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仮にある瞬間、ある人物が感じ・考えている事柄、その全てを理解できるとしよう。だがそれでも、次の瞬間には相手の思惟は別の地点へ進んでいるのだ。
誤差を埋めようと理解に努め続けるならば、やがて自分自身の世界をゼロにし、相手の世界に同一化するという状態しか訪れない。
一方で、ある程度のレヴェルを基準として相手への理解をとどめておくならば、その以後は互いの世界をときおり持ち寄って差異を修正するといった形式をとるだろう。
しかし、ではその基準を定めるのは一体何なのか?
完全な相互理解など成立し得ない以上、結局は主観的な基準、とならざるを得ないだろう。そしてその範囲内で他者への理解をとどめるという立場は、むしろ本来の目的に逆行し、自己にとって都合の良い虚像を作り上げるものでしかないのだ。
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