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[客室に入り扉を閉める。独りきりになった彼の顔からは、漂う軽薄さが綺麗に消え失せ、引き締まった表情に取って代わる。
先程シャワーを浴びた時に、椅子の上に置き捨てたカウボーイハットを手に取る。雨に打たれたためにしっとりと湿っていたが、気にせずに頭に被った。
ポケットから出した細々としたものがまだサイドテーブルに置いてあったが、彼はその中からライターだけを選んで持った。]
[そして、あともう一つだけ。
バックパックの中に、毛布に包んで仕舞っておいた物を取り出した。
皮製のシースに包まれたハンティングナイフ。
鞘から抜き放ち、刃の具合を見たあと、もう一度鞘に収める。
それを、腰の後ろに来るようにベルトに取り付けた後に、隠すようにゆったりとしたレインコートを羽織った。]
[行かねばならぬ時だった。]
ぐあぁぁぁぁぁぁぁ…ま、眩しい…眩しい!!
[微弱な光でも、彼の濁った水晶体の中で跳ねまわるのは
十分過ぎるほど、十分なものであった。
遮るものなしに、世界は眩し過ぎるものだった。]
ネ、ネリーィィィィィィィ………。
[こんな時、ネリーがいないのが不幸だと思った。
いや、ネリーだけではない。この状況で、
彼に気付いてくれる者を、期待してはいなかった。
日が暮れるまで、光との格闘をしなければならない。
そう思うと、苦しみが倍増するような心地がした。]
──アトリエ・自室(現在)──
[マーティンのノックで目を開く。
お嬢さま、落ち着いて下さいね、と言ってから手渡される手帳。…そして。
シャーロットは続いたマーティンの言葉に「嘘…」と小さく呟く。伝えられた言葉を否定するように首を小さく横に振り、]
リビングでハーヴが待ってるのよね。
待たせちゃいけないわ。
[廊下に出る直前、誰かが階段を駆け上がる軽快な足音が聞こえたが、それはすぐに部屋の前を通り過ぎ、奥の部屋へと消えた。]
『今のは──…。』
[ソフィーは一瞬部屋へ戻ろうかと考えたが、今戻ったらそのまま倒れてしまう気がして、そのまま1階へと向かう事にした。]
[マーティンに案内されながらも、慣れた足取りでアトリエへと向かう。
以前の休暇の時、この隅を借りて課題をさせてもらっていたのだが]
先生まだ戻ってきてないんですか…って…エリザさん…先生の奥さん…ですよ…ね?
[聞いた事実にしばし呆然と。信じられないというように聞き返す。
この災害の後、先生はともかくあの小さな少女はどれだけ不安だろうかと思うと、少しだけ胸が痛んだ]
――――――――――――――――
エリザとの関係は、パウダースノーの雪崩に巻き込まれてしばし遭難した瀕死のドーナツにも似た、甘い甘い、砂糖まみれの世界。どこまでも幻想的で、夢見がちで――永遠の「乙女」だけが、永遠の「処女」だけが、立ち入れることのできる世界なのだ。
失った「処女」性を取り戻す――というよりはむしろ、自身が「処女」だと信じて疑わない姿勢が、そこにはあった。
そして、一般的に「不倫」をする妻とは決定的に違う点がある。それは、《夫に対する申し訳無さ》というものがまるで無いのだ。
浮気相手に嬉々として夫や子どもの話をする人間はあまり居ないとは思うが。しかし彼女には、よくありがちな「夫への不満、愚痴」といった類のものを語ることも無ければ、「夫への申し訳無さを振り払う」様子さえも見えないのだ。――まるで、最初から「夫」や「娘」など居なかったかのように。最初から今まで、彼女が「乙女の園」の住人であったかのように。
――いや、同様の印象は、夫であるヒューバートからも感じてはいたのだが。
幾ら雨が上がりそうとは言え、彼方此方出回るのは危険かしら?でも――…
[わたしは出掛ける理由を作り上げたくて、辺りを見渡す。何か足りない物は…ない?]
あ…蝋燭が無いかも…。またさっきみたいに雷が鳴らないとも限らないし…。あった方が何かと便利よね。うん、ブランダー家の雑貨屋へ行ってみようかしら?
久し振りにリック達の姿も…見てみたいし…。
それに…――別な所も見ておいた方が良いでしょう?
[まるでこじつけとも思える理由付けを自分に課して。わたしは洗面台で左腕を綺麗に流し洗う。そしてきつくきつく包帯を巻き、いつもの野暮ったい服に着替えると。]
――おやすみなさい…invidia…
[泥濘の激しい表へと足を踏み出した。]
[手摺に縋り、一段一段足元を確かめながら階段を下りる。
注意していないと踏み外してしまいそうだった。
ぐらつく視界を堪えて階段を降り切ると、自然と苦笑が漏れた。]
『こんな時に風邪なんて……。』
[体調は自分が思っているより思わしくないようだ。]
[一般的なヘイヴンの住人よろしく、ネリーは特に信仰心は持ち合わせておらず、半ば『振り』で神様という言葉を口にはするが…
それでも。
10年前。奪う者。奪われる者。
これらのフレーズに一致性がある。何か嫌な部分でピースがカチリと填る。 …じゃなければいいのだが。]
そうって。何がそうなの?
[差し出されたので手を出す、といった具合に手がフォトアルバムへ伸びる。]
──アトリエ・リビング──
ハーヴ!
[リビングのソファで待っているハーヴェイの姿を見つけると、シャーロットは彼に駆け寄る。
細くとも自分より背の高いハーヴェイにシャーロットはためらいもなく、抱きついた。]
ハーヴ、ハーヴ。
さっきの大雨でママが、ママが…──。
パパは現場へ出掛けてまだ戻らないの……。
[不安げな細い声。
大きな窓ガラスに映る外の景色。
すでに雨は見えないほどの小雨に変化していた。遠くの方で、雲の切れ目にわずかな光が見える。ヒューバートが出掛けた時はまだレインコートが必要な雨量だったと言うのに。
窓を開けて手を伸ばしマーティンが雨量を確認する。
その時、その開かれた窓の向う側から──激しい車のスリップ音が聞こえた。]
[少しだけ、という言葉は誤解を招くかもしれない。
しかし実を言えば肉親を失った悲しみというものが分からないのだ。
常に自分に暴力を振るい続けた両親へは常に死を願った。
自分を苛んだ兄が死んだ時、初めて笑った。
今は叔父が自分を養っているが、もし死んだからとて涙も出まい。
そんな自分が、どうして母を失ったシャーロットの心境がわかろうか。
胸が痛んだ理由など些細なこと。
泣きすぎて、あの綺麗な顔が、目が。
翌日赤く腫れてしまうのはさぞ心配ではないだろうか、と。
そんな、ことだった]
[階下に着くと、影から店内を覗き込んだ。]
『良かった、誰もいない──。』
[客の姿が無い事に安心し、襟元を手でかき合わせながらローズマリーに声を掛けると、ローズマリーは駆け寄って来てソフィーに手を貸し、店内の椅子へと導いてくれた。]
[リックが持ち出したフォトアルバム。アルバムよろしく数年前に作られたものだ。
アルバムそのものは初めて見る。そこに綴られた写真を見る。
ネリーはかあっと顔が紅潮する。これほど瞬間的に激しく全身に血が回るのはよくて数年振り、あるいは初めてであろう。
数年前だ。でも何故数年前と断定できる?
答えは簡単だ。知っているからだ。]
[全ての準備を終えると、階下のローズマリーのところに戻った。]
ちょっと行って来るよ。すぐに戻るから心配しないで。
[ソフィーに帽子を取って軽く会釈をする。彼女の居る前では、ローズマリーも遠慮して自分には必要以上に近付かないだろうと思われ、それが彼にはありがたかった──今のような状況では。
そして、ローズマリーには挨拶のキスも抱擁もせずに、快活な笑顔だけを見せて酒場を出た。]
[ルーサーの、教会設立を援助しているのだから、
神とやらも少しは手を差し伸べてくれてもいいのに。
そう思った。しかし、先ほどの酒場での言動を
思うと、どうやら神とやらは本心を見抜いているらしい。
彼は、眩い光の中で少しだけ後悔した。]
ハハハハハ……最悪だよ。ぐううううう…。
[小脇に、逆から読んだ神を抱えながら。]
[しばらく雨が窓の外を流れるのを見ていたけれど、そのひどく緩やかな時間を壊すようにチャイムがなり、"兄"が対応するのを聞きながら毛布の柔らかさの中に埋もれて。
そのうち"兄"が戻ってきて僅かな幸せの終焉を告げれば少しの落胆と大きな諦観と共に、服を受け取る]
…ええ。戻るわ。ありがとう。
[その口調は若干さめていて、差し出された服はまだ少ししっとりしていたけれどどうせ雨の中帰るのだから変わらないだろうとそのまま身に着けて、ナサニエルの家を後にする]
シャロ…!
[突然抱きついてきた小さな少女、混乱のせいか、言葉も途切れ途切れだった。
流石に驚いたが、肉親が亡くなればこれが普通なのかと頭の片隅で思いながら、泣きじゃくる彼女を優しく抱きしめ返すと]
さっきマーティンさんから聞いたよ…
ごめん…なんていっていいのか……今は思い切りお泣き。
こうしててあげるから。
大丈夫、先生はすぐに戻ってくる。大丈夫だよ。
[なだめるように、優しく語り掛ける様は恋人のそれにも似て]
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