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[彼は目覚めたばかりの「人狼」に向かって、遠吠えを放った。
その「声」は人間には決して聞こえないだろう。
が、「人狼」ならばそれは、耳を圧する咆哮に聞こえた筈だ。]
[筋の通らない言葉をどこへ向けてでもなく発する。]
やめて…離して…
ヤメ…離してーーー!!
[聞こえはしない筈だがリックが聞けば何とするか。]
─回想─
[しばらくしてローズマリー達がソフィーの父を連れて戻ってきた。
「ギルバート」と名乗る男は、何事もなかったかのように二人を出迎え、2階に彼を運ぶのを*手伝った。*]
[響く音ははっきりと声として脳に響いた。
表の意識が一瞬飛び、うわごとのように呟く。
いや、呟いたのか、『思った』のか、自分では分からない]
…だ…れ…?
俺は…此処…に……
──!
[呟きの後に響く咆哮に、びくりと身体を振るわせる。
逃げられないその声に、体温が抜けたように体が冷たくなった]
あ…ァ…!
[すぐそこに誰かがいる。たぶん、私しか解ってない。
リックに聞いてはダメ。探すの。]
近くにいる。
探して。
見つけても。
目はあわせないで。
肌や耳、そして全身で感じるの。
……う……ダメ……
[心拍数は150を数えるに至っているか。]
――酒場・アンゼリカ――
[帰りの車中、わたしは言葉にならない声を上げるお父様の気持ちを落ち着かせるために、後部座席から身を乗り出すような恰好になりながら幾度となく話し相手になった。
元々奉仕は嫌いではなかったし、人の役に立ちたいと幼心から抱いてシスターという道を歩もうと決意していたので、お父様の相手は苦痛ではなかった。
むしろ教職では味わえない充実感を与えられたようで、とても満ち足りた気持ちになっていた。]
[やがて到着した酒場。二階へと運ぶ動作はさすがに筋力低下が見られる身体とはいえ壮年期の男性は女手には重く、ギルバートの…男手の助けがこれほど頼もしいと思ったことはなかった。]
あの…ありがとう。お陰で助かったわ、ギルバート…さん。
[ロッキングチェアに座らされたお父様が、さして混乱もせず静かに宙を見つめている姿を確認してから、わたしは改めて彼にお礼を述べた。その時見つめた瞳に。背筋がざわついたのは気のせいだっただろうか?]
止んだ…
雨が冷たい…いま激しく体温が上がったのかも私…
ううん、それよりもまた来たらどうしよう。
誰…誰に相談すべき…デボラさん…いいえ…ああ…
――二階 ローズマリーの部屋――
[愛想よく微笑むギルバートから静かに視線を外し、食事の準備をするといって階下に向かったローズを見送って。わたしはソフィーの寝顔を見つめた。
寝汗で額に張り付いた髪筋を梳いてあげる。あどけなさが残る唇に視線が止まった時、わたしは先程お父様に施した行為を思い出して溜息を吐いた。]
[あれはいつの頃だったろうか。ヘイヴンという町に慣れ始めた頃、わたしは村にある小さな仕立て屋に通い詰めるようになっていた。勿論初めは服代を少しでも浮かせようとしてだったが、時が経つにつれ店を切り盛りしている年下の女性と意気投合した結果とも言えた。]
[ソフィーと名乗る女性は同性のわたしから見ても好意が持てる女性で、嫌味がないところにとても惹かれた。と言ってもこれは恋情対象ではないのだけれども。
時同じくして親しくなったローズとは正反対の女性。わたしはローズには性愛と軽蔑を、ソフィーには敬愛と私淑の念をそれぞれ持ち合わせていた。]
[そんな憧れだった彼女の、心の影を覗かされたのは偶然だったのだろうか。それとも緻密に計算された神から与えられた必然だったのだろうか。]
「父と関係を持っているの…」
[そのような意味合いの言葉に、当時のわたしは酷く神を恨んだ。嗚呼、何故主はこれ程まで人々を苦しめるのかと。
そして願った。もし許されるのなら、このわたしがソフィーの…彼女の苦しみ全てを請け負ってしまいたいと。]
[だから先程、わたしは少しも躊躇う事無く彼女のお父様と口付けを交わすことが出来た。時が許したのなら、そのままわたしは躰を許していた事だろう。それが彼らの…その場限りな救いにしかならなくても]
……それでも主は…純潔を穢すとまぐあう行為を忌み嫌いますか?
[寝苦しそうに寝返りを打つソフィーを見つめ。わたしは恨みとも取れる言葉を、天に向かって吐き出していた。]
電気…切れたっぽいな…何でだろ?
冷蔵庫も缶詰はいいとして…他のモンは食べないと腐るなぁ。
電話も駄目、か。
[ガチャガチャと電気製品を弄るが全滅。ため息をついてどうするかと思案にくれる。外は相変わらずの天気で更に憂鬱にさせるが、ここで物に当たっても仕方ない]
どうするかな。まずはこの服洗うのが先決か。
[幸い水道は大丈夫なようだったので、服を換え、きていたものは手洗いで洗い出す。乾くのはいつになるか分からないが]
先生もシャロもあれから大丈夫だったのかな。
雨やんだら気晴らしにでも先生の所行くか。
[借りてたアトリエに製作途中の模写があったはずだし、と一人呟き]
―回想―
[左腕を庇うように押さえていたステラ。災害への対処せざるを得なかった労苦は彼女の体に負担となって降り積もっていたのではないか。あるいは、行方不明者の捜索を手伝って怪我でもしていたのだろうか。
そうでなくても、元々体が弱かったことを思い出す。
この雨の中徒歩で返してしまったことを内心で悔いていた。
ギネスビールを置き受話器を取ると、手帳を頼りにほとんどかけたことがないその番号を回した。3コール、6コール。彼女は出ない。
電話口でどれくらい佇んでいただろうか。
不在か、あるいは電話にでるつもりがないのか。]
……ファファラ
[帰宅の途上でなにかあったのだろうか……膨らみそうになる不安を打ち消す。今更、彼女を追いかけるわけにはいかなかった。彼女は意志の籠もった足取りで走り去っていったのだ。
時に儚げに見える彼女の、しかしその奥に感じる芯の強さを信じることにした。それは、いかにも都合がよく狡い考え方だったに違いない。それもまた、自覚していることだったが。]
―回想/少し前―
[雑貨屋から車を巡らし、ポットをローズに返しにアンゼリカに寄った。私はそこでソフィーが倒れたことを耳にした。酒場に入ってよいものか逡巡していたシャーロットにも話し声は届いていたかもしれない。
なにか手伝いを申し出ようとも思ったが、ソフィーを運んだのはハーヴェイで、ギルバートもそこにはいた。男手は足りているようだった。
「なにかあったら気軽に電話してくれ」とだけ伝えると、娘の肩を抱いて車内へと戻っていった。]
―アトリエ・一階作業場―
[シャーロットは自室にでも戻っていたのだろうか。彼女の姿はそばになかった。
私は雑貨店から持ち帰ったダンボールを抱え、吹き抜けにかかる白い金属製の螺旋階段を降りてゆく。二階分の天井高のある作業場に降り立つと、床にダンボールを置き中身を出した。]
「二ダース!? 二個じゃなくて?」
[正気を疑うようなレベッカの表情を思い出す。
私がダンボールの中から取りだしたのは、卑猥そのものの形をした機械仕掛けの屹立、ディルドだった。電動モーターが内蔵されたそれはリモートコントロールができる最新型のもので、形態上邪魔になるコードなどの付属物ははみ出てはいない。
いくつかの種類を参考品として購入し、分解してみた結果最も目的に叶ったそれを私はひとまず2ダースほど購うことにしたのだった。]
これをレベッカの思い出にはしたくないな。
ていうか死にてえ……
[軽くどんよりした気持ちになったものの、電源スイッチを入れ、蠕動し始めたそれを見ているうちに純粋に機械的な好奇心にいつしか囚われる。その動きから派生する連想が翼をもたげ、空を羽ばたき始めた。
微かな翳りは一瞬で掻き消え、歓娯が胸を膨らませた。]
……おもしろい
[箱から取り出す僅かな時間ももどかしく、次々とディルドを取り出してゆく。
少し離れたところには、水族館の水槽に用いられる透明の強化アクリルを使って自作した、充分な強度のあるテーブルが置かれている。足につけられた台車用のキャスターのストッパーを外し、作業場の中心に移動させた。]
[24本のディルドはアクリルのテーブルの上に、横隊陣形の兵士たちのように等間隔で整然と整列していた。念のため底部を両面テープで固定する。
私は世紀の-あるいは性器の-一瞬を前に深呼吸し、無数のスイッチをONにした。]
[兵士達は一斉にいきりたち、昂奮に身を戦慄かせはじめた。]
わははは!
最高!
[むしろ、それは勇ましいというよりは悩ましげなウェーブになっていっただろうか。私はバタバタと膝を叩き、腹を抱えて笑った。]
おもしれーっ
ああっ そうだ。
[その様に一つの啓示を受けた私は壁際に設置されたオーディオセットに駈け寄ると、ラックから一枚のレコードを探しだした。針をのせると、陽気な音楽が流れ出した。ハリー・ベラフォンテの『Banana Boat』だった。]
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