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>>*12
[私は、もやしのように前後に垂れ下がっている両手を前後にふらつかせながら、歩いていた。]
…っ!
助けて助けてだなんて、そんな…
[動揺が走る。]
[『私』はまだ『ギルバート』と呼ばれる男や『ハーヴェイ』が持つ『何か』をまだ知らなかった。
筋の違う回答が飛ぶ。]
だって、いつだって私は非力だもの…私だって、たまには腕力や体力に憧れる時だってあるわ…
何も…? 何か…? 何…?
[何だろう。私はいつも言葉に詰まると外連味だらけだ。
だが2、3、思い当たる節はあるのだ。明確なものは何もないけれど。]
[浴室を出たソフィーは、生乾きの髪をピンで高く留め、薄手のバスローブを羽織った姿で、片手に水の入った銅製のポットを携えイアンの部屋へとやって来ていた。
サイドテーブルの上の観葉植物の葉を指の腹で撫でる。
肉厚で、縁に棘のような突起を持ったその植物は、コミカルな姿を面白がった母が名前をつけて可愛がっていたものだった。]
聞いて、アロエリーナ。
私のお父さんが居なくなってしまったの。
ねぇ、何処に消えてしまったんだと思う──?
[細い注ぎ口から水を注ぎながら、問う。
母がかつてそうしていたように。]
………。
[当たり前だが、返事はない。
しかし何故かふっと、張り詰めていた気持ちが緩んだ。
口の端に笑みが浮かぶ。]
あっ――
[何かが途切れた。
私は今、剥き出しの感情だった。たったこれだけでも、これほど攻撃的になった覚えはなかった。私にも、内側に何かを秘めているのかも知れない。
状況は変わっていない。]
そうよ。歯を食いしばってでも何とかしないと駄目。
食いしばってでも。
[と言いつつも食いしばる事に「馬鹿らしいわ」とも思った。]
[少し眠ろうと思った。
疲れているのだ、今は。
一人では冗談を言うゆとりも無いほどに。
薬は飲んだが、未だだるさと微熱は消えない。
家を飛び出した処で探す当ても無い。
これでは到底いい結果など望むべくもない。
心を決めたソフィーは、毎日シーツを取り替えている清潔なベッドに、そっとその身を横たえ、瞳を閉じた。
朝になったら焼きたてのトーストにポーチドエッグを乗せ、ホットミルクと一緒に食べよう。
そして体力を回復したら、*改めて父を探しに──*。]
[本来彼女――ネリーはヘイヴンに生まれ、ヘイヴンに育ってきた。
多分に漏れず、人狼の能力を開花させる者、あるいは人狼を残す者としての因子をふんだんに蓄えていた。
しかし彼女は成長する過程でノーマンの拷問により、歯を全損してしまった。
そのショックなのか。或いは人狼の象徴を失ったからなのか。「先祖帰り」の特徴が未だ中途半端にしか発揮されない。
今の歯はデボラが誂えた仮初めに過ぎない。
人狼を残す能力はまだまだ有していても、本人はギルバートやハーヴェイの持つ力までに至らなかった可能性があるのだ。無論、本人の意思をよそに。]
[私はひとりごちていた。]
望み…力…どうしてだろう。こんなに欲した事は初めてだわ…
力は欲しい。でも…力よりも大切なものがある。
それはなんだろう。人としてのプライドとか、清楚とか、協力とか、うわべっつらを並べたものじゃない…
どう言えばいいのだろう…それは自由?いえ少し違う…
ヘイヴンの人々が本能おもむくままに、心の底からクラリとする極上の麻薬に酔いながら、成したい事を成す――そして掟を伝えていく――
それがヘイヴンの教えを守ること――ではないかしら。
[私は歩きながら思考を続けていた。]
…あぁ、消したい…
お前は俺に約束するといった…
…せいぜい…楽しみにさせてもらう…
[ギルバートの思念を受ければ受けるだけ、フィルタを失った理性は崩れていく。ピアスが紅の光を維持するに、もう太陽は殆ど必要としなくなっていた。]
――――――
眩いばかりの陽光が世界を澄明な色彩で浮かび上がらせる夏の日に。まっすぐ伸びる道路を真っ白なロメッシュが風のように疾走する。
鮮やかな碧空は天頂に向かう程に色味を増し、誘い込まれるように深かった。道の片側には広壮とした皙い砂浜が広がり、白磁の欠片を鏤めたように陽光を照り返す。
今より少しあどけなさを帯びたシャーロットの唇が綻び、歌声を口ずさんでいた。私は肩でリズムをとりながら、耳を傾けていた。
夏のケープコッドへのバケーション。彼女は十四だった。
空冷軽量スポーツカーのその車は、一つ一つの操作に息吹を感じるような確実な手応えをかえしてくれた。アクセルをゆっくり踏みこんでゆき、エンジンの回転数が上がったのを確認してギアをシフトさせる。エンジンの回転音が変化し、伸びやかな加速が私たちを彼方へと導く。
シャーロットは歓声を上げた。
「綺麗な海――」
広漠とした砂浜の彼方から青々とした滄海が迫った。陽射しを照り返し、瑠璃を鏤めたようにキラキラと光る。
「最高だ」 私も浮かれていた。
「知ってるかい? スポーツカーの隣に絶世の美女を乗せて走ることは間違いなく男の最高の夢の一つなんだ。」
そうなの? と笑い声が聞こえる。
「そして、もう一つの最高の夢は、愛する娘とドライブできることだ。だから――」
――同時に二つも夢が叶う私は世界一幸せだ
シャーロットはクスクスと咲って私の肩を軽く叩いた。
私は彼女の歌声にあわせて歌いだした。
遥か遠く、どこまでも続く空に吸い込まれるように、車は走り続けた。
――――
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