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[水音上げて泉の淵。
浴衣取ろうとした手が止まる]
…やれ、それは言うな。
鶏の如くに忘れやれ。
本気の鬼真似か。
其方が言うなれば真に恐ろしく聞こえるわ。
[ぱしゃり鳴る水、浴衣引き]
嗚呼全く。
この世は総て面倒と難儀で出来ておるわ。
[濃茶に変わった浴衣纏い、張り付くそれに息吐いて]
…やれ、着難い。
[愁いに沈んだその眼、何とはなしに林に向けて]
[ハッと、微かな驚きに目見開く。]
桜……
[上つ方より眺むれば、うららかな照日に向かいて伸びた枝に、]
[咲き初めた桜花、ほろほろと。]
[よくよく見れば、参道に並び生いたる桜にも]
[はや霞んだ薄紅。]
……は。はは、は。
[冷たく固い面が緩み、奇妙に歪んで泣き笑い……]
[泣いた痕は見苦しくて][小さな粒へと型を成し]
ああ、そうじゃ。寂しいがゆえに泣く。
永い間、ヒトとは関わらずに生きてきた。
妾はヒトの魂を喰ろうていたのじゃ――関わらばまた寂しくなる。
妖しならば喰うこともない――ゆえに戯れに刻を過ごし始めたが
――失うくらいならば関わらなければ良かったと思うた。
関わらなければ、迷うことなく殺せたものを。
[ゆるり][首振り][涙の粒をおとしきる]
――汝れが去んでも妾は泣くだろう。汝れがヒトでも妖しでも。
見るを選ぶならば――待っておる。
妾には筆と墨を貸されても、絵心がないでどうしようもない。
――何かが見たくなったら、描いてもろても良いじゃろうか。
[儚い笑みは][背を向け合った藍には見えず]
鶏より悪いと謂った事も忘れてたヨゥ。
何が怖いもンかネェ。
胸焦がし死合うはァ楽しいヨゥ。
混じりもンなンざァ何も無くてただ純粋に刹那に遊ぶのさァ。
[潤む隻眼の碧] [眼窟の闇] [眺める琥珀] [浴衣張り付かせ]
何処に居て何を為すも難儀で面倒な兄さんは如何するンかえ?
開那の兄さん求むるは何処に在るンかネェ。
いっそ乾くまで脱いでりゃ好いのにさァ。
この陽気ならそうかからず乾くだろうヨゥ。
もう後二三日もすれば、この神域の桜も皆咲き揃おう……
さくらいろの花霞に覆われよう。
春が。
春が来た。
彼の男と交わした契りの刻が。
[眼より滴は落ちねど、涙に潤んで、]
[つかの間の夢居に立ち戻る黒い眸。]
[木の上腰掛け山を見る。
空気をたゆたう春霞、櫻の花が綻んだ]
さくら、さくら、
霞か雲か……ってなぁ。
[緋色の髪が揺れている。
血腥い風たなびいて白い花弁を舞い上げる。]
[それもひと時、]
[また憂いが面に兆す。]
[眉根を寄せて、]
けれどもおれは。
明日にも去んでしまうやも知れぬ。
酒の精気でどんなに持ちこたえようとも、狩る者は。
さもなくば、怪どもに。
やれ、それは重度なことよ。
[軽口なれど音は常のままに軽く無く]
[潤む碧、見上げ遣り]
夢見心地な貌をしておるな。
刹那を見るは構わぬが、その後に何ぞ残る。
虚しきしか残らぬのではないか?
[一度茶浴衣揺らめかせ。
張り付くに苦労しながら帯を巻く]
さて、な。我も知らぬ。
乾くまで放っておけば見るも厭と言う者と会うやもしれぬ。
着ておってもその内に乾くだろう。
関わり、人に患うてしまったのか。
次いで物の怪までに患うとは難儀よのう。ほんに難儀よ。
己が逝けばまた泣くというか。
泣かずに笑うておれ。寂しいばかりでは何処へも往けぬ。
[くつり、背を向けたまま俯き笑う]
そうだな近いうちに尋ねよう。
[顔を上げて]
やれやれ、絵心なくとも描けば上達するわ。
けれど良かろう。望む幻描こうか。
[ひとつ頷き、カラコロそのまま何処かへ*行くだろう*]
[舞う、舞う。
風に巻かれて桜舞う]
[くれなゐ斑の薄紅扇、拾いて懐差し入れて]
……何ぞ有ったか、薄墨。
[聞こえる声に空翔るる薄墨見上げ]
[花風巻いて社へと、]
[緋の鬼居るやもと頭を掠めたが、]
[それよりも求むる者の行方を知りたくて、]
誰ぞ開耶を知らぬか。
開耶、開耶っ。
[軽口には些か重き音] [ニィと笑み] [見上げる琥珀]
[覗く隻眼の碧] [蕩け] [潤むは] [刹那を想うてか]
其処には過去も未来も在りはせぬ、其ン刹那が全て、己の全てを賭してただ死合うンだヨゥ。
何故後に虚しさが残るのさァ。
大体、腹いっぱいンなりゃ虚しさより先に眠気じゃないかえ?
其ン時こそアタシァ満開の桜の木の下で心地好く転寝でもするヨゥ。
起きたらまた遊ぶのさァ。
[はたり] [鼻緒揺らし]
律儀だネェ。
[有塵の声] [ゆるり] [首を捻り] [揺れる常葉]
おや、有塵の兄さんかィ。
如何かしたンかえ?
ほんに難儀――救いようもない。
宴の物の怪は皆、ヒトの形をしてるゆえ余計に性質が悪いわ。
[くすり][泣き止み笑みを見せ]
汝れが笑えというのなら、汝れが有る時は笑っていよう。
[去り際][骸に][穢れなき珠握らせて]
[下位の物の怪][近寄らせぬよう願かけて]
汝れがどんな幻を見るかわからんが――
良い幻だといいのぅ。
[カラリ][一歩][歩み出て]
妾も、幻が欲しくなったら汝れをたずねよう――
[コロリ][続きの足を出し][自分もどこかへ*あてもなく*]
[常盤の女もその目には見えども視えず、]
開耶。頼みがあるのだ。
喰児からおまえが紅の花咲かす幻を見たと聞いて……。
おれに満開の咲き乱れる桜にこの杜が覆われる様を見せてはくれまいか。
[蕩け潤む碧隻眼。今無き闇眼も潤んでいるか]
…やれ、其方は真に刹那しか見ておらぬか。
嗚呼、其方に問うたが間違いよ。
[無礼千万、呟きつ。
脚に絡む裾、一度剥ぐ。風に揺らせど未だ乾かぬ]
面倒が嫌いなだけよ。
[言之葉ひとつ投げ遣りて]
[降りる薄墨、その言に。
驚いたように瞬きつ]
…構いはせぬが、何故に。
其方が咲いたのだ、その内に皆咲こう。
[綻ぶ桜は己の目には映りておらず。
薄墨に向けるる言は僅か奇妙に聞こえるか]
そう、後ニ三日もすれば皆満開となろう。
けれども皆が咲くまでおれが生きて居らぬかも知れぬ。
生きているうちに見たい。
花に霞む山を。
[うちにじんわり熱を孕んだ眸で同属を見る。]
[そのあまりに熱望するあまり、開耶の言葉の妙には気付かず。]
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