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[非力な女の腕で、簡単にローズを殺せるとは思っては居なかった。だからわたしは気休めにでもとナイフに煙草を煮出した液体を予め塗布しておいた。ニコチンは毒性が強いと教えてくれたのは、さぁ誰だったか…。]
「ス…テ…ラ?」
[驚いたように目を見開きながら振り返るローズの足を払い、彼女の体を床に倒す。傾き掛けた身体から素早くナイフを抜き取り馬乗りになると、再びわたしは彼女の首許へとナイフを宛て――]
ごめんなさいね。わたし、躰を許した相手の裏切りは…どうしても許せない性質なの。だから、ギルバートさんに抱かれる夢は、天国で見て頂戴?
それとも…これからは男は捨ててわたしだけ愛してくれるって誓ってくれる?
[くすり くすり――]
[笑みが自然と零れる。わたしはローズの怯えと懇願で歪む表情を味わい深く見下ろしていた。さぁ、あなたから命乞いの言葉は聞けるのかしら?]
「あ…ステラ…おねがい…助けて…?わたし達…昨日はあんなに…」
[刺された痛みかそれとも僅かに流し込んだ異物の苦しみか。綺麗なローズの顔は今は醜く歪み、艶めいていた唇はすっかり青褪めてしまっている。]
ん…そうね。昨日わたし達はここでお互いを求め合った。でもわたし、あなたの口から聞いていないの。
「わたしを愛し続けるわ」って言う言葉を。
だから…ねぇ?誓って?その麗しの唇が…
[命乞いをするローズの手が、わたしの背中を撫ぜた。入墨に唇を寄せたときのように優しく。
でもそんな優しさ、今は欲しく無いの。]
事切れてしまう前に――
[わたしは彼女の最後の言葉を聞くその前に、首筋に当てたナイフを力いっぱい振り下ろした。
瞬間、鮮血は綺麗な飛沫になって周囲の壁を彩っていた。]
[日はもう少しで落ちる。道も明かりだけを頼りにするには心もとなくなっていた。危ないといわれた矢先にこんな一人歩きをしていてはまたヒューバートからお小言でも貰うだろう。まるで子供にいうように]
先生俺を何歳だと思ってるんだろうなぁ…。一応20歳過ぎてるんだけどどうしてあんな口煩いんだろ?
[彼の心配が実は嬉しいのかも知れないとはこの際認めない。
子供のように見られているのは少し悔しかったが]
…あれ?
[もう少しでバンクロフト邸。夜までに着いてよかった。
自宅についたような感じがしたのか、思わず鍵を取ろうと手をポケットに突っ込んでしまったが、手に何も触れない。
ナサニエルに向けて振るった自宅の鍵。それが見当たらなかった]
落としたかな?
[普段から人通りも少ない裏路地を来たが、もし誰かに鍵を拾われて万が一があっては困るしそも自分も家に帰れない。ヒューバート達に面倒をかけるわけにも行かずにため息を一つ]
探しにいくしかないか?
[折角ついたバンクロフト邸を目の前にしながら踵を返した]
ふむ。いい質問だ。そこが核心だからな。
[スッと目を細める。]
アンタが引いているのは人狼の血──アンタは人狼の子孫、
人狼の「血族」なのさ。
人狼の………「血族」。
[ギルバートの言葉を、反復することしかできずにいた。]
人…狼………?
何だ、それ……は……
お前は、いったい、何者だ?
そして、俺は……………
[思わず婦人へと訊くも、答える声はなく。
代わりにヒューバートが教えてくれた。
イアンとソフィアが何度かディナーに同席していた事。
娘を連れておいでと何度誘っても叶わなかった事、などを。]
そうだったんですか──。
[感慨深げに呟く。]
「君を招くのは骨が折れたが、漸く叶ったよ。」
[ヒューバートはそう言って片目を瞑ってみせた。]
[少し大儀そうな表情になり、灰皿を引き寄せ煙草の灰を落とす。]
何だと言われてもなぁ……。
人間よりも少しばかり身体が丈夫に出来てて死に難い。色んな感覚も優れてる。あと、寿命もいくらか長い。
そんな感じ?
[彼本人に関して言えばこれは決して真実とは言えなかったが、そこら辺はあえて黙っていた。]
ナサニエルに「血族」について説明した。
さっきお前に説明したのと大体同じ内容だ。
お前、ここに居座る気ならナサニエルを見張ってくれ。
それで、ナサニエルが「血族」について誰か他の人間に話すようなら俺に知らせろ。
いいか?
ナサニエルさんに…? はい。分かりました。
[数多の疑問、懸念があったが私は簡潔に一言だけ答えた。疑問を次々にぶつけることは非常にナンセンスな事と思えたからだ。
私が想像していたよりも遥かに長い二人のやりとり。私は私の手でナサニエルの知識を本人には見抜かれないように確かめてみたい思いがあったが、それは杞憂に終わりそうだ。]
身体が丈夫……
感覚が優れている……
寿命が延びる……
[ベッドから立ち上がり、フラリと一歩を差し出した。]
………それだけ、か?
それは人間が人間を超越することだ……決して「損失」ではない。もしそれだけなら、お前は「取り返しがつかない」と、俺に警告したりはしないはずだ。
他にも……「何か」あるはずだ。
いや、確かに俺はそれを今、実感している。
俺の身体が、何かに沸き立つ感覚が……お前を目の前にして、身体中の細胞が騒ぎ出す、不穏な感覚が………!
[首を切られたローズの息が絶えてしまうのには、然程時間は掛からなかった。
わたしは馬乗りになっていた身体から降り、最後の瞬間をただ静かに見守っていた。]
[ローズが死ぬ間際、脳裏に思い描いた人は果して誰だったのだろう。
最後の痙攣を見届けながら、きっとわたしではないだろうとおぼろげながら感じていた。シンシアがそうであったように。]
[わたしは修道女を宗教を捨てる直前に、当に今と同じように人を一人殺していた。いいえ、確実に殺したといえる人が一人であって、本当の所は良く解らない。
理由は今と全く同じだった。全てを許した相手に裏切られた。ただそれだけの、去れど赦すことの出来ない理由の為に。]
[人を殺したわたしは、逃げるように住処を後にした。警察沙汰にならなかったのはただ単にその直前に猟奇的とも思える事件が起きたばかりだったからだろう。運が良かったといえばそうかも知れない。でもあのタイミングは悪魔からの贈り物としか思えなかった。
その後わたしは感謝の気持ちを形に変えるべく悪魔にこの身を差し出した。罪を背負う事で自分を律したかったのかも知れない。今となっては随分無意味だと思うが。]
[私は考えていた。
「血族」が「血族らしく」生きる事に非常に…誇りとも違う、肯定とも言うべきか、好ましいものと捉えつつあった。
だが…ハーヴェイ…彼自身が正当に生きていけるならそれが一番だが、彼が彼を制御できなくなる事に非常に憂慮しており、場合によっては力づくでもそれは止めなければならない、と一人考えていた。]
[注意深く地面を見つめ、鍵を探す。
人を殺そうとした鍵ではあったが無ければ家に入れず自分がのたれ死ぬ。直接的にも間接的にも凶器になるとはこれはまた面倒なことだ。
やや長い道をまた戻らなければならないのは面倒極まりなかったが、幸いにも暫く歩いた地点で薄暗い街頭の下、銀色の鍵を見つけることができた]
よかった、あった。
[拾い上げ、今度こそまたバンクロフト邸へ、と再び踵を返そうとした瞬間、自宅側の道から耳を劈くような─]
「きゃぁあああっ!誰か、誰かぁああ!!!」
[普段あまり人の声を聞かないこの路地、偶に聞くことがあるとすれば…。
予想はしたくなかった。しかし何故か足はその方向へ向かっていた]
─ナサニエル宅─
けっこー…汚れた服もあるわね。ナサニエルさんは無頓着なところがあると言うのかしら、生活感があってないような…それがナサニエルさんのいい所かしら?
[ネリーは勝手に電気洗濯機を使っていた。]
[ローズの返り血を浴びた左腕に住まう蛇は、久し振りの食事を充分堪能したかように目をぎらぎらと光らせ舌を動かしていた。
わたしはその姿に目を細めながら、事切れてしまったローズの體を引き摺り、目合わいあったひみつの部屋へと突き進んで遺体をベッドの上へと載せた。それはわたしからのせめてもの優しさだった。]
ごめんね、ローズ。あなたの身体の一部…貰っていくわ。
[そしてナイフを三度振りかざして胸元を切りつける。切り開いた膚に手を差し込み心臓らしき臓器を取り出すと、わたしはそれを丁寧に持参した布に包み籠に入れた。]
嗚呼、これであなたはわたしだけの物…。
[わたしはその籠を大事な物のように持ち上げ胸に抱いた。狂っていると言いたい人が居るなら言わせて置けばいい。これがわたしの最上級の愛し方。だれにも批難はさせないの。たとえそれがローズ本人であっても――]
[自分の知らない二人の時間が此処にある。
そう思うと少し寂しくもあるが、また嬉しくもあった。
アンゼリカで割れてしまったボトルの代わり。
そんな風にも感じられた。]
[バンクロフト家で過ごす夕飯のひと時は瞬く間に過ぎた。]
ふぅん。やっぱりアンタも気が付くか。そりゃそうだよ
な。
[立ち上がったナサニエルを見上げ、煙草をふかす。]
「血族」が人狼の血に目覚めると、それまで普通の人間と同じだった身体が、人狼のそれに作り変えられていく。
その変化は結構キツいもんだ。これまで無かったもんが付け加えられていくんだからな。凄い負担が掛かる。
それがアンタのぞわぞわの正体だ。
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