『適当』について。例えば次のような考察。(仮の)フレディは対抗について全く触れてなく、灰に目を向けてるのが真に見える。これ感想だろ。灰に目を向ける狼だっているだろ。そういう話。狼ならばこう、という行動などあるはずがない。人が違うんだからな。『疑い方』には論理性を伴わなければむなしいだけだよな。もちろんそれが間違いかもしれんが、間違われた方は、『そういう風に取られることもあるのか、次からの考察はちょっと変えてみよう』そういうのが全体の考察力の改善だと思うんだよな。