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【メール】
【日誌】の誤記について
いろいろ、というかまあ。一悶着あったわけだし。
(いろいろ一悶着ってのもアレな書き方だね。)
[昨日と同じ、所内放送に顔を上げた。
PCの明りだけがわずかに明暗を教える室内。
携帯の時計に目をやり、眠っていた時間がそれほど長くない事を確認する]
ええと、ソフィーの声、だった?
[前半は聞き取れなかった放送に、少しだけ不安になったが、メールが届いていないのならそう重要な用件でもないだろうと片付ける。
薄暗い工房を、明りをつけないまま歩き、廊下へ出た]
【メール】
あれはねぇ……。
でも彼女は、そういう理由では課題を提出しないなんてことは、しないと思う。
今のところ、ネリーかキャロルで考えてる。
ネリーを脱落させると、コーネリアスが心配っていうのもあるわ。
中/
ネリーさんの中の人が、提出できそうな感じだったんで待ってるんですけど、回線が不調っぽいかなあ。
もうちょい悩んでおきます。
日付変わる頃までは引き伸ばしても大丈夫かな、とか。
みんな宵っ張りだし(苦笑
投票を委任します。
踊り子 キャロルは、新米記者 ソフィー に投票を委任しました。
――数時間前・自室――
[私の指がキーボードの上を舞い踊る。
次第に速度を上げ、瞬く間に幾つもの単語が羅列されていった。
目を留めて再構成することはない。
ただ思考と記憶、直観が導くままに、言葉を紡ぎはじめた]
――自室――
[端末に向かい、私は目を閉じた。
時間は既に提出期限を過ぎていた。
書き上げた文書を送信する事の意味と意義――届き得ない言葉に、価値はあるのだろうか。]
“彼ら”には分からないだろう。
けれど――それでも。私はここに遺していこう。
誰に伝わるかは、分からなくても。
Subject:最終選抜1st
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【世界とは、フィクションである。】
Nelly Hope
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人間は、感覚器官を通した脳内の信号でしか世界を捉えられない。
視覚は380から770nmの波長の光まで。
聴覚は約20から20000Hzまで。
嗅覚は嗅覚細胞が約2000万から5000万個。
味覚を司る味蕾は約8000個。
指先の感覚点は1平方cmあたり、
触覚で9から30、冷点は7から9、温点で2、痛点で60から200。
そこから伝えられる電気信号や物質を、
大脳皮質の140億と小脳の1000億個の細胞で処理・変換することでしか、世界と関われない。
その矮小な感覚器官と思考の幻想を、人は現実―-あるいは世界――と呼んでいるだけなのだ。
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『はじめに言があった』という言葉が示す通り、世界を構成するのは名づけられた事物である。
名前を呼びえない存在とは世界の外にある存在であり、それは神の名が神聖なものとされて言及することを禁じた、はるか古代の人間から受け継がれてきた認識だと云えよう。
そして、ある呼称がその対象物を指し示すという枠組みそれ自体がフィクションだという理解は、記号論という形で広く知られたものだ。
ある単語、例えば『猫』が生物としてのネコそのものと同一ではないように、私たちが周囲の環境を認識するときの言葉もまた、恣意的に定められたものなのだ。
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対象物とその呼称との恣意的な関係性は同時に、あらゆる人々の世界認識が同一であるという楽観的な可能性を打ち砕く。
“わたし”が『山』と呼んでいるものは、
ある人にとっては『悪夢』かもしれないし、
またある人にとっては『人生』かもしれない。
自らの世界を構成し認識する行為が、あくまで主観のうちにおいて為されるものである以上、その違いや齟齬を糾弾することは地球上の誰にも不可能なことだろう。
それが可能な者が居るとしたら、【世界】の外にある存在――すなわち、“神”と言い表す他ない存在ではないだろうか。
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話を戻そう。
つまり【世界】は、それを認識する者と同じ数だけ存在するということだ。私の世界と、あなたの世界。似ているように思えたとしても、決定的にその二つは異なっている。
経験や知識、社会的・身体的要素という要素は表層でしかない。
言葉と言葉、個人と個人の間にある断絶と齟齬。
それこそが“わたし”と“あなた”の世界を決定的に区分する。
決して乗り越えられない高い壁。
決して飛び越えられない深い溝。
私たちが理解し認識していると思っているこの世界は、極言すれば虚構の中にある『独り遊びの罠("Solitaire Trap")』にすぎないのだ。
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さて、しかしこの認識を是とする意見は多数派とは云えないだろう。
他人との会話や深い情緒的交流を通じて、その【世界】を理解した、と主張する立場は私も存在を認めるところではある。
だが、それらは結局のところ自己満足と自己欺瞞に満ちた迷妄だと断じざるを得ない。
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仮にある瞬間、ある人物が感じ・考えている事柄、その全てを理解できるとしよう。だがそれでも、次の瞬間には相手の思惟は別の地点へ進んでいるのだ。
誤差を埋めようと理解に努め続けるならば、やがて自分自身の世界をゼロにし、相手の世界に同一化するという状態しか訪れない。
一方で、ある程度のレヴェルを基準として相手への理解をとどめておくならば、その以後は互いの世界をときおり持ち寄って差異を修正するといった形式をとるだろう。
しかし、ではその基準を定めるのは一体何なのか?
完全な相互理解など成立し得ない以上、結局は主観的な基準、とならざるを得ないだろう。そしてその範囲内で他者への理解をとどめるという立場は、むしろ本来の目的に逆行し、自己にとって都合の良い虚像を作り上げるものでしかないのだ。
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(「この人の青は私にとっての赤かもしれない」
っていう思想かなぁ…。時々捕われるよね…。
ネリーの中の人頭いいな…)
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このように見てきた結果、人は他人とわかりあえる、という希望に満ちた幻想は潰え去った。個人が自らの内部に構成する【世界】とは、相互に共通の理解を行なうことが到底不可能なものなのだ。
精神と精神の間に横たわる暗く広い深淵を乗り越えるすべを、私は見出すことが出来ない。もし仮に、そのような出来事が真に存在するとしたら、それは私にとっての“奇跡”だと感じられるだろう。
だが、その“希望”はもはや私にとっての重荷でしかない。
世界が私を愛していないように、私も世界を愛していないのだ。
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以上をもって本論考を終える。
願わくば、いつかどこかでだれかにこの言葉が届かんことを。
Nelly Hope
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