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[わたしは止血の為に舐めていた指を口許から外し、ゆっくりと立ち上がった。]
そう言えば…寝酒用の赤ワイン、確か切らしていたのよね。お砂糖を落としてホットワインにして飲まないと…今日みたいな夜は寝付けそうに無いもの…。
[そしてわざと平穏を装うように明るい口調で、自らの行動を口に出して確認する。
しかし頭の中では古い記憶がぐるぐると、壊れたレコードのように流れていた。それは昔々の話。でも紛れもなくわたしの消し去る事の出来ない過去――]
雑貨屋は今見て来た通りの有様だから…。やっぱりアンゼリカへ行って一本譲り受けてこないといけないわねぇ。
――面倒だけど…買いに行かなきゃ。
[努めて明るい声を上げると、わたしはワインを入れる為のバスケットと、帰りもし寒くなっても大丈夫なようにと黒い外套を手に持ち、酒場へと向かう道筋を軽い足取りで歩き始めた]
Lullaby of birdland that's what I
Always hear when you sigh
Never in my wordland could there be
Ways to reveal in a phrase how I feel…
[軽く歌などを口ずさみながら…]
――酒場 アンゼリカ――
[わたしは到着するなりCLOSEのプレートを突きつけられるけど気にも留めず、いつものようにノックを三回。そして呼び慣れた彼女の名を口にする。]
ローズ、居るんでしょう?お願いがあるの。ちょっと良いかしら?
[しかし呼んでも彼女は一向に出てこない。何かあったのかしら?それとも…――
彼女の車は無かったけれど、でも確かに店内からは人の気配が感じられる。ほら、今だって窓ガラス越しに彼女の癖のある髪の毛が――]
ローズ?わたしよ、ステラよ。ねぇ、開けてくれないかしら?
[少し乱暴だとは思いながらも、拳を打つようにドアをやはり三回、叩いた。
すると観念したかのように彼女はドア越しにやってきた。しかしドアは開けてくれない。]
ねぇ、どうして開けてくれないの?ローズ。今此処に居るのがわたしだけだって解っているのでしょう?
[雑貨屋から一転、全てに怯えるような素振りを見せるローズに、わたしはよく解らないといった様子で首を傾げて見せ理由を尋ねた。すると僅かな時間を空けてドア越しにか細い声で理由が返って来た。]
「だって…ギルバートが俺以外にドアを開けてはいけないって…言ったから…」
[お前は七匹の子ヤギか?
思わず呆れ返りながらも、切り返したくなる衝動をぐっと堪えて、わたしは出来るだけ落ち着いた口調で彼女に語りかける。教師をやっていて良かったと思った瞬間だった。]
あのねぇローズ…。そんな童話じゃ有るまいし…。
それに――幾らあなたが彼に惚れているからって、所詮新参者の彼と三年以上の付き合いのわたしと天秤にかけて、それでもギルバートさんの方を信じるって言うの?
…わたし達の友情って…そんなちっぽけな…ものだったの?酷いわ…ローズ。わたしはあなたを信じて…この三年間暮らしてきたのに。
[最後の言葉には涙声まで滲ませて。]
[しかし七匹の子ヤギというのは、中々言い得て妙だなと思った。チョークで声色と手足を真っ白に変えて化けたオオカミは、まんまと子ヤギ達を騙して家の中へ入り込み、食事にありつく。
わたしは嘘泣きまで持ち出して――]
「ごっ…ごめんステラ…そんなつもりじゃなかったんだけど…でも最近物騒だからってギルバートが…」
[まんまと扉を開けさせる。]
ううん、気にしないで?ギルバートさんだって、きっと用心のために託して言ったんだし…。きっと悪気は無いわよ?でも…
[そして慌ててドアを開けるローズに、わたしは柔らかい笑みを浮かべ安堵を与える。]
わたしが男だったら…こんな物騒な時に、愛しい人を一人だけ残して留守にはしないけど…な。
――居ないんでしょう?彼。
[痛いところを確実に突いて不安に陥れながら]
[わたしの言葉に表情を曇らせて視線を伏せるローズ。
いい気味だと思った。
ささやかではあるけれど、これは雑貨屋でわたしに与えた屈辱のお返し。昨日のように悲しみに漬け込んであなたの躰を貪ろうとはもう思わない。]
あ、そうだ。ねぇローズ。お願いがあるんだけど。
あなたの所にあるワインセラーから安物のワインで良いの。赤を一本譲ってくれないかしら?実は手持ちのワインを切らしちゃってて…。
あ、ほら。わたし【あなたと違って】男の人に簡単に頼れない性分なのよね…。だから一人で身震いする夜を少しでも和らげる為のホットワイン用に欲しいんだけど…。駄目かしら?
[女の嫉妬って怖いわね。
わたしは自分の言葉尻が自然と刺々しくなっている事を自覚しながらも、あえて隠さずに唇に乗せた。俯く彼女の姿が目に映る。関係ない町の人間からどう思われようが平気なあなたでも、身近なわたしの言葉だと少しはダメージを受けるのかしら?
込み上げてくる感情を噛み殺しながらうっすら口嗤う。勿論ローズに見られないように。]
―母屋・食堂―
[できればハーヴェイを待ちたかったが、食事の準備が整ったとのことで私は普段よりやや早い夕食を摂るべくソフィーと共に食堂へと足を踏み入れた。
ニーナは気分が優れない、と自室で食事を摂ると使用人から耳にし、肯いた。父が松笠の杖を振り、来客をもてなした。
シャーロットの席は空いたままだ。
父の目は赤く滲んでいた。
私たち家族は来客を前に、家族を襲った凶事については触れぬまま食事を続けた。
祖母がスプーンを近づけたり遠ざけたりしながら、そこに映る自分の顔を好奇心に目をキラキラさせて眺めている。
グランマ、冷めるよ、と私は言った。]
[やがて、私の口からは感情の籠もらない平板な口調で言葉が漏れていた]
グランマ。黒牛の角は伐ったから、もう安心だよ。
[祖母はパンの中身を千切っては丸めていた]
「カウボーイが縄かけて〜 シェリフがムチうつ
ワンワン モーモー 大さわぎ」
カウボーイ?
[私は、思わず問いかけていた。
カウボーイだって?
祖母は、きょとんとした顔を向けた]
ウシを追うのはカウボーイ……
そうだわね?
[なぜそんな簡単なことがわからないのだろう、と言わんばかりだった。]
「…いいわ、譲ってあげる。こっちよ…」
[何処かまだ俯き加減のローズに案内されるまま、わたしは昨夜案内された地下へと再び足を進める。薄暗い階段、湿った空気。昨日と何も変わらない場所。違うのは持ち合わせた気持ちだけ]
――アンゼリカ 地下――
「ここにあるのだったら好きなのを持って行って良いわよ…」
[何処か疲れきった様子でローズはワイン棚を指差す。位置はわたしの斜め前。当然後ろの様子なんて気にしていなくて…]
[わたしはチャンスとばかりにほくそ笑む]
[頭を少し傾け、少しの間を作る。
金の瞳は漂う紫煙の向こうに煌いている。]
──どう話したら良いのか。
めんどくさいんで、ズバリ結論から言うと、俺は人間じゃあない。
「黒ウシよりおっかないのは影のないおとこだよ。
気をおつけ。
さかさまのあべこべ。おまえのかがみ。
カゲをぬすまれないようにねぇ……」
[祖母の言葉は相変わらず意味がよくわからなかった。私は顔をしかめ、読み解くことを放棄した]
ねぇ、ローズ…良かったら――
[わたしはローズの肩越しにワインを選ぶ素振りをして彼女に近付き]
あなたが一本選んでくださらなぁい?
[持参した籠からナイフを取り出し、彼女の脇腹へと突き刺した]
──バンクロフト邸・食堂──
[捜索の為、ハイネックの白いニットキャミソールに細身のジーンズを合わせただけという動きやすさ重視の格好のまま、ヒューバートと共に食卓に囲んでいた。]
ついでに言えば、アンタは俺の同族の血を引いてる。
アンタの持ってるその…幻視の力?は、その先祖の力を受け継いだもんだな。
部分的に、だけどな。
[煙草を指の間に手挟み、軽く振って見せた。]
―母屋・食堂―
[私は向かいのソフィーに微笑みかけた。]
すまないね。グランマは時々、意味のわからないことを言うんだ。
[そう言ったそばにだ。
ソフィーの方を向いた祖母は、ソフィア、もっとお食べと微笑みかける。彼女の母の事故死という不幸の記憶に突如触れ、一瞬ドキリとしたが、祖母の子供のような表情を見ていると咎めようもなかった。
私は、呆れて溜息をついた]
[ディナーの前に松笠を振って祈る車椅子の紳士。
子供のように目を輝かせて歌を口遊む老婦人。
初めて招かれたバンクロフト家のディナー。
奇妙な光景だが、不思議と温かさを感じた。
或いはそれは懐かしさだったのかもしれないが。]
いいえ、愉快なお婆様ですね。
[パンで遊ぶ老婦人の姿に目を細め。]
[母の名で呼び掛けられれば一時ナイフを繰る手が止まるが]
…母を、ご存知なのですか?
[然程動じた様子もなく、柔らかな声音で話しかける。]
それで、俺のシゴトのひとつが、アンタみたいな同族の子孫のところを回って、その血を目覚めさせることだ。
さっき俺がそういう力を持ってると話したな?
俺がこの町に来た理由がそれだ。
先祖の………力。
血を、目覚めさせる……
いったい、何のために……?
[揺れる紫煙を、ぼんやりと瞳孔を開いて見つめている。]
………いや。
目覚めさせる「血」とは……何だ?
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