんだよ……。
[私は独り言のように呟いた。]
ああ、
落ち着かなければならない。
私は此の家の使用人なのだから。
御客様を。
御客様を。
不安にさせて は
お 願い。
助けて。
旦那様。
旦那様。
どうして。
こんな。
[扉枠に手を添えて、さつきは何とか立ち上がった。十三の身体が寝台に横たわっているのを見て、枚坂に頭を下げる]
枚坂先生、すみませんがどうか宜しくお願いします。せめて人らしい形には――。
[無惨な姿からは目を反らしつつ、どうにかそう云った]
月が沈まないの。
太陽が昇らないの。
鬼が、来るの。
ねえ。
旦那様の声が聞こえるの。
お願い、死が来るよ。
呼んでいる。
あの水の底から。
私は、
死を視る者。
旦那様の
美術品
それでよかった
のに
どうして。
―――……っ
[枚坂が引き上げると、天賀谷の胴体から臓物が零れ落ちる。
…もうソレが天賀谷だからと言うより、直視し続けるには胃から内容物をこみあげさせる生々しさの過ぎる遺体を見ずに済むよう、体ごと顔を逸らす]
…取り返しがつかない?
[代わりに、枚坂の言葉をくり返す仁科を見る]
首を切り落とすって……!
[――続いた仁科の言葉に、ハッとする。
ああそうか。…そうだったのか]
屍鬼になってまうことこそが、”取り返しがつかない”と……
[...は仁科の言葉でやっと枚坂が言わんとしていたことが分かり、息を詰めて細めた目で遺体を見る]
首を切らねばならない……のか?
俺には旦那様がむしろ屍鬼を、待ち望まれておられたのだと昨夜の発言では思えてしまった…。
このままでは屍鬼になるのだとして、旦那様にとってそれはむしろ、喜びであるんじゃあ…
[血に染まる部屋から外へと一歩下がり、そこで漸く気付いた様に、さつきは望月へと声を掛ける]
そのままでは、いけない――?
[何か不吉な気配を感じとったかの様に、オウム返しに口に上せた]
[人肌の感触の所為か、異様な事態が浸透してきた所為か。先刻よりは、真っ暗に思えた視界が広く成って来た様に思う。
翠が目に入り、彼女が天賀谷の死を悼んでいる事が分かり、少しだけ安堵を覚えた。]
…望月様、枚坂様。
旦那様は何処へ行けるんで…──。
[囁き声が染み込む。其の声が優しく*更に頬を濡らす水量が増えて行くのだった*。]
翠さん。
私が医師としていままで取り組んできた主要なテーマは人の生き死にの境界のことだった。
一度失われた命はもう戻らないと思われている。
だが、可能性はある。
時間が経てば、その可能性は損なわれていくばかりだがね。
天賀谷さんの死を受け入れるなら、見えないように棺に入れしっかり蓋を閉め、焼き尽くしてしまうことだよ。
土に埋めてはいけない。
土に埋めては――
[私はおぼつかない足取りで扉の方へと向かう。
その背中に、さつきの声が届く。]
いいんだね?
では、せめてそのように――
[――未練が残る、と微かな呟きは扉の向こうに*かき消えた*。]
[仁科の視界を完全に天賀谷の血液が覆うと、真紅の闇は暗黒へと転じた。…何も見えない。噎せ返る様な匂いだけが血塗れである事を示す。
何処とも知れぬ此の世界の中で視界が完全に閉ざされた変わりに、現実世界での仁科の視界は明るくなったのだった。]
……逝ききらんのは、不幸せなことだ。
それに、残されたものが嘆いていいのか望めばいいのか、判らずにいるのも不幸せだ。
[望月には、この場に自分が居合わせたことが運命と思われてならなかった]
どうか俺に、その人の首を落とさせてくれ。
死んでしまったと、もう認識されていたのなら…
[天賀谷の躰を寝台に横たえさせた後、その脇に座り込み呟く枚坂を見ると]
先生は先ほどから、何をしようとされていたんですか…?
……亡くなった…旦那様…に……、それ以上何をしようと?
[その答を意味するのかもしれない言葉が、枚坂の口から独り言のように届き]
”人を本当の死に至らしめるのは、その死を見届ける者の意志”……。
[――意志?
…しかし、自分に何ができるだろう?
...は枚坂の言葉をくり返した後は、口を噤んで首を横に振る]
境界……。
[繰り返す、朧の様な声。
藤峰の声ももう遠い。
天賀谷はもう居ない。
首を落として。
燃やして。
灰になって。
居ない、
居ない、
居ない。]
―――……首を。
お願い。
望月様……旦那様を、
眠らせて……あげて。
[それは、きっと翠自身の願いだったのだろう。
自分の泪に気付いたのか
それを拭い、*無理矢理に堰き止めようとした。*]
[幾人もの言葉がさつきの耳に届く]
「――むしろ、喜びであるんじゃあ……」
「――土に埋めてはいけない」
「――何処へ行けるんで…」
「――その人の首を落とさせてくれ」
[呪つ言葉にも思える其れは意識の中で渾然と混じりあい、どれが誰の言った言葉かもあやふやな様相を呈し始めて居るかに、さつきには感じられた]
[低く歌うように逝けないと呟く望月にも、怪訝な表情を向け]
このままでは旦那様は逝けないと?
…それでは、どうなさるおつもりですか?
[「…──屍鬼が旦那様を」
仁科の声は余りに衝撃大きく万次郎の耳に届く。
そうだ。
たとえ天賀谷が大病に冒されていたとして、このような死に方を病が人にもたらすだろうか?]
旦那様は屍鬼を待ち望んでいたとしても、その屍鬼が旦那様を殺したのだとしたら、それは…
何と言う罪だろう……!
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