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村は数十年来の大事件に騒然としていた。
夜な夜な人を襲うという人狼が、人間の振りをしてこの村にも潜んでいるという噂が流れ始めたからだ。
そして今日、村にいた全ての人々が集会場に集められた……。
冷たい墓石の上の
誰かの名前が過ぎ行く人の眼を捉えるように
貴方がひとりでこのページを見る時には
私の名が貴方の愁いに満ちた瞳を捉えんことを。
そして何年かが過ぎた後に偶然に
貴方によってその名が読まれるその時には
私は死んだものと思って欲しい。
私の心はこのなかに埋められているのだから。
──ジョージ・ゴードン・バイロン
その日は晴天だった。
夏の兆しの見える初夏の日差しと、山からの爽やかな風。素晴らしい季節の到来を告げる、良い一日。
この谷間の小さな町ヘイヴンを、未曾有の暴風雨が襲ってから十日経った。
破壊の爪痕は未だそこここに残り、倒壊した家屋や、無残に折れた樹木、道路に転がった電柱、道端に山と積もった塵芥などが、被害の大きさを物語っている。メインストリートにも泥水を被った痕のある自動車が何台か停まっていた。
だが、人々はゆっくりと衝撃から立ち直りつつある。慣れ親しんだ我が家を──或る者は親しい人も──喪ってもなお、人は生きていかねばならない。
町中総出で道路を整備した結果、今では自動車が何とか通れるまでにはなっている。被害の少なかった地域では住居の片付けや清掃もほぼ終わり、人々は避難所から自宅に引き上げた。
皮肉なことに最も被害の大きかったのは、町役場を含む町の中心部だった。今でもその地域の住民達は、避難所である学校での生活を余儀なくされている。学校が丁度夏休みに入っていたのは幸いと言わざるを得ない。
町役場の職員であるアーヴァインは、少しジリジリしながら救援物資の到着を待っていた。昨日の連絡では、もうそろそろトラックが到着しても良い頃だった。
保管しきれない物資の一部は彼の自宅で預かることになっているのだ。それを受け取ったら彼は一時帰宅することに決めていた。
何しろ、災害の日からほぼ不休で働いているのだ。いい加減疲れてもいたし、自宅の片付けもしたかった。何しろ他人の世話に追われていて、自分の事は全部後回しである。
彼は一つ溜息をつくと、まだ来ないトラックを思いながら、町の外へと続く道路の先を眺めた。軽く首を振りつつ、混沌とした職場の整理に戻った。
流れ者 ギルバート が参加しました。
[鉄橋を渡ると、その先は深い緑のトンネルが続いていた。
山肌に沿って開かれる道路は、蛇のようにうねるカーブだらけの一本道。
その道を、谷間の奥にある小さな町を目指して、数台のトラックが連なって走っていた。
災害の痕を示すように、周囲の森林も折れた枝や裂けた幹がところどころに無残な姿を晒している。
道路も通れるようにはなっているものの、吹き散らされた青葉や小枝が一面落ちていて、何かに乗り上げるたびに車体がガタガタと揺れる。それとも道自体が整備されていないのだろうか。]
[座席の僅かなスペースに身体をねじ込むように座っていた青年は、運転手の「もうすぐ着く」と言う言葉に、顔に乗せていたカウボーイハットを上げた。
琥珀色の瞳を輝かせ、行く先にある筈の町を見ようと身を乗り出す。
だが、目的地はまだ、幾重もの深緑の帳とつづら折りの先にあると聞かされ、再び背を落ち着けた。
けれども、その瞳は期待に満ちているかのような光を湛え、唇には楽しげな笑みが浮かんでいた。]
[叔母さんの様子を見に行くってのに随分と楽しそうだなと問われ、行ったことのない所だからね、と答えた。知らない場所に行くのは心が躍る、と。
運転手は、ヘイヴンという町の寂れた有様やいかに何もないところであるかを不機嫌そうな声で説いた。
更には、住民の信仰の欠如や大昔から伝わる怪しげな噂にまで話が及んでいったが、青年の好奇心に満ちた瞳が曇るということはなかった。]
修道女 ステラ が参加しました。
[そこは全てが暗闇だった]
[女は数人の男の手によって自由を奪われ、着る物を剥ぎ取られ、欲望の捌け口にされていた。
触手の様に素肌をなぞる感触。その艶かしさに女は歯を食いしばるように耐え抜く。
虫酸の走るような悪寒を帯びるような行為が、ただ早くに終ってくれることを祈りながら。]
[やがて生温い物が體の中に進入すると、女は涙ながらに抵抗した。やめてください、と。
しかしその懇願は受け入れられる事無く、女の素肌を素通りする。]
[そして繰り返されるは屈辱の行為。
幾時かの果てに、女もまた恍惚の瞬間を向かえ]
いやっ…もう…我慢…できませ…ん――
[か細い嬌声と、うねる様な仕草での痙攣。吐き出された白濁の体液は、女の體を汚すかのようにあちこちにばら撒かれて、悪夢は終焉を迎える。
一人残された、穢れた女の言葉と共に――]
嗚呼…神よ…。
女として同じ性を愛する事は…
何故これ程までに罰せられなければならないのでしょうか――
――自宅――
[窓から差し込む眩しい光か。はたまた生温いそよ風に誘われたカーテンが、頬を撫ぜた感触か。
わたしはそのどちらかによって迫り来る恐怖から、ゆっくりと解放された。]
……夢?
[着衣を、髪を、頬を触って、今の今まで見ていたものが全て幻だという事に気付き、ほっと胸を撫で下ろす。盛大に吐き出された溜息は、まるで肩から吐き出されるようだった。]
悪い夢だった。疲れていたのかしら…。
無理もないか…。あれ程の被害を出した災害の後だし…ね。
[わたしは転寝していた椅子から立ち上がり、大きく伸びをして外へと視線を向けた。
視界に映る町は数日前の災害によって見慣れた姿とは打って変わており、未だ生々しい傷跡が至る場所に見受けられた。
被害の少なかった地域はようやくライフラインが復旧した所で。
わたしは帰ることを許された自宅で、久々の安息を迎え入れている最中だった。]
でも…なんで今頃あんな夢を見てしまったのだろう…。忘れたいのに…。過去なんて――
[思い出してみても忌まわしいだけの、真新しい記憶を振り払うように頭を振ってみても。妙に生々しい感触は身体からも抜け気ってはくれなくて。]
気持ち悪い…。こんな時にシャワーなんて不謹慎かも知れないけれど…。全て洗い流してしまいたい…。
[わたしは視線を逸らすように窓から離れると、半ば駆け込むようにシャワールームへ向かい、コックを力いっぱい捻った]
[水は浄化するものと例えたのは誰だったか。
シャワーを浴び全てを流し終えると、いつの間にか悪夢は消え去っていて。
わたしは白いシャツに薄手の黒いカーディガン、黒いロングスカートという質素な服装に着替え、髪を結い上げ身支度を整えた。]
災害にあったと言えど、仕事はこなさなきゃいけないし…。生徒の安否を確認して…、あ、家庭訪問もあるのよね。それと…薬もそろそろ切れそうだからお医者様の所にも顔を出して…服の仕立ても頼んでいたから、会いに行くがてら取りに行かなきゃ…。
それに――
[そこまで言いかけて、わたしはカレンダーに目をやる。
そろそろ"あの日"も近い。定期的に行っている、誰にも言えない背徳的な行為を求める日が――]
ねぇ神様…。
どうしてわたしはあなたを裏切っても尚、こうして生を授けられているのでしょうねぇ?
[考えただけで憂鬱になる厄介な癖を持つ自分を嘲笑うように零した微笑で飾られた顔は、一体どんな風に鏡に映し出したのだろうか。
そんな事を考えながら、わたしはとりあえず用を足すために自宅のドアを開け、町内へと向かって*歩き始めた*]
酒場の看板娘 ローズマリー が参加しました。
[店のカウンターに頬杖をついて]
幸い、店には被害はほとんどなかったわ。
でも、こんな時に店をあけていいものかしらね。
お酒はストックがあるから大丈夫だけど、食料品は限られてるからたいしたものはだせないけど。
…今夜から開けてみようかしら、店。
そうね、ボブのピアノもなんだか聞きたいし。
連絡、してみようかしら。
[椅子から立ち上がりボブ宛に電話をかけてみた]
[電話を切るとローズマリーは店を掃除しはじめた]
やっぱり開けることにしよう。
誰も来なくても、それはそれでいいわ。
一人で居てもくさってしまうもの。
旅芸人 ボブ が参加しました。
[サングラスの黒人が、イタリア製の車を運転している。]
Woah, Woman, oh woman, don't treat me so mean...
[1960年代に発表された、有名歌手の曲を口ずさんでいる。
弾き慣れた楽譜を、思い出すかのようにしている。]
[ドンッと、鈍い音と車に少しばかりの衝撃。
洗車の暇もなかったのか、汚れたエンブレムの
”fa Rom”の部分がこの衝撃で読めるくらいになった。]
……んー、猫か犬かでも轢いたかな。
ウチの子じゃあなければ、まあいいか。
[何か動物でも轢いたのだろうなどと思いつつ、
鼻歌交じりに、店を*目指す*。]
[ローズマリーは掃除を終えると「OPEN」の看板を扉に下げた]
お店もお掃除して、ちょっと気分も晴れたわ。
ボブがOKしてくれたから、わたしだけってこともないし。
音楽が聞こえたら、きっと誰か来るに違いないわ。
だって、しばらく、なんの楽しみもなかったんですものね。
誰だって気晴らしが欲しいはず。
…そう、わたしだって…。
――町内――
[しなければならない事が多いと、正直何から手を付けて良いか判らない。
屋外へと進むと、照りつける強い日差しに汗がじわりと滲む身体から、かすかに黒水仙の香りが立ち昇る。
禊を終えた後につい無意識の内に忍ばせてしまった鼻腔をくすぐるその甘くも清楚な香りに、己の醜さを垣間たようで恥ずかしさに頬に熱が帯びるのも手伝って、わたしはほんの少しの時間途方に暮れていた。]
もぅ…!親や子を亡くした人も居るというのに…。なんて不謹慎…。
[窘めるように自らの頬を叩いて、自戒にする。でも何処かでやっぱり浮ついてしまう心は隠せなくて。
わたしは更に溜息を吐いて気持ちを落ち着けなければならなかった。]
[自分自身、そこまで浮ついてしまう理由には心当たりが有った。それはしなければならない予定の中に組み込まれている家庭訪問。
その訪問先に――
あの人が居るのだ。一時の愛を重ね、恋慕し、そして今のわたしを作り上げてくれた彼の人が]
でもその前に。生徒達の状態を確認するのが先ね。
きっと先に逢ってしまったら…。隠せないもの。
悦びと…恋しさを――
[焦げ付くような思いを高鳴る胸に重ねて。
わたしはきつくシャツの胸元を、両手で握り締めた。
そして深呼吸をした後、再び目的を果す為に生徒達の家へと歩みを進めた]
─学校敷地内・校庭─
[古い石造りの校舎の前に停車したトラックから次々と荷が降ろされて、水や食料、毛布といった生活必需品が校舎内に運び込まれていく。
そのうちの一部は、町の住人達の手で薄汚れたフォードのピックアップトラックに積み替えられていった。]
[他の職員や町民達と、物資の数量確認や配布手順を話し合っていたアーヴァインは、横合いから自分の名を呼ばれて振り向いた。
見ると、荷降ろしを手伝っていたミラー家の次男が少し困ったような顔をして、傍らに見知らぬ若者を連れて立っている。
年の頃は20代前半といったところ。薄汚れたシャツとジーンズ、埃だらけのカウボーイハットとブーツ。肩にかけたバックパックが偉く場違いな雰囲気だ。
アーヴァインの視線に気付くと、若者は帽子を取って軽く会釈し、人懐っこそうな笑顔を見せた。]
[子供達の状況は、思ったより悪くは無かった。
数少ない生徒がこれ以上減ったりしたらどうしようかと本気で悩んでいたので、これには素直にほっと胸を撫で下ろした。
子供は可愛い。理屈抜きで愛情を注げる。
元が元だけに、再びこういう人と触れ合うような職業に付けたことにわたしは素直に感謝している。
でも決して神の導きだとは思わない。
思いたくも無かった。逆恨みかも知れないけれども。]
これからも色々と大変でしょうけども、新学期には是非元気な顔を見せてくださいね?
[常套句を常套句だけにならないように。
わたしは一言一言に心を込め、彼らとその家族に手を差し伸べ心の中で祝詞を呟いた。]
[この町の人々は宗教に対して一種の嫌悪感を抱いているものも少なくは無い。
しかしその環境は、逆にわたしのように宗教を、過去を捨ててしまった人間にとっては居心地の良さを感じてしまう。
事ある毎に神に祈りを捧げてしまう、長年培ってきた習慣は、幾ら忌み嫌おうとも抜けることは無いので最近では都合よく利用させて貰おうとまで考えている。
わたしの幸せは自分でもぎ取る。しかし愛すべき人々の幸せは願わずには居られない。
もし、主が寛大で罪深き人をも受け入れてくれるならば。これ位の幸せを願っても罰は当たらないだろう。そうでなければ崇め奉られる存在で在るなと。そう思うのだから。]
[若者はポケットの中からクシャクシャになった紙片を取り出すと、アーヴァインにそれを渡した。レポート用紙を切り取ったと思しい紙面には、ヘイヴンの住所が書いてある。それは自宅にほど近い、ローズマリーの酒場だった。
若者は、そこに住んでいるローズマリーという女性に会いたいのだ、と言った。彼女は自分の遠縁の親戚に当たるというのが彼の言だ。
ミラーの次男が横合いから歯切れの悪い口調で、アーヴァインが自宅に帰ると聞いたので案内したらどうかと思った…と付け加える。
アーヴァインは途惑いつつ若者をまた見詰めた。
好奇の色を湛えて輝くその楽しげな瞳が、澄んだ琥珀色であることに気付いた時、彼は道すがら彼をローズマリーの家に送り届けることを承諾していた。]
ではまた後日改めて…。
[最後の訪問を終え、一時的に職務から解放されたわたしは、人影がまばらな場所で大きく伸びをした。
別に接する姿勢は作り上げているものではないが、でも何処かしら緊張はしているようで。
蒼穹に向かって腕を伸ばすと、背筋から小さな悲鳴が上がった。]
さすがに疲れが溜まっていたから…。あちこち軋むわね。
暑さも手伝って少しばててしまいそう。
このまま一旦家に帰ろうかしら?それとも――
[その時ふと脳裏に浮かんだのは、この町に訪れてから親しくしているローズの顔。
災害では然程ダメージを受けなかったとは風の噂で耳にしていたが、でも数日も逢っていない事も手伝って、一度思い浮かべてしまうとなかなか気になって仕方が無い。]
顔…出してみようかな?
忙しそうだったらすぐ立ち去ればいいんだし…。
ちょっと位良いわよ…ね?
[胸に霧のように漂う感情には目隠しをして。
わたしは更に強さを増した日差しの下、ローズマリーの営む店へと爪先を向けた。]
冒険家 ナサニエル が参加しました。
―ヘイヴンの一角、小さな家にて―
[男は、小さな家の書斎に置かれた粗末な簡易ベッドで眠っている。]
[彼がひとりで暮らすその場所は、ひどく夢見がちな場所であった。
まず、彼が目を覚ますその部屋の色は、常に一定のものではない。或る時は真っ白な光を受け入れ、また或る時は暗く淀んだ闇が在った。或いは、ベッドに縛られたまま動けないままの日もあった。
また、住人は彼ひとりでは無い時もあった。
彼を取り巻く者は、時に深刻な顔で話し合い、時にゲラゲラと笑い、また時にひどく泣き濡れていた。勿論、彼も行動を共にする時もあれば、それを追いだそうと必死に抵抗する時もあった。
彼の口からは、しばしば煙が吐き出されていた。その煙は、たいがいは真っ白なものであったのだが、時に煙はゲタゲタと彼を嘲笑い、或いは彼を優しく慰めることもあった。]
[とりあえず一通りの手配も済み、漸く開放されたアーヴァインは、若者を連れて保管用の救援物資を積んだピックアップトラックに乗り込んだ。これらは損傷の激しい町役場の倉庫に代わって、しばらく自宅で保管することになっていた。
ガタガタと軋む音を上げながら、トラックは通りを抜けて走る。
助手席の若者は、窓から見える壊れた家などが示す災害の痕を興味深そうに眺めている。]
[建物の一歩外に視界をやると、その景色もまた、彼の部屋と同じく一定ではなかった。
或る時は、無限に広がるお花畑であり、その最果てに眩いばかりの光が見えた。また或る時は、足元に七色に光る真っ黒な虫が無数に這いずり回っており、彼の皮膚と肉を間に入り込み、彼の身体を蝕んでいくこともあったのだった。]
[彼は時にその部屋で、世界を支配する「全知全能の神」となることもあれば、或いは生きている価値すら与えられない虫けら以下として認められることもあったのだった。]
[彼はギルバート・ブレイクと名乗った。
ローズマリーとはどういう親戚なのかとアーヴァインが尋ねると、若者は急に噴き出し、笑い転げた。
怪訝な目を向ける彼に、ギルバートは笑いながら、彼女とは何の関係もない、と答えた。
彼女の弟と友達なだけでね。手紙を届ける為に寄ったのさ。
親戚て言っといた方が同情されるかと思って。ここに来る時も運ちゃんにそう言って乗せてもらった。
アーヴァインは些か呆気に取られて若者を見た。
その彼の眼を、若者の琥珀色の視線が射抜いた。]
――酒場――
[ドアに掛けられた札が『OPEN』になっているのを確認して、わたしは3つ、ノックをした。]
ローズ?居る?わたしよ、ステラ。
今ちょっとお邪魔しても宜しいかしら?
[ドアを開ける前に必ずノックをして声を掛けるのは、到来を知らせるよりもわたしなりの防御策かもしれない。無意味に傷付かない為の…心を護る為の防御]
[粗末な簡易ベッドの上で、人影がもそりと動く。]
―――………ドサッ。
[床に落ちた衝撃で目を覚ました男は、虚ろな目をしたまま、ベッドの横に置いてあったゴミ箱を引き寄せ、その中に顔を突っ込んだ。]
―――う゛ぇぇぇぇぇぇっ………
[ゴミ箱の中に収納されていた無数のメモ紙の上に、男は容赦なく吐瀉物を浴びせ掛ける。]
[ブラインド越しに挿し込む光を頼りに部屋を見渡すと、そこが無数の本を抱えた本棚に囲まれた書物の林であり、その『林』を構成する『木々』の足許には無数のメモ紙が晩秋の木の葉のごとく堆積している光景を見ることだろう。]
[男は、手許に落ちていたメモ紙を手にして、自分の口元を拭いた。]
……………。
[男は床から立ち上がると、昨日の『最悪の長旅』と吐瀉物まみれのゴミ箱を引摺り、トイレへと向かった。]
[スリルは、いつの時代も男を魅了するか。
彼のサングラスは、伊達でかけているわけではない。
まして、そのスピードは過ぎるという形容が似合った。]
Hit the road, Jack and don't you come back no more...
[目の前に、ピックアップトラックが見えた。
正確な表現では、追いついたのであるが。]
せっかく気持ち良いところなんだがなあ。
[この道は、自分が支配すると言わんばかりに、
サングラスの男はムッとした様子であった。
イタリア車特有のパッシング音が響く。]
[その後は何をギルバートと話したのか、アーヴァインはあまり覚えていない。
たわいもない世間話であったのだろう。
ただ、写真を撮るのが趣味であることは話したかも知れない。気が付いたら、彼をモデルに写真を撮らせて欲しいと頼んでいた。
若者が柔らかく笑いながら、太腿を叩いた時、何故かホッとしたのを覚えている。……]
[背後からのパッシング音が轟き渡るのに、やっと気付いたようにピックアップトラックはもたもたと脇に逸れて停車した。
満載した荷物の重さに見あった鈍重な動きだ。]
[ピックアップトラックが、脇に逸れるのを見、
猛スピードで、その横を駆け抜けていく。
運転は乱暴。あわや当逃げといったところ。
小石を2,3トラックに弾いたかもしれないが、
意に介さないように、通り過ぎていく。]
[男は、トイレの中に吐瀉物とメモ紙をまとめて放り込み、深く暗い水の渦の向こう側へと押し流した。
処刑しないでくれと哀願する罪無きメモ紙たちもちらほらと見受けられたが、男は冷ややかな目で彼ら(或いは「彼女ら」だろうか?)を渦の向こう側へと容赦無く送り続ける。
――このような事態には、多少の犠牲はつきものだ。致し方無い。]
[次々と吐瀉物と惨劇に巻き込まれたメモ紙を渦の中に押し込むうち、渦の方が疲弊したらしく、時折『ゴボリ』という無様な音を立てて渦を巻くのを止めようとした。
しかし彼は、渦に対しても容赦はしない。何度も何度も繰り返し渦を喚起させ、酷使し、彼(或いは「彼女」だろうか?)をワーカホリックに仕立て上げる。]
[そして長い格闘の末、男はついに吐瀉物(と可哀想なメモ紙たち)を、自分の目の前から抹殺してみせたのだった。]
[ドアが開く音と同時に、聞き慣れた甘い声が耳許を掠る。
くすぐったい感触にわたしは僅かに目を細めて、親しい友達としてのハグを行うべく腕を伸ばした。]
元気そうで何より。店も綺麗に片付けたのね。
大変だったでしょう?掃除とか…。
[労いの言葉と共にわたしは辺りを見渡し、彼女の一番乗りという言葉の意味を再確認する。]
[簡素な風呂場でゴミ箱と手を洗い終えると、男は書斎に戻り、黒い革の手帳を読み始めた。]
[『エピソードを記憶する能力』に一部の欠損が見られる彼にとって、メモ紙はそれを補う貴重な戦力であった。(先ほど、たくさんの『兵士』を渦潮の中に処刑した経緯はあるが、多少の犠牲は避けられない。致し方の無い話である。)]
今日は………
[スケジュールを見直し、今日の方針を決める。ボサボサの髪を整え、アイロンの掛かった襟付きの白いシャツに着替えた。]
[書斎に鍵を掛け、家の玄関にも鍵を掛けると、男はいずこともなく歩き出した。]
[ステラに笑顔を返して]
たいしたことはなかったわ。
ただね、食材があまりないからメニューが少ないのよ。
お酒なら普段どおりにだせるんだけど。
なにか飲む?
書生 ハーヴェイ が参加しました。
やっぱろくなことにならないな、へイヴンって所は。
[久しぶりに自宅へ戻って見れば災害にあう羽目に。
やはりこの土地は自分には災厄しかもたらさないのかもしれない。
外の状態を再確認した後、窓をのぞきながら一人ごちた。
深いため息をつきながらわずかに取り散らかしたリビングを片付ける。しかしその家は一人暮らしの為には何もかもが大きすぎ。
両親が越してから幾分長い月日が経ち、自分が帰宅してからハウスキーパーしか足を踏み入れなかった自宅。自身が戻って数日は経っていたけども、相変わらずがらんとしている。]
…広い家だったんだな、ここ。
俺は小さい所が好きだったんだけど。
[落ち着いたら早く戻ろう、とまたぽつり呟く。夕飯は一人では作る気にはならないだろう]
[ステラのいい匂いを堪能するとローズマリーは自然にすっと身を引き、店内にステラを引き入れた]
カウンターでいいわよね?
[抱きしめられた瞬間、彼女の胸元からうなじから、女性特有の蕩けるような甘い匂いが零れ落ち。
わたしはその香りだけで胸が締め付けられそうになった。]
そう。それは良かったわ。疲労で美人なあなたの顔がくすんだりしたら、復旧作業で汗水垂らしている若い男の人たちはさぞかし嘆くでしょうからね?
[冗談交じりで呟いた言葉に、胸がちりりと焦げ付くような感じを覚えた。
嗚呼どうしてわたしはこうも――]
あ、食事はね。お腹が減っていないからまだ良いわ。
それより飲み物が欲しいの。えーっとねぇ。シティ・コーラルって言いたいところだけど、実はまだ仕事が残っているの。
だから、カクテルを作る時に使用する炭酸水で良いわ。
ごめんなさいね、わがまま言って。
[名残惜しむように上体を剥がして。
わたしは空いている席に腰を下ろした。]
あら、ソーダでいいの?
レモンでも絞る?
その方が身体にいいんじゃないかしら。
ステラ、あなたちょっと疲れてるみたいだもの。
[ローズマリーはレモンをスクイーズするとソーダで割ってだした]
[出し過ぎと言われても仕方ない速度で、走る。
しばらくして、目的地の前に着く。
走っている最中とは、極めて対照的に慎重な
駐車を行うと、上品そうに車から降りる。]
……うんうん。
[さすがに、略装だがそれなりの身なり。
酒場の戸を、コンコンと叩く。]
あら、誰か来たみたいね。
ステラ、ごめんなさい。
[カウンターから入り口へそして扉を開け、ボブが来たことを知った]
あら、いらっしゃいボブ。待ってたわ。
[ボブに歓迎のハグ]
[差し出されるレモン入りの炭酸水のグラスを手に取り]
ありがとう。気遣ってくれて。
疲れ…そうかな?
ちょっとだけ…夢見が悪かっただけだかも…。
[少しだけ視線を伏せて、わたしは無理に笑顔を作って見せた。
嘘の笑顔を作るのだけは得意になった。歳を重ねるごとに。嫌な癖だとは思う。
出来れば、あなただけには綺麗な笑顔を見せたいと、常日頃から思っているから。]
ところでローズ、こんなに早くお店を開いたりして…。大丈夫なの?ほら…色々と大変だったんじゃない?
だからもうすこしゆっくり休んだ方が良かったのかなぁって…。
お客としては、早く開いてくれて嬉しいんだけど、その…友達としてはやっぱり心配だから…。
[会話が思いつかなくて。でも彼女の声を聞きたくて。
わたしは当たり障りの無い話を振ってみる。
そんな自分が…少しだけ情けないと思う。]
―屋外―
[ちょっとした日差しに足を取られながらも、その罠に負けることなく男は歩く。小道の端々には、ひどく前衛的な姿へと生まれ変わった木々が風にそよがれ、思うがままに揺れている。]
[影。琥珀色。]
[誰だろう。]
[別に誰でも構わないのだけれども。]
[ハグに、ハグで返す。]
いやぁ、申し訳ない申し訳ない。
[中に、ローズマリー以外の人影を認める。]
愛車で飛ばしてきたけど、どうやら一番乗りは
お客さんに譲ってしまったようだね。
[濃い褐色の顔に浮かぶ、白い歯が笑いの形。]
牧師 ルーサー が参加しました。
―町外れの小高い丘―
[ルーサーはヘイブンを一望できる静かなこの場所が好きだった。独りで考え事をしたいときなどは決まってここを訪れ、思索に耽るうちに夜が明けることも度々あった。]
このようにして、あなたがたの魂に及ぼす神の精霊の偉大な力により大いなる回心を経ていない者はすべて、また、生まれ変わり新しい人間に作り変えられていない者、罪業の死より蘇って更生させられていない者、経験したことのまったくない光と生命に直面したことがない者はすべて……
[彼は覚えずに呟いていた。]
怒れる神の御手の内にいる……、か。
[ヘイブンを見下ろす彼の目はどこか力なく、どこか寂しげだった。]
ううん、気にしないで。
[宙に浮いた会話は虚しくカウンターにばら撒かれ。
わたしは胸が軋むような感覚に陥った。
その痛みを紛らわすかのように。グラスを傾ける手を早めた。]
[ボブからすっと離れて]
ええ、ステラが来ているわよ。
お客さんは少しでも多い方がいいでしょう?
まず、一杯飲んでからにする?
[そのままローズマリーはカウンターにもどる]
ステラ、お待たせ。
んー、わたしのこと心配してくれてるのねー。
ありがとう。
でもね、こうしてお店開いてる方が、いろいろと気も紛れるし、あなたとも会えるじゃない?
わたしはこうしてお客さんと話すのが好きだもの。
これがないと元気がでないわ。
そうだなあ。ちょっと飛ばして来たしねえ。
バーボンでも頂こうかな。ストレートで頼むよ。
チェイサーは、そうだなあ…いいや。
[ローズマリーにそう告げると、ステラにニッコリ
微笑んで会釈。カウンターへ向かう。]
[カウンターに戻ってきたローズを、わたしは何処か醒めた目で見つめていた。]
ううん、気にしないで?
それより…あの方のお相手をしなくて良いの?
そのっ…お邪魔だったらわたし…すぐ居なくなるけど…。
[ボブと呼ばれていた男を一瞥して。わたしは小さく溜息を吐いた。
この人が今の…。
そう思うと虫酸が走るような気がした。穢されている。彼女が――]
そうね…。お店が開いているから…。わたしもローズと逢えるわけだし。
うん、やっぱり生きがいは大切よね?
だけど無理しちゃ嫌よ?わたし、ローズが倒れちゃったらきっと泣いちゃう。
[その言葉は嘘ではなかった。
でも本心でも無いだろう。
涙を拭う振りをして。わたしは立ち去る頃合を見計らう]
[土から手が伸びる。
無数の手は彼の身体を捕らえんとし、路傍の石と思しき物体は彼に攻撃を食らわせてやろうとして目に見えない程度の距離だけ間合いを詰める。]
[彼が琥珀色の影に気を取られた隙に、土から生まれ出た無数の腕が、彼を大地へと叩き付ける。]
――ドサリ。
[しかしその手には彼を土の中へと引摺り込む力は無いらしく、彼を地に放置したまま元の位置へと帰っていった。]
………っ痛ぇ………
[無様にも地に倒れ込んだ男は、彼を陥れようとした路傍の石の硬い感触を頬で確かめている。]
[カウンターへと向かってくるボブという男につられ、わたしも愛想笑い程度の笑みを浮かべる。
与えられたものには、それ相応の同等の価値を。
表面上はさもにこやかに装って。会釈も忘れない。]
─ローズマリーの酒場前の路上─
[軋んだ音と共にピックアップトラックが停車する。
ややへこみのあるドアが開いて、中から滑るように飛び出してきたのは、カウボーイブーツを履いた足、そして。
路上にバックパックを放り投げるように下ろして、彼は降り立った。]
[部屋の後片付けの後、いつもはそうでもない腹の虫が妙に鳴る。
自身で料理が出来ないわけではないが、一人で作っても味気ないもので]
…はぁ。
[外に出るのは何となく重い気分を振り切るのにもいいかもしれない。
誰かに会うと思うと気が進まないのもあったが、それ以上にここに居たくない気持の方が大きくて。
一つ吹っ切ったような大きなため息をつくと、外へのドアノブをまわした。
そう広くもない町の中、ぶらりと向かう先は…酒を出す店。
無意識にそこに向かったのは幼い頃、年齢的にも入ることができなかったからで。確か営業時間外に遊びに入ったことはあったから、店の人間とは顔見知りであったけれども。
明かりがつくその店、見上げてぽつり]
…やっぱ酒出す所はいつでも営業してるんだなぁ…。
[感心したような、あきれたような。再びもれたため息は多そうな人の気配からか、人類共通の酒好きからか。]
あら、わたしもステラが倒れたりしたら泣いちゃうわ。
あなたも無理しないでちょうだいね。
[カウンターから身を乗り出してステラの頬にキスをしようとした]
上等上等。それじゃあ頂くよ。
[グイっと煽り、ビーフジャーキーを齧る。
ローズマリーとステラの様子を見ながら]
……まあまあ、2人とも。こういう時にね、ツイてるよ。
No music, no life.ってヤツさぁ。
[出されたものを、胃袋に押し込むと、演奏の準備をする。]
ツイてるぜ。一流じゃあないのは勘弁だけどな。
[カウンターから身を乗り出してきたローズに、一瞬だけ身じろいたけれど。
それが親愛の証と理解して。]
えぇ、お互い無理はしないように。ね?
[頬に当たる感触を素直に受け取った。]
[営業中、と確認し、がちゃりとドアを開けた瞬間に目に入った光景――ローズマリーがステラの頬にキスを送ろうとする瞬間を目の当たりにし、少し硬直]
…え〜っと…こんばんわ…。
[とりあえず当たり障りのない挨拶]
ツイてる?
どうして?
[差し出されたグラスの中身を傾けるボブの言葉に、わたしは不思議そうに首を傾げて。
ビーフジャーキーを齧る姿をじっと見つめる。
そしてカウンターから立ち去る姿を目で追うと。
彼が言っていた「ツイてる」という意味を、おぼろげながら理解した。]
あなた…演奏が出来るの?
[ステラの頬に軽く口づけしたあと、扉が開く音に気づいて]
あら、いらっしゃい、お久しぶりね。
[ハーヴェイに軽く手を振った]
[大地に背を預け、男は空を見渡す。]
………………………。
あー……そういや、水害があったっていう話だったっけか。
例の夫人が「忙しいからまた今度お会いいたしましょう?」だなんて言ってたから、きっとよっぽどのことだったんだろうなァ……
[自分も被害に遭ったはずの水害をさも他人事のように思い出し、男はぽつりと呟いた。]
あー…………………
腹減った。
ハッハハハハ……できる…か。
[サングラスの奥の瞳が、鋭く光る。]
まあ、有名どころと比べるとランクは落ちるし、
知らないのも無理はないと思うがね。
[ピアノのところに移動し、準備をする。]
[キスを受け、ツイているという意味をおぼろげながら理解したわたしの背後から聞こえる新たな声に。
わたしはこんな時期なのに随分と人が集まるものだと、半ば感心した。
いいえ、こんな時だからこそ。人は人を求めるのかも知れない。]
新たなお客さんは幸か不幸か。どちらかしらね?ローズ?
[頬に受けたやわらかく真新しい感触を噛みしめながら、わたしは悪戯っぽい視線を、入り口付近に佇む青年とローズへと同じ重さだけ投げかけた。]
[男はむくりと起き上がり、無防備な大あくびをひとつくれてやった。]
ふぁああぁあああ……ふぅ。
ん。メシでも食うか。
今日はアレやらコレやらあるから、軽く摘めりゃいいか……
[酒場の明りを目指し、男は歩き出した。]
ごめんなさい、ボブさん。
わたし、流行の音楽には滅法弱くて…。
[彼の口から紡がれる言葉で、誰もが知り得る有名なミュージシャンではないけれど、それでもそこそこの腕を持つ人だということを知らされる。
そしてその興味は、わたしをこの場から立ち去るタイミングを。いつの間にか奪ってしまっていた。]
[ステラに笑顔を向けて]
さあ、でも、わたしの店に来られたのはラッキーじゃないかしらね?
ボブはね、いい演奏するわよ。
あなた、聞いたことなかったかしら?
[カウンターからでて、ハーヴェイをテーブル席に案内した]
ハーヴェイさんはお食事かしら?
今日はサンドイッチぐらいしか作れないけど、それでいい?
あと、お飲み物は?
[返される笑顔。営業用だとわかっていても、魅了されるローズの笑顔に瞳を奪われて。]
良い演奏…そうなの?
聞いた事は…多分無いのかも…。
[正直ここに居るときは、あなたに全てを奪われているから。
だから覚えて無いのと言ったら、彼女はどんな顔をするのだろうか]
[叩き付けるようにしてドアを閉めると、派手な音が辺りに響き渡る。
彼は運転席を覗き込み、車内の人影に投げキッスを送った。チュッと鳴らした唇が、悪戯な微笑を形作る。
やがてトラックがガタガタと発車するのを、彼は手にしたカウボーイハットを振って見送った。]
―酒場―
[男は、ガチャリとドアを開けた。]
メシ………
[とだけ呟くと、男は適当に空いている席にドサリと座った。白いシャツと黒いタイトなパンツには、ところどころ砂埃の跡が見られる。]
["Salem"と書かれた緑色の箱を取りだし、ライターで火をつける。耳に入る音を聞きながら、男は強烈なメンソールの臭いがする煙を吐き出した。]
それじゃあ、まずはGeorgia on my Mind。
[R&Bのリズムを奏で始める。
有名歌手が歌ってヒットさせたもので、
皆が知っているだろうものを選んだようだ。]
歌ってもいいけど、雰囲気が大事だからね。
まずはインストゥーメンタルで楽しんで。
[響くR&B]
[ローズマリーから手を振られて軽く会釈を返し]
ご無沙汰してます。お元気そうで。
[ステラとボブを見止めて同じく小さく会釈]
…どうも。
[二人に対して言葉が少ないのは、ステラが来た一年後に自分はヘイヴンを出ていたし、ボブの生業に興味を持つにはその頃の自分は若すぎたからで。二人とも顔と名前程度の認識だったのかもしれない。
ローズに案内された席に着くと]
サンドイッチで十分です。
にしても珍しいですね、こんな時間から営業なんて。
まぁ俺は助かるけど。
飲み物はソフトドリンクならなんでも。
[突然入ってきた人物に一瞬目を見張ったが、ナサニエルだとわかったほっとした表情になり、ハーヴェイのテーブルからナサニエルを振り返った]
まあ、ナサニエル。
あいかわらずね…。
夕飯ね。サンドイッチぐらいしかできないけど、今、用意するわ。
[ハーヴェイに笑いかけるとカウンターに戻る]
[目的地と思しい店の前には、一見してそれと分かるイタリア車が停車していた。
彼は笑いながらその尻に一発蹴りを入れ、「OPEN」の看板が掛けられたドアへと入っていった。]
─ローズマリーの酒場─
[ボブの軽口から流れる曲の説明に続いて、ピアノの曲が酒場を包み込む。
もしかしたら聞いたことがあるかもしれないと思った。
抹消したい過去の中で。]
あら…?珍しい人も…着たのね。
[そして開けられたドア。ドサリと音を立てて腰を下ろした男の姿を視界に納めたわたしは、手間が一つ省けたと小さく溜息を吐いた。
交わしている契約施行の、次の約束を取り付けるための手間が省けると]
[ボブの演奏にあわせてリズムをとりながらローストビーフのサンドイッチを二人分準備してカウンターから再びテーブル席のハーヴェイのところへ]
おまたせ。ローストビーフのサンドとアイスティよ。
ごゆっくり。
[そのままトレーを持ってナサニエルの席へ]
はい、ローストビーフのサンドイッチよ。
飲み物はどうする?
[再び開いた扉に振り向いて、見知らぬ男性が入ってくるのに少し眉をしかめて]
いらっしゃいませ。
初めてのお客様ね。
お食事かしら? それとも、お酒?
ん……ああ。それで十分だ。
軽く摘めればそれでいい。
[煙草で灰皿を弄びながら、ローズマリーがカウンターに戻る姿に、軽く視線を送った。]
[そして、自分と同じように彼女の姿を目で追う「契約」相手の姿を確認する。――今はその時ではないのだけれども。]
─ローズマリーの酒場─
……どうも。
[カウボーイハットを胸に押し当て、にこやかに微笑む。]
ここはローズマリー・ベアリングさんの店……だよね?
[茶髪の青年――確かハーヴェイといったかしら?――に、軽く会釈をして。
わたしは温くなりかけたソーダ水を飲み干した。
ボブの演奏は聞き惚れるほどで、出来ればずっと耳を傾けて居たかったが、そうも言ってられない事に気が付く。
わたしにはまだ、仕事が残っているのだ]
ごめんなさい、ローズ。折角の演奏なんだけど、わたしそろそろお暇しなくてはならないの。
だからボブには次もまたと伝えて?
[心底申し訳なさそうに謝って。わたしはカウンターに少し多めの金額を置いた。]
[入ってきた男性の笑顔に微笑みかえして]
ええ、そう。
ここはわたし、ローズマリー・ベアリングの店よ。
なにか御用かしら?
これ。預かってきたんだよ。弟さんから。
[ゴソゴソとポケットを探って、よれよれの封筒を取り出すと、ローズマリーに差し出した。その表面にはローズマリーの名と、もう一つ「セドリック」の名も記してあった。]
まあ読んでよ。
[そう言うと、ニッと人懐っこそうな笑みを浮かべた。琥珀色の瞳が楽しげにさざめいている。]
ナサニエル…?
[突然入ってきた彼の顔を見るのもかなり久しぶりか。顔は何とか認識できたが昔の記憶と様子が食い違うのか、顔を顰める。もちろんタバコの煙もその原因の一つだったが]
……
[無言で席を替わり、適当に食事と飲み物を摂る]
[そして次から次へと押し寄せる客に、俄かに忙しそうな素振りを見せるローズに手を振って。
わたしはカウンターの席を静かに立ち上がった。
そして――]
――あっ…。これ、貴方のではないですか?
[店を立ち去る間際、ナサニエルの傍でわたしはわざとらしく身を屈め。
何かを拾い上げるような仕草をして、彼のいるテーブルに約束事を取り付ける小さな紙を落とした。]
明日、宜しかったら契約施行、お願いできないかしら?
内容は…その紙に書いてあるわ。
無理なようなら電話を頂戴?
[立ち上がる仕草に合わせて、声を低く落とした囁きを残して。わたしは何事も無かったかのように、綺麗な曲が流れる酒場を*後にした*]
飲み物……そうだな。
ジンジャーエール。
[それだけ言うと、男はサンドイッチを口にする。口の中にローストビーフの薫りが広がる。そういえば彼にとっては1日ぶりの食事である。(例の『最悪の長旅』のせいである。)
その時、背後からピアノの音色に混じって扉が開く音がした。砂埃にまみれた背中をよじり、そちらの方を見る。
見慣れぬ男、琥珀色の影。……先ほど見た影と同じだろうか。いや、どちらでも良いのだけれど。]
[しかし、男は黙ってその様子を見守ることにした(もしかしたら単純に腹が減っていたからかもしれないが)。]
[ローズマリーに手紙を渡す青年、自分が居ない間の人なら知るわけもないが他の人々の反応やそのいでたちから外部の人間と知る。
ものめずらしそうに視線を送りながらも、やっと耳に入りかけてきたボブの演奏に集中しようとさっさと視線をはずす]
[ローズマリーは訝しげに封筒を受け取る。
そこに記された筆跡はたしかに弟のものだった]
あら、セドリックの手紙なのね。
わざわざありがとう。
[「読んでよ」と言う男性の勧めにしたがって封を開け、手紙に目を通す。
手紙の内容はといえば、この手紙を持ってきた人物に大変世話になったということ、ヘイヴンのことを話したらこの場所に興味をもったこと、できたら泊めてやって欲しいということとなどが書いてあった]
あなた、ギルバートさんって言うのね。
弟がお世話になったそうね。ありがとう。
しばらくここに滞在していくの? ギルバートさん?
それなら宿が必要ね。
ここの上のシャワーのついた個室なら泊めてあげられるけど。
どうします?
[目の前に現れた「契約」相手が、そっと小さな紙を落とした。]
………………。
[『明日、契約』
『内容は紙に書いてある』
それら必要最低限の言葉を耳にし、男は紙に書かれた内容を確認する。]
あぁ……俺のだ。
ありがとう。
[それだけ言うと、男は黙って紙をシャツの胸ポケットに押し込んだ。]
世話したっつうか世話んなったっつうか……
うん。まあバイト先で知り合ってね、色々と。
ああ。結構大変な時に来ちゃったみたいだけど。
大丈夫なのかな?泊めてもらえる?
俺、あんまし金無くて。
[「泊めてあげられるけど」と言うローズマリーの言葉に喜色を浮かべ、思わず、といった態でその手を取る。]
うんうん。もう十分です。ありがと。
弟が世話になったんだもの、しばらくぐらいならただでいいわよ。
でも、こんな時に来るなんて、大変だったでしょう?
足がなかったんじゃないの?
[男はある程度腹が満たされたらしく、煙草とジンジャーエールを交互に口に運びながら周囲を見渡した。そういえばハーヴェイ――ユーインの弟――が彼をそっと避けたのを思い出した。]
………煙草か?
[それだけ言うと、メンソールのきつい臭いを放つ煙草を灰皿に押し当てた。]
あー。それは麓の街で救援物資を運ぶトラックが出るって聞いたんでね。出るところを待ち伏せしてヒッチハイクしたって訳。
叔母さんの様子が気になるから行きたい、って言ったら同情してくれて。案外あっさり乗っけてくれたよ。
[悪戯っぽく眼を輝かせた。]
それと。早速だけど、シャワー借りていいかな?
ここ数日風呂入ってないんで・・・。
あっと。洗濯もしたいんだけど。
[少し上目遣いに甘えるように笑いかけた。]
まあ、あきれた人ね、ギルバートさん。
そんなにしてまでここに来たかったのにはなにか訳があるのかしら?
ここはなんにもない所なのに。
[ナサニエルが自分を見てから煙草をもみ消しているのに苦笑して]
別にいいよ。俺もう食べ終わったから。
先に失礼しますよ。
[そう言いながら出されたものを粗方食べ終わらせ、ローズへ(自宅の癖で)食器を返し、代金を支払うと]
美味しかった。ありがとう。
それと、ボブさん…だっけ、あの人にピアノ綺麗だったって伝えておいて下さい。
あぁいうのが聞けるならまた来てもいいですね。
[自分の横で会話を交わすギルバートへも小さく会釈をし]
暫くここに滞在ですか?それならまた会うかもしれませんね。
よろしく。
[あえて名乗らなかったのはできればあまり関わりたくないという無意識の行動か]
あら、すぐ部屋に案内するわ。
疲れているのに質問責めにしてごめんなさい。
部屋にシャワーはついてるから、それを使ってちょうだいね。
[店にいる誰にともなく声をかけて]
ちょっとこの人をお部屋に案内してくるわ。
[カウンター脇の扉をあけて]
案内するわ。こっちよ。
別に。セドリックが変わったところだって言うからさ。
俺は大陸横断したくて旅してんだけど、あんまし人が行かないようなところに行ってみたいんだ。
[案内してくれるというローズマリーに、嬉しそうに微笑みかける。
ついでに、軽く店内に居る他の客に向かって会釈した。]
どうも。よろしく。
[カウンター脇の階段を登ったところに客室が二つ並んでいる。そのうちの一つにギルバートを案内し、ローズマリーは店に戻ってきた]
これでやっとボブの演奏が落ち着いて聞けるわね。
[始まった二曲目にも暫く耳を傾けていたが、そのまま静かに店を出る。
妙に気疲れしたのは久しぶりの面々が多かったからかそれとも別の要因か。
今は大して気にもとめず、そのまま自宅へと戻るだろう*]
………ああ。
[ローズマリーが放った言葉に、軽く視線をやる。]
俺もそろそろ行くわ。
ピアノも堪能したことだしなァ…。
[そう呟くと、ポケットから無造作に紙幣を取り出し、テーブルに置いた。]
ごちそうさん。
[男は扉を開け、外へと向かった。ユーインの弟の背中が見える反対方向に、今から「契約」を実行する相手の家がある。]
[『あら…服が汚れているじゃない。私が洗ってあげるわよ。
ねぇ……その間に、ちょっと楽しみましょう?』
家事は好むものの料理だけはどうにも下手な「契約」相手が一番好きなシチュエイション。仕事でヘイヴンの外にいる夫の目を盗んでは、彼と関係を持っている主婦。たまに就学前の子どもが寝室に入り込むが、彼女はそれを気にせずまぐわうことを好むのだった。]
ん……もうちょっとくらい汚すべきだったかなァ……
[男は空を見上げて*呟いた*]
[でていくナサニエルの後ろ姿に]
おやすみなさい。
きちんとご飯はたべるのよ、ナサニエル!
[ローズマリーの口調が母親のようになっていることを自覚しているのかしていないのか、少し心配そうにナサニエルの後ろ姿を見送ってから]
[カウンターにひじをつき、ボブの演奏に*耳を傾けている*]
美術商 ヒューバート が参加しました。
――――
DPIA #:76-199
DARWIN'S
PRIVATE INVESTIGATIVE AGENCY,INC.
Serving Since 1958
=======================
This Report Constitutes Confidential Work Product and May Further Constiture Work Product of the Nature of an Attorney-Client Privilege
件名:ヒューバート・バンクロフトに関する行動調査報告
197X年X月X日
1.東部標準時9:15AM頃、シカゴ在住の美術館学芸員ホレス・ワイズマンと共に自家用車で自宅を出る。
2.ホレス・ワイズマンはピッツバーグでシカゴ行きのアムトラック、ブロードウェイ特急に乗車。(発券記録から確認済。ホレス・ワイズマンに関する調査DPIA #:76-182付表参照)
3.ペンシルバニア州カンバーランド郡ワンクより東に1.5マイル、州間高速道路76号線沿いのガソリンスタンドで給油と洗車、自宅に電話。通話時間は8分14秒(通話記録より)
・
・
――――
――――
In younger days I told myself my life would be my own
And I'd leave the place where sunshine never shone
若い頃には自分自身に言い聞かせていた。自分の道は自らで定めるのだと。そして日の輝かぬ郷里を去るのだと。
――
カーラジオからはバッドフィンガーの『Carry On Till Tomorrow』が聞こえてきた。
私は、深い緑の中を貫く道路を滑るように疾駆する純白のカブリオレの車中でカーラジオのボリュームを上げた。
空を見上げれば、深く吸い込まれるような青い空。穹蓋の頂上にかかる烈日は、眩いばかりの陽光を惜しげもなく降り注いでいる。
初夏の頃合いで、いまだ盛夏の火焔を思わせる日差しほどではない。森の木々も草原の草花も日の光を喜悦として震え、天への渇望と共に伸びゆこうとする。繁茂する緑の深く鮮やかな色彩には漲るほどの生命の力が顕れていた。吹き抜けてゆく風に草木の息吹や家畜の体臭が混じり、周囲に満ちている生命の存在に確かな感触で触れあうことができた。
――
――――
天蓋がなく、車高も低いスポーツカーだからこそ感じることのできる風景との一体感は、一度手にすると忘れ去ることのできないものだった。
ロメッシュのビースコー、カブリオレ。それが、その車の名前だ。
――
――
私が最初にその車を知ったのは、アートスクールに通い始めたばかりの頃だった。友人にカーマニアの男がいて、珍しい車がある、とカー雑誌を差し出したのだ。
その頃の私にとって、車などせいぜい頑丈で故障することなく長距離乗ることができさえすれば十二分なものだった。一日も早く彫刻家として身を立てることを誓っていた私に、そんな余裕がなかったとも言える。なにしろ、美術制作というのはとにかく物入りだ。まして私は若くして所帯を持ち、娘さえいる身の上だった。ニューモデルどうだとか、スポーツカーがどうのといった金のかかる贅沢な趣味とは縁がない。
スポーツカー、と聞いただけで私は諦観混じりに鼻で笑い、写真も見ないままヒラヒラと手を振りかけ――だが、その眼差しは誌面の中央を飾る曲線で描かれたロメッシュの優美な佇まいの上に留まった。
それは確かに、実用本位の家族向け自家用車とは違う次元にあるものだった。金属をまるで意のままに変化させ形作られたような滑らかな曲面からなるボディは、人工物というよりは鉄の産道から産み落とされた機械の女神を思わせた。
「これは実車を見てみたいと思わないか? この曲面がどんな風にできあがってるかをさ……」
彼の言葉に、美術的な興味が更に煽られた。私は意識するより早く、頷いていた。
==========
その車を実際に手に入れるのに、それから十年近くの時を要した。その間、私は作品制作に没頭し、働きづめに働いた。
決して安くはなかったが、今にして思えばその代償は決して高くはなかったように思う。彫刻家としての修業時代にロメッシュと出会ったことは私の作風に少なからぬ啓示を与え、また活力の糧となったからだ。
しかし、この理不尽な欲求を他者に理解してもらうことは簡単なことではない。
ロメッシュを手に入れウキウキと帰宅した私を迎えたのは、妻エリザの凍てつくように冷たい眼差しだった。
「なによ、これ」
エリザはロメッシュを一目見るなり眉を蹙めた。ごく控えめに表現しても、気に入っていないのは明らかだった。
「なにって、見ての通りだよ。新車を買うって言ってあっただろう?」
「ああ……バート。冗談は言わないで」 彼女は呆れたように首を振った。
「これが車ですって? こういうのは車とは言わないわ。芝刈り機を車とは言わないように。屋根だってついてないし、シートは二つしかないし、荷物だってあまり載らないでしょう?」
もう少し好意的か、悪くても関心が薄い程度だろうと予想していた私は当惑しながら、ロメッシュの弁護をはじめた。
「そういう車なら、もう家にあるじゃないか。ニューヨークまでの往復時間を短くするために、スピードの出る車は必要だったんだ。」
話をする隣で、娘のシャーロットはロメッシュを覗き込んでいた。私は、綺麗な車だろう?と声をかけた。
「オープンカーは気持ちいいしさ。外に出るのだって楽しくなるぜ?」 それでも、エリザの気持ちが晴れる様子はなかった。むしろ、その表情には嫌悪と怯えが滲んでいさえした。
「屋根がついてなくて、すごいスピードで走るんでしょ? カーブを曲がったら車から放り出されるわ。ロケットやカミカゼの飛行機に乗るのと変わらないわよ。」
オープンカーは風の巻き込みも少ないほど空力的に考慮されていて、実際に乗ってみると無防備な感じはあまりしない。それでも、未知の乗り物は彼女にとってそのように見えていたのだろう。ロケットの打ち上げ失敗が多発していたのは昔のことで、アポロは月に行った、とどこか的外れなフォローをしてみたところで虚しいばかりだった。
エリザはキッパリと自分の意志を表明した。
「こんな車、誰が乗ると言うの? あなた以外に――」
私は諦めのため息を漏らした。ともすれば町に籠もりがちな妻を連れ出すきっかけにもなるかもしれないと、少しでも考えたのは勇み足だったようだ。
家族用の車は別にあったが、ニューヨークまでの往復に用いる時にはその間家に留まる妻には不便を強いた。どのみちもう一台の車は必要ではあったのだが、好意的に迎えられないことは居心地の悪いことだった。
ロメッシュは不遇なコーチビルダーで、ベルリンにあった工場はベルリンの壁の向こう側となり消えた。私が手に入れることを具体的に考えるようになった頃には既に生産が終了していたのだ。様々な伝手を通じてたっての希望で入手したその車を返品できる先がなかった。
既に哀願に近い気持ちにさえなっていた私が再び説得を試みようと顔を上げ――すぐそばにいた少女と視線が絡んだ。
「シャーロットは乗ってくれるよ」
私の願いがつい言葉になっていた。
シャーロットはつぶらな瞳で私を見つめ、エリザを見た。少し置いて私に眼差しを返す。わずかな時が酷く長く感じられた。
はぐらかそうと「――たぶん」とつけ加えかけたその時――
――――
――――
Drifting on the wings of freedom leave this stormy day
And we'll ride to tomorrow's golden fields
自由の翼で滑空しながらこの嵐の日を逃れ
明日の黄金の沃野へと羽ばたく
――
[怖ろしい嵐のただ中で尋常ならざる被害を受けたヘイヴンのことが思い出された。バッドフィンガーのその曲は、前向きな歌詞でありながらメロディも歌声も英国的に憂鬱で、どこか悲壮感が漂ってさえいた。
私は音量を絞るとクラッチペダルを踏み、ギアをシフトさせた。そして、最初に見つけたガソリンスタンドに滑り込んだ。]
―ヘイヴン外・ガソリンスタンド―
[ヘイヴンに通じる道路が復旧するまでは、域内の移動は乏しくなったガソリンをなんとかやりくりするばかりだった。その苦い経験が新鮮なため、ガソリンの残量が随分と気にかかる。
飛び込んだガソリンスタンドで給油を行い、ついでに軽く洗車を頼んだ。ぼさぼさに髪が伸びた店員の作業を横目で見ながら、公衆電話で自宅にかけた。電話も暴風雨で一時不通になっており、家を離れた時には機能しているかどうか時折気になった。]
ああ、そうだ。彼を駅に送り届けて、今、帰るところだよ。
[電話口に出たのは、意外なことにエリザだった。日中、普段は母屋の事務室で事務仕事に従事している彼女が主な住居になっているアトリエの方にいるのは珍しい。]
「くれぐれも運転には注意して」と彼女は言い、こうつけ加えた。「そうでないと、あなたでなく生命保険の契約書が私たちを養うことになるわ」
[いつもながらの口調に苦笑いしながら、皮肉めいた冗談が口から零れた]
『どっちもほとんど変わりがないけど』とか言わないでくれよ。
「まさか」
[否定の言葉は意外だった。彼女からはその種のことをよく耳にしていたからだ。電話では相手の表情が見えない。だが、続く言葉はやはり予想通りだった。]
「――紙に養ってもらう方がずっと楽よ」
[乾いた笑いを返すと、シャーロットを呼んでくれるよう彼女に頼んだ。]
[話をしている最中、轟音を上げて数台のトラックが行き過ぎていった。]
すまない。ちょっとよく聞こえな――
[受話器の耳に当たる部分を手で覆い耳を欹てながらトラックの方を見るともなく見送る。一瞬、目の前を過ぎ去るものに視線が定まった。]
カウボーイハット……
[トラックの運転手の交代要員や、土木作業に従事する人足といった雰囲気ではない。だが、どこへ向かうとも知れぬその姿に注意を奪われていたのは、僅かな時だった。]
ああ、いや。なんでもないんだ。
[再び電話の向こうに意識を戻す。様子に変わりがないか、町の外でなにか欲しいものがあるかと二三言話して電話を切った。]
―ヘイヴンへの途上―
[鉄橋を渡り、森林深くに分け入るに従って路面が荒れている。慎重にハンドルを切りながら、つづら折りになった勾配を抜けてゆく。
音声が乱れたカーラジオのチューナーをいじると、地方局にチャンネルがあった。]
「それでは、次の曲。地元が生んだスター、ボブ・ダンソックの曲――」
[木々の中で時折受信が悪くなるラジオのノイズの向こうから、彼の力強い声が響いてくる。
ヘイヴンはすぐそこだった。
深い緑の大海に白い影は*吸い込まれていった*。]
見習いメイド ネリー が参加しました。
はあ…どうしていつもこんな事を思い出してしまうのだろう。
忘れろ、と言うのも無理な話だけど。
[頭の中は掻き混ぜたコーヒーの中にミルクを一滴落としたようにぐちゃぐちゃになっていた。
何時からこんな感情に襲われるようになったのかも既に曖昧だ。
いいえ、それはネリー自身の理性が思い出させないようにしているのかもしれない。其れは3年前だったか。5年前だったか。ネリーはボブの宅、洗面台の前で鏡を見ながら耽っていた。]
[ネリーは住み込みで身の回りの世話をする事により生計を立てていた。
幾年か前の初めて行った所が極めて即物的な欲求を持つ者であり、ネリーは2年も3年も身体を要求されたのだ。]
ううっ……ん!
[衣服を剥がされ、四肢、首、あるいは口元にまで枷をうたれ、ヘイヴンを出た日によっては主の取引先の物達にまで。
あのおぞましい記憶は頭から除却しようとしても身体が除却するのを拒むほど、自分の中に染みついてしまい、激しく悩んでいた。]
[かつての主の名はノーマン、と言った。
世渡りが上手く、いかにも裏の顔を持ちそうであることを顔に書いてある風体だったが正しくその通りだった。
そのノーマンからネリーを救ってくれたのがボブだったのかもしれない。
職を離れて路頭に迷いそうになったネリーを救ったのは彼だったのだから。]
はっ。いけないいけない。こんな事を考えていても埒があかないわ。
そうそう、旦那様がローズさんに呼ばれてたんだったわ。
荷物持ちでもいいからついていきたいもん。
[ネリーは洗面台に向かって自分の表情をチェックする。
両手の10の指を伸ばし、鏡に向ける。
今日の雀斑はどうか。洗面、歯磨きを済ませる。ほんのりと薄い口紅。
右手で左の肘を掴みストレッチ、逆の手も。]
OK。
今日も元気ねネリー。
はい、わかりました。旦那様行きましょう。
[ネリーはすこぶる機嫌がよく心が躍っていた。
ボブとは親子ほどの年の差があったが、ボブはネリーによくしてくれている。ネリーはボブに概ね不満はもっていなかったし、ボブの社会に対する大きな役割を担っていたことに嬉しささえ感じるのだった。
ローズとはボブ繋がりで時々会うこともあったので心待ちにしていたのだ。]
きゃ、まだまだ路面は荒れてますね。復興はまだまだ先ですわ…
[ボブの軽快と言うべきだろうか、ハンドル捌きに驚きつつも、やがてイタリア産の自動車はローズの酒場に近づくと排気音を抑え、酒場へ滑り込む。]
[ボブの後ろから荷物を持ってローズマリーの酒場のドアをくぐると、そこはいつもの見慣れつつある酒場。ローズが手厚く迎えてくれる。
ネリーは仕事中の面もあったので少し遠慮がちに荷物を纏めたり、壁際に控えめに立った。
やがてボブの演奏が始まると場も落ち着きを見せてきて、折り、隙をみてローズがにこやかにこちらに向かって来て、どちらとも言わずにハグを交わした。]
ローズさん、会えて嬉しいわ!
酒場は被害はあまりなかったのね。よかった。
見ての通りよ。旦那様も私もピンピンよ。
[やがて話も弾み、進み、少し食事も出していただき、ネリーは隅のほうのテーブル席で頬張りながら、両肘をひじ頬を両手に乗せて静かに*演奏を聴いていた*]
──回想 店にて──
[ボブに着いてきていたネリーに優しくハグ]
ネリーも元気なようでよかったわ。
また、ボブとここに来てちょうだいね。
もちろん、あなた一人でもかまわないのよ。
[ネリーににこやかにサンドイッチとアイスティを運ぶ]
[他の客もはけ、ボブの演奏も終わる]
ボブ、わざわざありがとう。
ステラとハーヴェイさんがすばらしかったと言っていたわ。
また来てちょうだいね。
あ、これ、少ないけど。
[ローズはボブに薄い封筒をすっと渡した]
さあ、もう看板よ。
ボブ、ネリー、またね。
[ローズは穏やかに二人を店から追い出すと「CLOSE」の札を扉にかけた]
[少し大きめの鞄を両手にネリーは抱え、ドアからにこやかにローズに微笑んだ。]
会えて嬉しかったわローズさん。旦那様も嬉しそうだったもの。災害があってから初めてじゃなかったかしら、あのような流れるように先を先を想像するような顔は。きっと音楽がそうさせるのでしょうね。
ええ、きっとそうね。
わたしも久しぶりにボブのピアノが聞けて楽しかったわ。
こうしていると、災害なんてなかったかのようだわね。
また呼んで下さいね、ローズさん。
[はちきれんばかりの笑顔でローズに手を振り、自動車に向かいながらボブに話しかけた。]
ねえ旦那様、みんな怪我などされたりあまりしてなくてよかったですわね。ローズさんの酒場は無傷みたいですし。旦那様の家もほとんど、特に旦那様の部屋、スタジオには全くと言っていいほど傷つかなかったし。
[ネリーはよいしょ、と米国産とは少し違うトランクに簡単に荷物をしまう。]
[ふとネリーは顔を上げると、ローズの酒場の店名である『アンゼリカ』のアルファベット数文字が目に入ってきた。
何かの意味が込められている気が一瞬したが、推理力に乏しいと思っているネリーはやがて考えるのをやめた。]
旦那様、ローズさんっていい人ですよね。
いつも顔を見せる人達…修道女様や男性の方たちもいらっしゃいましたし。
でも…ひとりだけ見かけない人がいたような。失礼ですが少し軽そうな男性だったかしら?
[ボブがハンドルを握り、ネリーはボブと共に自宅に戻ってきた。
途中危なっかしい部分が多々あった。倒木や落石の跡も多少あったが自動車が通行できる程には整備しなおされていた。アーヴァインの功のたまものに違いない。
それでも自動車は程良く揺れた。]
酔いやすい人は酔ってしまうかも…いいえ、なんでもないです。
[間もなく自動車がボブの家に到着する。飼っている動物たちも元気で何よりだ。]
これからどうしようかしら旦那様。街が復興するにもまだまだ数週間かかりそうですし…かと言って私に出来ることもあまりなさそうですし。
[自宅に帰ってきたネリーはこれからどうしようかと思案しつつ、シャワーやその他の家事の*準備をする*]
─ローズマリーの酒場2階・客室─
[着ている物を全部脱ぎ捨て、シャワールームに飛び込む。
コックを捻って全開にすると、強い水流が迸った。目を閉じ、頭からそれを浴びる。乱れたブラウンの髪を乱暴に手指でかき回す。滑らかに隆起する筋肉の曲線の上を、水滴が流れ伝い落ちていく。]
[石鹸をぞんざいに髪や膚にこすり付けて泡立てた後に洗い流す。最後にもう一度、今度はゆっくりと丹念に全身に水流を浴びせ掛けて、入浴は終わった。
用意してもらったタオルで身体を拭いてシャワールームを出た。]
―自宅―
[生活感もなく、待つものも居ない真っ暗な自宅は一種不気味さも漂わせていたが、自分にとっては安堵する雰囲気。
今なら帰っても誰も自分に関わる人間が居ない。
それだけで足を自宅へ向かわせる。]
あの酒場、それなりに繁盛してたんだ。
知らなかった。俺やっぱりあんまりここのこと知らないのかもなぁ。
[ぶつぶつと一人ごちながら自宅のドアを開ける。
明かりをつけると暖かい光が部屋中を照らすがそれすら昔を思い出させるのか、顰め面のまま]
ヒューバートさんやルーサーさんに挨拶して…あぁ、あの子も居るといいけど…後は兄さんの墓参りと…そんなもんかなぁ。
大学休み明けまでにここら辺元に戻るといいんだけど…
[バスタオルを腰に巻いてバックパックの整理を始める。
セロハンテープで補強した道路地図。元は何色だったか分からない泥色の毛布。
その底からぐるぐると丸めた汚れ物を取り出すと、脱いだばかりの服と一緒くたに抱えて、ドアを開けて叫んだ。]
すみませーん。洗濯させて貰いたいんですけど。
[一旦ベッドに腰掛けてブーツを履くと、腰にバスタオル一枚巻いただけの裸に派手な装飾のついたカウボーイブーツという珍妙な姿で、女主人を探しに廊下に出て行った。]
[この家には鏡がない。戻る直前にハウスキーパーに連絡を入れて姿を写せるもの…―鏡や鏡面仕様のもの―を出来るだけ取り除いてもらっていたから。
流石に一つはないと身嗜みに不便がある為、リビングの目立たない隅っこに上半身を写すだけの縦長の姿見が裏を向けて置いてある。
ふと思い立ち、姿見を表にして自分の姿を写す。
そこにあるのはもちろん自分の顔と姿。
それでも何か、別のものを見るように目を細め、ゆっくりと指で鏡に触れる]
…ただいま、兄さん。
いつまで経っても…兄さんは…変わらないね…。
[怒っているのか嬉しがっているのか。泣いているのか笑っているのか区別のつかない複雑な表情で一言、鏡の中の自分に語りかける。
鏡に光が反射したのか、片耳だけのピアスが青緑色に光った*]
[ギルバートの声に気づいて自室の扉を開き、ダイニングから、客室の扉をあけて、ギルバートの格好に気づき、ぽぉっと赤くなって]
あ、あら、洗濯?
普通のものならわたしが一緒に洗っておいてあげるわよ。
まとめてだしておいてくれれば。
あなた、着替えは?
[ギルバートの体つき、整った筋肉をまじまじと眺め。
この村にはこんなタイプの男性はいない、久しぶりに見た、漢]
じゃあお願いします。
[と遠慮もなく丸めた汚れ物を差し出す。笑顔がどこか確信犯的だ。]
着替えはない、かな。持ってる服はこれで全部なんで。
[顎をさすりながらニヤッと唇を歪めた。]
[ローズマリーの視線に気付いたように、その瞳を覗き込む。
無邪気に微笑みかけるその表情は変わらないが、琥珀色の瞳は熟成されたブランデーに似た芳醇ないろを見せた。]
[ギルバートの瞳から目が離せず、しかし、その手から洗濯物を受け取って]
あなたには少しサイズが窮屈かもしれないけど、着られそうなものがあるわ。
まあ、その格好でここをうろついていても、他に誰もいないからどうってことはないけど。
外にはでられないものね。
いやあ、ありがたいな。服まで貸して貰えるなんて。
すみません、何から何まで面倒かけちゃって。
セドリックのお姉さんがこんなにいい人だったなんて、ホントラッキーだな。美人だし。
お前たちは元気でよかった。お前たちを見ていると心が安らぐわ・・・
[家事がてら、ボブの庭でネリーは小動物達に餌を与えつつ、しゃがみながら呟いていた。
立ち上がり、空を見上げる。]
何かしら、風が急いで翔けていくようだわ。
[ネリーはそのまま黙ってシャワールームへ向かった。]
[ギルバートから視線を無理やり離し]
洗濯物を置いて着られるものを探してくるわ。
[そう言うと客室から急いででていった。
その後男物のシャツとパンツをギルバートに*とどけにくるだろう*]
―ナサニエル自宅・書斎―
[男は、メモ用紙――彼にとっての『記憶』の『兵士』――に筆を走らせ何かを書き留めた。きょろきょろと辺りを見回すと、机の上に無造作に置かれた千枚通しを引き寄せ、『兵士』を串刺しにした。]
………っと。
ステラ……エイ、エイ、……エイヴァリー………
[黒い革の手帳を開き、本日の「契約」相手の電話番号を探し当てた。相変わらず重たい身体――彼にとっては、彼を支える骨と僅かな筋肉を運ぶ作業でさえ苦痛なのだ――を引摺り、廊下に置いてある電話に向かう。]
[書斎の扉を無防備に開け放したまま、男はレースとピンクのキルトで包まれた電話のダイヤルを回す。]
―――ジー…コロ
―――ジー………コロ
………………。
あぁ、そちら、ステラ・エイヴァリー?
こちらナサニエル・メラーズ。
で……今日の話なんだが……「罰する」方のだな。了解。
で、本日の場所なんだが、そちらの自宅で構わないか?
………ふん、ふん。ああ、分かった。じゃあ、車は適当に停めておくわ。
……………じゃ。
―――チン。
[男は、今は亡き祖母お手製のカバーが掛かった受話器を置いた。]
―自宅―
[ネリーは自室のシャワールームの水道管を捻る。いつも通りに『何もありませんよ』と答えるかのごとく、水は重力に従い下に流れていく。
ついこの前の災害は露知らずとでも言うように。
大丈夫ね。何か・・・何もかも洗い流してしまいたい気分だわ。
ネリーは肩から胸まで流れていく、オリーブにも見え光によってはグリーンにもブラウンにも映える三つ編みを解き、まとっていたものを全て脱ぎ、流れおちる水を全身で浴びる。]
[二十歳過ぎと言う年齢に相応しい身体のライン。
中肉中背。一般の女性と大差ない、敢えて挙げるなら僅かに身長は低いだろうか。濡れた髪で判るが、前髪は相当長いと思わせる。
肉体的に虐待を受けた事がある、と言うのは嘘かのようだ。
一般的に女優、と呼ばれる美しさまでは程遠いかもしれないが、妙齢の女性と言う分には諸手を挙げて反対する人は少ないだろう。
鏡を一瞬みやる。自らの双眸はいつも通りであることに安堵し、口元を一瞬緩める。]
さて、と………
[身支度を整えた男は、書斎の窓を閉めた。煩くざわめいていた『記憶』の『兵士』たちは、書斎に風が到来しなくなったことをよしとしてお喋りをやめた。]
[本棚に立て掛けてあった黒い革トランクを手にし、男は書斎と玄関にひとつずつ施錠する。]
外見に気ィ遣わなくていい分、荷物が重いんだよなァ……
[革のトランクを後部座席に置き、男は車に乗り込んだ。――1955年製、トヨペットクラウン・RS型。黒光りする小さなそれは、かつてアメリカが占領していた国のもの。
いかにも死にかけたようなエンジン音を上げる車に冷ややかに鞭を打ち、男はステラの自宅へと向かった――*]
[何処となく落ち着かない様子のローズマリーから衣服を受け取って着替える。
ローズマリーが用意してくれた服は、確かに肩や背の辺りが若干きつめだったが、それでも着れないということはなかった。いくらか引きつるのを誤魔化す為に、シャツのボタンを少し多めに開ける。
礼を言いがてらもう一度ローズマリーに顔を見せると、ちょっと辺りを見てきますと言い置いて店を出た。
カウボーイハットとブーツといういでたちで通りに出ると、特に目的も定めずぶらぶらと歩き出した。]
[一通り洗い流したネリーはこれからに備えて買い物でもしようかと思案した。
自宅にはそれなりに蓄えはあるが、鮮度が肝要なものは乏しい。]
何か買ってこようかしら。乾物や野菜等だけでは乏しいもの。ついでにレコードでも見て来ようかしら。
・・・と言ってもあそこは。
[ネリーはブランダー家を思い出してそれ以上言うのをやめた。]
さて、何を買って来ようかしら。旦那様が好きそうなものは・・・買い込み過ぎないようにしなくっちゃね。
[ネリーはゆったりとした足で買い物に出かけた。]
[突如、ネリーは屈強そうな、如何にもうだつのあがらない大男に行く手を阻まれた。
どう見ても素通りさせてくれそうにない。]
『お嬢ちゃん、ひとりでどこ行くの、へっへっへ。』
いそいでるんです。通して下さい。
『そういう訳にはいかねえなあ・・・
キクんだよな。こーいう災害直後でいろいろ混乱しているトコロしたい事ができるというのは。
おっと、どこへ行こうとするんだい。いい事しようぜ俺と。』
[ネリーは乱暴に腕を掴まれた。全く歯は立ちそうにない。
ネリーは『誰か・・・!』大声を上げた。]
[ぶらぶらと歩いていく途中で、壊れたガレージの屋根にシートをかけている住人を見かけた。
しばらく下から眺めていたら、途中で気が付いたらしく、手を止めてじっとこちらを見詰め返してきた。
睨んでいる、という程ではないが、無表情。
帽子を取って愛想良く「こんにちは」と呼びかけるも返事はない。
そのまましばしの間、上と下で見詰め合っていたが、3分ほど経ったところで厭きてきたようだ。
頑張れというように両手を振って、ゆっくりと後ずさる。彼が背を向けて立ち去った後も、その姿が消えるまで、屋根上の住民は警戒を解こうとはしなかった。]
[相当に離れた地点に来たところで、思い出したようにシャツの胸ポケットを探る。
中身があと2本しか残っていないマールボロのパックから一本を取り出すと、ステンレススチールのオイルライターで火を点けた。
一息吸って、肺に煙を溜める。
その横顔からは常に浮かんでいるような笑いが消え、何処となく物憂げな表情。
長いと息と共に、細く煙を吐き出した、丁度その時、]
[何処からか女の悲鳴が聞こえてきた。]
[腕を捩じ上げられ、そのまま目立たない所へ連れていかれそうになる。思わず買い物籠を手放してしまう。
そのまま全身で覆いかぶされそうになった。]
[悲鳴の源は結構近くだ。
小走りにそこへ向かって走っていくと、若い女性を引き摺るように連れていこうとする大男の姿があった。女性は懸命に抵抗しているようだが、力では叶うはずもない。]
[女性に覆い被さろうとしている大男の背後に忍び寄る。
女性を意のままに出来るという期待と、劣情を満たすことで頭が一杯の男には、その気配は感じ取れなかったらしい。
その分厚い肩に手をかけて、弾かれたように男が振り返った瞬間を見計らい、顎に一発強烈なパンチをお見舞いした。]
[ネリーにはその刹那に何が起こっているのか全く把握することが出来なかった。
欲望を受け入れてしまった時にどのように自らの痛みや屈辱を軽減させるかに意識を張り巡らせていたからだった。
思わず尻もちをついてしまった。何が起こっているのか上を見上げた。]
え・・・? あ・・・
[ネリーはあまりの展開の速さに我を失っている。]
顔を上げると端正そうな顔立ちの若い男性。屈強そうだ。へイヴンにはそうそういないと言ってもいいだろう。
尻もちをつき、少し衣服も乱れている姿はさながら子羊のようだった。
ネリーは脊髄反射とも言うべき言葉を目の前の男性に返した。]
だ、大丈夫です・・・
[「大丈夫」という女性の言葉にニヤリと笑い返す。]
なら良かった。
[背後では、大男が呻き声を上げながら、ふらふらと立ち上がろうとしていた。怒りで顔が真っ赤に紅潮している。]
は、はい。ありがとうございます。
はっ・・・うしろ!
[ネリーは左手を口にあて、右手で大男を指差した。若い男性の背後なので全ては見えないが、もしかしたら武器も持っているかもしれないと緊張した。]
[言葉にならない雄叫びを上げながら飛び掛ってくるのを、ほんの僅か体軸をずらし、側頭部に蹴りを入れる。
大男は白目を剥いて地面に倒れ伏した。今度こそ気絶したようだ。
そっちにはまるっきり見向きもせず、くるっと女性の方に向き直る。やはりニッコリと笑顔だ。]
どういたしまして。
[あっという間に伏せられる大男。ネリーは少しでも自分に腕力があればいいのに、と思った。
少し安堵し、男性のほうに向き直る。]
あ、ありがとうございます。なんとお礼を言ってよいやら。
[目の前でのびている大男を見下ろしながら言葉を発した。]
い、いえ! 全然知り合いなんかじゃありません。
買い物に行こうと思ったら突然前を塞がれて・・・
この街は普段はとても物静か、他の街に比べても静かだと思うのですが、なにぶんあの大きな災害があった後だから。
火事場のなんとかと言うのを仕事場にしている人が多いからじゃないでしょうか。
[確かに大男を見るのは初めてだった。
けれども。もしやすればネリー自身にそう言う・・・変質者を呼び寄せてしまう言うなればフェロモンのようなものを出しているからかもしれなかった。
それは正せばネリーがこの街の者だからか。]
ふうん…。
まあこの手のヤツってのは何処にでも居るんだろうから。
コイツが目を覚ます前に離れた方が良いね。目覚ましたら何すっか分からないし。
送ってくよ。
はい。ありがとうございます。
[ネリーは持ち前の笑顔を男性に向けた。]
あ、鞄・・・服も洗わないと。
[ネリーは手提げ袋を拾い上げ、少し泥で汚れた衣服を掃いながらこの場を離れる準備をした。]
[守るように女性の脇について、歩き出しかけて。
ふと思いついたように、立ち止まった。]
あ、それから。
煙草売ってるとこ知らない? もう切れそうなんで。
[少しおどけた身振りで、あと1本しか残っていないポケットの煙草を見せた。]
[名前もまだ知らない男性。肉体的にももちろん、精神的にも頑強さを感じられるが、それよりもその頑強さの裏打ちさか、男性の持っている由来の判らない自信。 それがネリーの直感に漠然と告げるような気がしてならなかった。]
煙草ですか? そうですね。どんな銘柄かはわかりませんが、一通り揃っているお店がありますよ。そこは、
[一瞬言葉が詰まりそうになったが続けた。]
煙草だけでなく何でも揃ってますね。評判のいいお店です。
[そこへ行くのは明らかに全身で拒否しているように見えた。何かあるのだろうか。できる事なら必要な時以外は行きたくない、という顔だ。]
[女性の様子に少し怪訝そうな目を向けたが、知らぬ振りをすることに決めたようだ。
あっけらかんと笑ってネリーの手を取った。]
じゃあ後で地図かなんか書いて教えてくれないかな。
家に帰るなら帰ってからでいいからさ。
[知ってか知らいでか、男性が聞き流してくれた事にほっと溜息をついた。
帰り道の道すがらネリーは話しかける。]
いいですよ。
助けてくれたお礼に何もできてないですもの。何もできてないけど・・・
[ネリーはメモ用紙を破り雑貨店への地図を書いていく。ネリー自身にとってかつての働き場であった場所もあり、非常に正確だった。その正確さにも少しうんざりしながらもその紙を男性に渡した。]
本当にありがとうございました。
[ネリーは特に別れの言葉は出さなかった。何故か発してはいけないような気がしてならなかったからだ。ネリーは自宅の玄関から名前も聞かずに男性を*見送った*]
[自室に篭って、小型犬を撫でている。]
……うんうん。
[妻子のない彼にとっては、家族も同然だった。
ネリーや動物たちは、彼のファミリーだと
認識している時間の方が、多い。]
あの子とあの子がなあ。さすがに全員無事という
わけにはいかなかったようだなあ。
[サングラスの奥の瞳が、潤む。]
[犬はまどろんでいる様子であった。
災害は、動物にもストレスを与えるものだ。]
うんうん……うんうん…。
[夢現で、犬はボブの指を軽く噛んでしまった。
ツツと、黒い指から赤い血が一筋。]
…………。
[物悲しそうな表情が一変する。]
キミも、私を痛めつけるのか。
[穏やかだが、いろいろなものが渦巻く声。
何かを察したように、犬が震え出す。]
許さないよ…私は、もう昔の私じゃあないんだ。
[震える犬の首根っこを掴み、ベッドに*押し込める*。]
[渡された地図を手に女性の家を後にする。
地図はきっちりと分かり易く詳細に書いてあった。これならばよほどの方向音痴でない限り、間違いなく店に辿り着けるだろう。
紙片をポケットに突っ込むと、最後に残った煙草を取り出し、口に咥えた。
ライターを取り出し、火を点けようとして、]
……あ。
[ようやくその時になって、彼女の名を聞くのも自分の名を名乗るのも、忘れていたことを*思い出した。*]
─アーヴァインの自宅─
[帰宅したアーヴァインは、早々に鍵付きの自宅倉庫に物資を仕舞った。運び入れるのも含めて全部を一人でやるのは少々どころでない時間が掛かり、こんなことならば誰かに来て貰えば良かったとしみじみと思うのだった。
ふとあの青年の姿が思い浮かび、手伝って貰うのを口実に自宅に呼べばさして不自然でなかったのに…という思いがちらりと頭を掠める。が、彼はその考えを自分で打ち消した。
何とか荷をきちんと並べ終わると今度は、家の敷地内を点検して回った。一度休んでしまったらもう働きたくなくなるのは確実だったので、後日の修理に備えて徹底的に調べておくつもりだった。
家そのものの損傷は殆どなかった。窓ガラスが2枚ほど割れた他は、古びた家がますます古色蒼然といった感じに薄汚れただけである。
庭の方は、亡母がこよなく愛していたマグノリアの樹をはじめ、殆どメチャクチャになっていた。
母が亡くなってからは手入れする者も無く、彼も放置していたので、元々荒れ放題に荒れていたのだが、それでも母の愛した木の無残に傷ついた有様を見ると心が動かないでもなかった。]
[ギルバートの目、姿を思い起こすと身体が震える。
いったい自分はどうしてしまったのだろうか。
しばらく感じたことのなかった強烈なセックスアピールをローズはギルバートから感じ取っていた]
いけない、そろそろお店をあける時間じゃないの。
[ローズマリーはあわてて店に降りていき開店の準備]
食材をブランダーの店に頼んでおけばよかったわ。
明日は忘れないようにしないと。
[ローズは食料庫にある残り少ない食材にため息をついた]
−自宅・リビング−
[鏡を再び裏返し、少し休むつもりで椅子に寄りかかっていたけれどもついうとうとと睡魔に襲われ、気が付けば時計の短針は大分進んでいる。
また鳴り出した腹の虫に苦笑し、なんとはなしに冷蔵庫を開けてみる。
ハウスキーパーが気を利かせてくれたのか、冷蔵庫一杯に何かが詰め込まれている。長期不在を懸念してのことか、それともこの災害を予想していたのか。目の前にぎっしりと詰まるのは一人ではとても食べきれないというか寧ろ使い道に困る缶詰の山。
一つを手に取り、もはやクセになったため息を一つ]
どうしろってんだよこんなに…。
[一つを開けてみようときょろきょろ台所を見回すが重大なことに気が付く。人が引っ越した後な訳で当然の如く余計なものは何一つ残っていなかったのだが]
…ローズさんとこ、これつかうかなぁ…。
何かヒューバートさんとこはこういうの食べなさそうだし
ルーサーさんは…どうだろ?
[頭をぼりぼりかきながら、幾つかを袋に詰めて食事がてらにでも、とローズマリーの店へと足を運ぶ]
――自宅――
どうしてローズの店を出る時、わたしは笑んでいたのだろう。
[あの後、店を出たその足で細かい用事を片したわたしは、家庭訪問も診察も後回しにして自宅へと戻っていた。
そしてローズの店から出る間際の無意識の内に零れ落ちていた微笑について、まるで何かに捕らわれたように思考を廻らせていた。]
[こちらの意思とは関係なく歪んだ口許。そして込上げてきた哂い。それら全てが自分自身の矛盾点を指摘しているようで、考えれば考えるほど自分自身を嘲笑いたくなる。]
多分思うに…無意識の内に自分自身を蔑みたかったのかも知れないわ。きっとそう…。そう言う考えにして置かないと…――やりきれないわ。何もかも。
[呟く毎に、昼間次々と瞳に移っては消えていった生徒達の眩しい笑顔と弾む声が脳裏を駆け巡る。
「先生みたいな良い人に」の言葉が聞こえる度に、わたしは気が触れそうな思いになりながらも必死になって笑顔を作った。
その反動があの酒場での笑みに繋がったのだと、自分に都合の良い言い訳を考えて捻じ込んで。自己完結へと変えていく。それは逃げではなく悲しいかな生きる術。]
でもわたし…良い人なんかじゃないのに…。
欲に塗れた、醜いただ一人の女…。
それをひた隠しにしているだけ…。綺麗なんかじゃない。
[本当のわたしは、今も尚記憶の片隅で苦痛を与え続ける男達を詰りながらも、彼らの情熱に身を沈めてしまいたいと體は叫ぶ。
裏切られると判っていても彼女の愛を手に入れたいと懇願する心。
そう、わたしの全ては矛盾から成り立っており、また矛盾があるからこそ、わたしは生を全う出来るような気がした。]
だから――
ローズに恋焦がれるのも、彼との契約を施行するのも…。
全てはわたしが生きるために必要な事…。穢れは穢れを持って浄化する為に。
決して自嘲する行為では…ないの。
[慰めるように何度も何度も言い聞かせて。わたしは細波立つ心を静めていく。
傍から見たら屁理屈の何物でも無いだろうが。私にとっては大切な儀式。
これまでも。そしてこれからも。
決して終る事の無い――]
新米記者 ソフィー が参加しました。
──7年前 ヘイヴンへと続く山道──
[その日はよく晴れた暑い日だった。18になったばかりのソフィーとその両親を乗せた車は、父の運転でヘイヴンへと続く曲がりくねった山道を軽快に飛ばしていた。
ソフィーの誕生日プレゼントにと、父の提案でヘイヴンからほど近い(と言っても車で片道数時間もかかる)都市のショッピングモールへと買い物に出掛けた帰り道だった。]
お父さん、お母さん、今日はほんとうに楽しかった。
ありがとう。
[傾きかけた夕陽を背に浴び、戦利品の一つの小さな袋を大事そうに抱えたソフィーは、今日何度目になるかわからぬ礼を述べた。ソフィーの声に振り向いた母は、ソフィーが喜んでくれてわたしも嬉しいわ、と穏やかな笑みを浮かべ細く透き通った声で言った。父は余所見をすると母に叱られるので振り返る事はしなかったが、母同様口元に笑みの形を刻んでいるのが後部座席からでも見てとれた。]
[自身を慰めるように室内で蹲り、静かに時を過ごしていた。
それはどれ位の時間を掛けて行っていたかは定かではないけれど、次に意識がはっきりとしたのは、リビングにおいていた電話機が自らの存在をしきりにわたしへと訴えてきた時だった。]
――はい。えぇ、そうですが…。
[受話器越しの相手は、契約を取り付けた相手。その揺らぐような声にわたしは静かに目を伏せながら、必要事項を脳内へと記入していく。]
えぇ、そうよ。今日は「わたし【を】"売って"あなた【を】"買う"女」では無いの。
――判ったわ。車は…そうね、貴方の方が詳しいものね。
ではまた…よしなに。
[用件だけを述べて途切れる電話。甘い余韻も無ければ期待に心を弾ませる嬉しさも、無い。それは向こうも同じ筈。
わたし達は契約の名の元に躰を重ね合うが、心までは重ね合わせない。全ては欲望を満たす為。それ以上でもそれ以下でも無い、これもまた生きるための儀式。]
彼が来るまで後数時間…。
それまでに全てを整えてしまわないと…。
[わたしはまるで自身を奮い立たせるかのように少し大きめの声で独り言を呟き。その場で身に纏っていた服を脱ぎ捨て、結い上げていた髪を解いた。
するり―ー左腕以外何も纏わない背中に描かれた今にも羽搏きそうな獅子と蠍に、黒糸のような長い髪は滑り落ちた。]
さぁ、あなた達。お目覚めの時間よ?
[わたしは背中を見遣るように視線を動かし、彼らにそっとおはようのキスを投げかけて。
シャワーを浴び、野暮ったいコットンの下着を身に着けて、ナサニエルの到着を本を読みながら*待っている*]
[3人で他愛ない会話を交わしながらヘイヴンへの長い道のりを辿るうち、はしゃぎ疲れたソフィーは、座席を通して身体を揺らす心地好い振動とラジオから流れる男性ロックシンガーの甘い歌声に誘われるように、いつの間にかウィンドウに凭れて寝入ってしまっていた。]
キキーーーッ!!
[夢の中で、買って貰ったばかりのワンピースに袖を通したソフィーがボーイフレンドのジャックと手を繋ごうとしていた時、甲高いスリップ音と共に車が急停車した。驚いて目を覚ましたソフィーが慌てて車外に出ると、父と母は道路の真ん中に落ちた小さな塊を挟んで、言葉もなく立ち尽くしているようだった。]
……どうしたの、大丈夫?
[恐る恐る近づいて見ると、そこには無残な姿で横たわる野うさぎの姿があった。破けた胎から赤い物を覗かせ、血を吐いて地に伏した野うさぎの血走った眼は、普段生き物の死に接する機会のない少女の身体から力を奪うに十分なもので、思わず腰砕けに倒れそうになったソフィーは母の腕に縋るようにして車中へと戻って行った。]
[しばらくして一人遅れて車に戻って来た父は、妙に据わった眼をしていたように記憶している。
ソフィー同様青褪めた顔で不安げに父を見上げる母に声をかけるでもなく、さっさとシートベルトを締めると無言で車を発進させた。]
──…?
[何かが起きると真っ先に妻を気遣い、放って置かれたと娘に焼きもちを妬かせるのが常であったべたべたの愛妻家である父の、いつもとは違ったその様子にソフィーは言い知れぬ不安を感じた。
しかし旅の疲れは余程深くまで入り込んでいたのか、ソフィーが再び眠りに落ちるまでに長い時間はかからなかった。]
この1週間、次から次へと忙しい事が起こるわ。
[先程の揉み合いで少し汚れた服を洗濯したネリーは自宅で猫を膝に抱き、ティーを静かに口に運んでいた。
象牙色のソーサーにティーカップ。セピア色の薔薇模様が美しい。
災害を忘れるためのほんの一服。
使用人が時折このような事をすることは相応しくないかもしれなかったが、使用人としての仕事は問題なくこなせており、ボブもそれに満足なのか別段何も言うことはなかった。
やがて再びネリーは立ち上がった。]
さてと、旦那様、これから*どうしましょう?*
―ヘイヴン・路上―
[買い物を済ませるための寄り道に少々時間を取られ、ヘイヴンについた頃にはやや日が傾いていた。
町の通りには未だ惨禍爪痕が残り、側溝に落ちた自動車が半分泥土に埋もれている。
町の中心部、学校近くにある児童公園の脇で僅かな間車を停めた。今は被災者が避難している校舎近くにはトラックが停まり人波ができている。その様子を脇に見つつ、嵐の記憶が刻まれた家並みを眺めた。]
―児童公園脇―
[町の乏しい予算では充分な維持管理が行われず、児童公園の遊具は錆び付いていた。雑草が繁茂するのを放置し続けた結果、公園というよりは荒野の中に古びた遊具が点在しているように見える。
子供達の城は緑の海の中に沈みゆこうとしているかのようだった。
児童公園には一際高く、古びた滑り台の塔が立っている。遠い昔ヘイヴンの地場産業がまだしも活況を呈していた頃、かつての郷里に懐古の感情を持つ有志たちの手によって建てられたモニュメントだ。
木造の滑り台は朽ち、上へと登る階段の床板には損傷も見られたため、今は使用禁止のロープが張られている。子供の頃はその使用禁止のロープをくぐって悪ふざけをしたものだったが。
あれだけの嵐の中でも、その半ば朽ちたヘルター・スケルターが倒壊することがなかったのはこの町の奇跡の一つに挙げてもいいくらいだった。]
[一際高い高台には、バンクロフト家の母屋が町を見下ろすように立っていた。かつてバンクロフト家は何代も行政委員を務め続け、町政に深く関わり続けていたが、それも父の代までのことだ。
ヘルター・スケルター以上に古い、もはや歴史的建造物に近くさえあるその家屋が木っ端微塵にならなかったのも、一つの驚きだった。町の高所にあり洪水とは無縁であること、土台が頑強な岩盤の上にあることを割り引いたとしてもだ。
その母屋に隠れ、町からやや顔を背け山々の方向を向くかたちで私のアトリエは建っている。アトリエも同じく、被害というほどの被害はなかった。
被害を受け未だ避難生活を続ける他の町民のことを思えば胸の痛む事だったが、不思議とその事実そのものを好運として手放しに喜ぶ気持ちにはなれなかった。
もし、家に大きな損害があったなら、私はそれをこの町を離れるための口実とできたのではないか。町は私をしっかりと掴んで放さずにいる――一瞬よぎった感覚を不合理なものと笑い飛ばすようにビートルズの『ヘルター・スケルター』を口ずさむ。イグニッション・キーを回すと、再びアクセルを踏んだ。]
―町の中心部付近→学校―
[通りには、トラックのものと思しき大きな轍がくっきりと残されていた。私は学校に様子を伺いに赴くと車を降り、荷物の搬入を少しばかり手伝った。
突然、遠くから金切り声が聞こえてきた。]
「ミミちゃん! どうしたのっ なにがあったの!!」
[町の噂好きの老嬢バーサ・レイリーが、愛犬のトイプードルを抱きかかえ揺さぶっている。元は純白だった愛犬ミミは泥によごれ、首のすわりがひどく悪くなっていた。揺さぶられるたびに口からよだれが零れ落ちている。]
「ミミちゃん!!」
[老嬢の悲痛な叫びは常の状態なら同情に値するものだったが、なにしろ実際に大勢の死者・行方不明者が出た後のことだ。行方不明者に至っては、まだ捜索している家族すらいる。
ルーサー――ラング牧師は獣医も兼ねていただろうか、と思いながら彼女に彼を頼ることを薦めその場を後にした。]
―通り・アンゼリカ前―
[ローズの酒場、アンゼリカの前の通りを抜ける時、黒のカーディガンにロングスカート姿の女性の後ろ姿が目に入った。
――彼女だった。
心の奥底に横たわるなにかの衝動がかすかに身を灼く。一瞬の躊躇があったが、私はその衝動から身を切り離すようにアクセルを踏んだ。おそらく自宅に向かっていたステラの後ろ姿は、急速に遠のいていった。]
―勾配→自宅―
[トネリコやオークの木立を縫う勾配を登る。崖に沿う隘路を通れば、眼下には逆巻く渓流が見えた。嵐のすぐ後の土砂が混じった黄土色は透明に戻ってはいたが、水の勢いは未だ盛んだった。
高台の頂上までは僅かな時間だ。鬱蒼と茂る木々の中に立つ古びた屋敷が目に入る。私は屋敷の青錆の浮いた門扉の横を通りぬけ、すぐそばの自動開閉装置のついたゲートに車を滑り込ませた。]
─雑貨店─
[女性のくれた地図を頼りに、教えられた雑貨店に行ってみると、店番をしていたのは彼女が言っていたような少年ではなく、まだ幼さの残る少女だった。
多大な好奇心と少しの警戒が入り混じった少女の視線を浴びながら、マールボロのパックを買う。尻ポケットから出したしわしわの紙幣を置いて、煙草を受け取った。
店の外で早速セロファンを剥がして封を切る。開いた銀紙のなかから芳香が立ち昇る。]
見習い看護婦 ニーナ が参加しました。
[シャワーを浴び終え、黒いシャツに袖を通し、黒いスカートのボタンを留めながらふと思う。
身の回りで人が死ぬといつも思う。
ぼんやりと自分を空想の世界へと手放す。
人はいずれ死ぬ。どんな形であれ、どんなときであれ。
それが明日であったり、一年先だったり、三日後だったり。
安らかな死もあれば、苦しみと悲しみの死もある。
そのどちらを感じる余裕もなくぷつりと迎える死もある。
自分がもう少し幼いころ、家族は自分を残して死んでいった。
ついこの間の水害で伯母も亡くなった。
さて、自分はいつどこでどんな死に方をするのだろう]
…馬鹿みたい。
[最後には決まってこの台詞。
別に死を望むわけではない。けれど、自分の中の空想の翼はいつだっていろいろな方向に羽ばたいている。
髪を梳かし、軽く身支度を整えると自室を出て階段を降りて、店番をしている従妹に行き先だけ告げて扉を開けた]
―自宅―
[ガレージに車を収納すると、フロントトランクから荷物を出した。生い茂る木々に隠れるようなアトリエ上階の入り口を目指す。
両手にいっぱいの紙袋。ひまわりやガーベラ、ブルースターに百合といった色とりどりの花材を抱えている。
地面に楔を打ち込んだような地下へと伸びるスロープの上にかかる、白塗りの橋を渡り、強化ガラスの扉を肩で押した。]
ただいま!
[声をかけると、私はアトリエの中へと*入っていった*。]
――自宅――
[時間潰しにと手に取った本は、以前親しくしていた人から貰った童話だった。
その内容は子供向けにしては割と残酷で、ある男が、村一番の美人の気を引きたいが為に幼馴染の地味な少女に、色んな貢物を作らせるというストーリーだった。
話が進むに連れ美人の要求はエスカレートし、男もまた無理難題を少女に押し付けていく。しかし少女は文句一つも吐かずに、彼の為に努力を重ねる。血のような赤い布が欲しいと言われれば、自らの血液を差し出し命を落としてしまう程健気に。]
…ばからしい。
[わたしはもう擦り切れるほど読み返したその本の結末を見て静かに本を閉じ、黒いロングスカートの膝元にそっと置いた。
そして思い出に耽るかのように窓の外を眺めた。]
−雑貨店前−
[温い風はわずかにしっとりとしていて、その中に土の香りが含まれる。
ここ数日、従弟を手伝いながら感じていた空気が、今日はなんだか違う気がして扉を閉めかけた手が僅かに扉を閉めることを躊躇する。
かすかに、誰かの視線を感じたような気がして]
(……?)
[元来、自分は視線にはもともと聡い方ではない。
けれど確かに誰かに見られているような気がして瞳を動かしていくと、やがてそれは自分へ視線へと向ける男へと向かう。
その深く青い瞳は目を見張ったまま彼から動かず、扉を閉めかけていた手が重力に負けたかのようにぱたりと落ちた]
[アンゼリカへ向かう道、ぶらりと歩きたい気分だったのか、少し遠回り。
還ってきた時。がらんとした家の中、たった一枚だけ残っていた写真は記憶の中で唯一家族全員で撮った物。
それを置いていったということは、それだけ自分を思い出したくなかったのか。
久しぶりに見た鏡、映る自分は歳相応(やややせぎすだが)に見え、顔知る人々も確実に歳をとっている。同じく久しぶりに訪れた町も何か変わったように写る。
ぼんやりと見上げる空だけは記憶と同じだった]
ローズさん、いるかな。
[回り道もついに終わりを告げ、いつもの倍以上の時間をかけてアンゼリカへ着く]
[わたしは傍らのテーブルに用意していた、ぬるくなった紅茶を啜りながらこの本をくれた人物も同じような感想を述べていたことを思い出して、微笑を湛えた。]
[彼女とは教会での日曜礼拝で知り合った。わたしがまだ修道女としての教えを学んでいる時だ。
いつも母親に手を引かれやってくる少女は、実は自分は少年であるという事を、後に年端の変わらないわたしに打ち明けてくれたのだった。
その後わたしは彼の過酷な人生の歩みと解放を目の当たりにするのだが、彼との最後と呼べる別れの時、その美しくも妖しく微笑む少年が漏らした言葉を、わたしは今でも忘れられない。]
「神は何一つ救ってはくれなかったけど、悪魔だけは俺の事を救ってくれたみたいだよ?」
そうね。神は人を救ってはくれないみたいだわ…。
だからわたしは――…
[底に残った紅茶を緩く揺るがして。
まだ弧を描くその液体を、わたしは一気に飲み干した。]
[それは黒い服を纏った若い女性だった。
扉を閉めかけたところでこちらに気が付いたようだ。深い青の瞳が印象的だ。
見詰め返す様子は何故だか、少し茫然としたようにも見受けられる。]
……やあ。
[まだ火のついてない煙草を唇に挟んだまま、愛想良く笑い掛けた。]
[かつての植民地からやってきたオンボロ車は、やっとの思いで「契約」相手の家の近くまで辿り着いた。荒い息を吐きながら、1955年式トヨペットクラウン・RS型は林の中で昼寝を開始した。]
[男は後部座席から黒革のトランクを引きずり出すと、ステラの家へと歩いて行った。]
―ステラの自宅へ―
―自室―
[毎日すべき事は多い。それでも今日、街であったあの愛想のよい男性と、その向かう先が気が気でならなかった。
思わず左手で頬杖をつき、右手をテーブルに置き、人差し指をの爪をテーブルに立ててトントンと音を鳴らす。]
行きたくないけどやはり行ってみようかしら…
[視線の先にいる男の容姿を僅かに観察したように揺れた瞳は一度瞼の裏へと隠され、微かに唇がわなないて何かをつぶやいただろうか。
その後数拍もおかず呆然とした表情は引き締められ]
…どうも。
うちの店に何か、御用ですか。
[じっと青い瞳は笑みを浮かべる男から視線をそらさずに問いかける]
[丁度紅茶を飲み干した頃、来客の訪れを告げる硬音が聞こえた。]
――はい、今、開けます。
[わたしは緩く溜息を吐いて。テーブルにティーカップと本を置いて客人を招き入れるべくドアを開けた。]
どうぞ、お入りください。
──現在 工房──
──シャキ、シャキ、シャキ。
[母屋に隣接する、三方に窓を備えた質素な造りの小さな仕立て屋の工房内に、裁ち鋏の薄い刃が噛み合わさる音が静かに響く。]
──シャキ、シャキ、シャキ。
[一週間前の嵐はヘイヴンの各所に酷い爪痕を残したが、ソフィーの自宅兼工房は比較的高台に位置していた為か、一階の床と貯蔵庫が浸水した程度で、他に目立った被害はなかった。
とは言え、濡れた絨毯や位置のずれた家具、床に残った泥などを掃除するのは中々に重労働で、女手一つで元の生活を送れるよう整えるのに今日の昼までかかってしまった。]
ネリー、ネリー。
[優しい声色で呼びかける。]
ちょっと外でもドライブしない?
こんな状況だから、気晴らしってわけにも
いかないだろうけどさ。たまにはいいんじゃあない?
[唇に笑みを浮かべたまま、やや頭を傾け、ゆっくりと彼女に近付く。その動きは彼女に余計な警戒心を与えないように気遣っているようにも見える。]
いや。買い物はもうしたんだけどね。
……君、ここの人?
[唇から煙草を外すと、その手で店を指した。
琥珀色の瞳が興味深そうに女性を見詰めた。]
[ネリーは気を紛らわせるためにクラシックレコードを聴くことにした。手にしたのは『名作クラシックベスト300選』
曲は『ジュ・トゥ・ヴ』(あなたが欲しい)
安物の再生機に針を当てて曲を流してみる。本当はボブの私室、スタジオとも言うべき所に行けばもっともっと豪華なものもあったが、さすがに躊躇われた。
黙って入って音楽をかけて逆上を招き、ボブに組み伏せられてしまった事があったからだ。]
[優しい声がネリーに響いた。まるで父親が娘に問いかけるようだ。]
あっ旦那様。いいんですか?
私もどことなくもやもやしてる所があったんです。ドライブ、行きたいです。
[扉の上を暫定的に支配していた影が歪む。
扉が開いた音がした。]
………………。
[家の中に招かれ、男は無言で歩みを進めた。黒革のトランクの重みが、ズシリと右腕にのしかかる。]
[「案内せよ」と言わんばかりに、男は無言でステラに目配せをした。]
[微かにスカートを指先が捉える。
それは、見知らぬ人物に対する恐怖心だったのだろうか。
もしかしたら、もっと別の理由もあるもかもしれないがそんなことを把握している余裕がまず本人になかった]
そうですか。
ここの人間というのは、この街の人間、それともこの店の人間、どちらの意味ですか?
……まぁ、どちらにも当てはまりますけれど。
[琥珀色の視線から微かに逃げるように、そこではじめて青い瞳が青年からはずされて自分の黒い靴の爪先へと落ちる]
おお、そうかいそうかい。それはちょうど良かったね。
[ドアを開けて、笑顔をネリーに見せる。]
外出るには、アルファロメオ汚れ過ぎかな。
ささっと一緒に洗車して、行っちゃおうか。
[服に纏わりついた犬の毛を払いながら。]
[壁にならんだ棚には色とりどりの反物が色別にグラデーションを描くように整然と並んでいた。
それらは全て腰の高さ以上の位置にある。
生地を選び易いようにと施されたささやかな工夫が、大切な布達を泥水から救ってくれる事となったのは幸いだった。]
──シャキ、シャキ、シャキン。
[巨大な木製の作業台に広げられた目の細かい黒い生地からいくつかの小さなパーツを切り出した所で一旦鋏を操る手を止める。
そよと頬を撫でる風に誘われ窓の外に視線をやると、空の果てに僅か残った菫色が、民家の屋根の向こうに消えて行く所だった。]
簡単に拭くだけでいいからね。
先に、車のトコ行ってるからさ。
[サングラスを調えて、ゆっくりと車の置き場へと
移動する。彼には、日常の光すら眩し過ぎるのだ。]
[トランクを手に中に入る彼の姿を見て、わたしは一度だけ目を伏せて深呼吸をした。
何故これ程までに思い出したくも無い記憶をなぞらなければならないのか。自分でも呆れる程疑問に思う。
しかしながらここまでしなければ、表面上のわたしを保つ事は不可能でもあり。]
[やがて開かれた瞳は、案内を求める彼の視線を捉えるから。]
こちらです。どうぞ――
[奥にある、ベッドすらあるかどうか判らないような質素な部屋へと彼を案内した。
忌まわしい記憶をなぞるために、わざと演出を施した。]
ええ、分かりました旦那様。
[心なしかネリーは心が躍った。主人は普通の人に比べて強い日差しにどうしても弱い。それは私がカバーしていかないと、と思った。
動きやすい服に着替え、簡単に洗車を進める。
先日の水害に比べれば大した事のない作業だ。]
んん……
[俯いた女性の視線を追って、上半身を傾ける。下から覗き込む形で深青の瞳に視線を合わせた。声に僅か楽しむようなトーンが混じる。]
そこの店の人か、って聞きたかっただけなんだけどね。特に意味は無いよ。
……俺が怖いのかな?
もう、こんな時間?
……いけない、明日の朝食用のパンを買うのを忘れていたわ。
[早く行かないと雑貨屋は閉まってしまう。
慌てたソフィーは鋏を脇に置き、切り出したパーツを丁寧に重ね、急ぎながらも丁寧に余った生地を巻き取って棚に戻すと、全ての窓にきっちりと鍵を掛け、最後に壁に設置されたスイッチを操作して工房の明かりを消した。]
ま、こんくらいでいいんじゃあないかな。
……ここ、どっかにぶつけたっけなあ…?
[車の後部の、不自然なヘコみを眺めている。
すぐ首を振りながら、助手席を開ける。]
さあ、行こう?どこか行きたいところはあるかい?
[そう尋ねながら、運転席に乗り込む。]
[男は、ステラに案内されるまま、部屋に入った。]
………………。
[ステラが部屋に入るのを確認すると、部屋をぐるりと見回した。簡素で、何も無い部屋。少なくとも、「ベッドでまぐわう」為の部屋で無いことだけは確かだ。]
[男は、ステラを見据えて呟いた。]
………服を脱げ。
[下から覗き込んでくる視線に青い瞳はやはり見張るように彼を見るだろうか]
……別に、怖くなんて…怖くなんて、ないわ。
[静かに息をひとつつく]
…店は…時々、手伝う程度、だわ。
私は、別に、仕事も、持ってるし。
[ひとつひとつの言葉は少しだけ緊張交じりにつむがれ、青い瞳は所在なさげに時折男のほうを見たり、自分の足元を見たり]
[ネリーはボブが気にしている歪みには気づかず、助手席へ促され、乗り込んだ。
自動車の知識は皆無に等しいが、この自動車にはボブにとって相当こだわりがある、というのは素人でも判った。]
行きたい所…あの。ど、どこでもいいです…
[一瞬顔が引きつりそうになりながらも笑顔を被せて隠す。
本当に行ってみたいのはあの雑貨店。知り合いのリックやシャーロット、ニーナいるしあの男性も気になる。しかしあの雑貨店の主だけは。
どうしても避けたい、どうしても生理的に受けつけ難い。]
[案内した部屋は行為を愉しむ為の目的で使用する物ではなく。
その質素振りが更にわたしの記憶を刺激し、羞恥心を煽っていく。]
[やがて彼からの一度目の命令が下される。
【服を脱ぐ事】
それに対して、わたしは静かに目を伏せ素直に従った。]
[シャツのボタンを外す指が震える。喉がからからと乾涸びそう。
男の虚ろ気な眼差しが、逆にわたしを責め立てる。
嗚呼、あの時の神父様達の目――
そして蘇る恐怖と共にようやく一枚服を脱ぐ頃、わたしの体内では生暖かい体液が外へと溢れそうになっていた。]
[一つしかない入り口にも忘れずに錠をし、開かない事を確認すると小走り自宅の裏口に向かった。
そこから家の中へと向けて細い声を張り上げる。]
お父さん、ちょっと出掛けて来ます。
少しの間、お留守番お願いね。
[唇を歪めて悪戯な笑いを作る。琥珀色の瞳が暗い色を帯びて揺らめく
ククッとその喉が、明らかな愉悦に小さく鳴ったかと思うと。]
[次の瞬間には何事も無かったかのように背を伸ばして、真っ直ぐにニーナを見下ろす。
その瞳も表情も明るい、人懐っこいものに変わっていた。]
まあそんなに硬くならないでよ。
あ、そうそう。ローズマリー・ベアリングさんの店、知ってるかな?
そこに行きたいんだけど、どう行ったらいいんかな?
ああ、そう。じゃあ、適当に走らせるか。
[アクセルを踏む。発進だけで、ガクンと
衝撃が走るほど相変わらず運転は荒かった。]
他に大きな被害受けている人がいる中で、
こんなん不謹慎だけどさ……良かったね。
こうして、五体満足でいられるなんて。
[少女と数人擦れ違った。彼女たちの中には、
このイタリア車を見るなり、不自然に
目を逸らす動作を見せる者もいた。]
捨てる神もいりゃ、拾う神もいるってヤツか…
おおっと、大っぴらに神とか言っちゃあマズいね。
このヘイヴンでは……ね。
[どす黒い隈を垂らした双の目は、微動だにせず「契約」相手の動作を監視している。]
[季節感というものがまるで見えない黒のレザーコート、白いワイシャツ、黒いタイトなパンツ。右手に持った黒革のトランクは、見えざる重力の手に引き寄せられる。]
………………。
[「契約」相手の唇が、微かに震えた。
男の眼球は、不透明な鏡となり、その姿を映している。]
[男の気配が少しだけ遠くなると、は、と小さく息が零れる。
視線はやはりうつむいたまま]
…アンゼリカに?
…貴方、あそこの人なの?
[ふ、と視線を男へと上げたけれどそれはやはりすぐに彼からそらされる。
やがて少し落ち着きを取り戻したような声で地図を読み解くかのように細かい通りまで教える]
…用事がなければ、案内してあげてもよかったけど…私、これから行くところがあるから。
だから、悪いけれど一人で行って。
迷ったら誰かに聞くといいわ。
…口があるんだもの、たずねる事ぐらいできるわよね。
[次第に若干そっけない口調へと変わっていく。
町の人から見れば、それが彼女の常の口調だった]
[ボブがアクセルをフラットアウトしたかと思うと、ガクンとネリーの両肩も揺れた。
相変わらずな走りに笑顔を表に出しつつ心では苦笑する。]
この車、馬力も高そう…
拾う神ですか…私、神様というものは見たこともないし、
接した事も殆どないから判りませんわ。
[ネリーは神、というものにはとんと疎かった。
神学などには全く縁のない生活だし、外の世界を見ることも稀であるから、外界の人は神の教えに従って生きている人が殆ど、であることぐらいしか知らなかった。
もっとも、それはヘイヴンの若い女性では当然の事なのかもしれない。]
[白いシャツの衿元に黒いサテン地のリボンを結び、同系色の七分丈パンツに皮を編み込んだベルトを締めたラフな服装のソフィーは、日が暮れて尚昼間の暑さを残す道を雑貨屋へと急ぐ。]
そういえば…、パンなんて売っているかしら。
[山道は漸く通れるようになったばかりで、物資も満足に運ばれていない事を思い出し、歩きながら不安げにぽつりと漏らす。
民家の間から見える濃い緑に覆われた山肌は、先日の嵐の名残りか、所々無残な地肌を晒していた。]
[素っ気無く感じる女性の説明にも、ニコニコと機嫌の良さそうな笑みを崩さない。]
ありがと。まあ分かんなくなったらまた誰かに訊いてみるよ──答えてくれたらね。
そうだ。名前教えてくれないかな。
俺、ギルバート・ブレイク。君は?
[答えてくれるもの、と疑いもしない口ぶりだ。]
ハハハハハハハ……大丈夫大丈夫。
私だって、神そのものに会ったことはないから。
自分を神と称する、大馬鹿者くらいしか、ね。
[目の治療を任せている医師の、教会設立運動を
支援していることは、事情通の人ならば
知っていてもおかしくない事実であった。しかし]
ま、神なんて信じてないけどね私は。
[時に射抜くような眼差し。雄を感じさせるその力強さに、わたしは唇を噛みしめながらスカートを脱ぐ。
露になった下半身の寂しさに肌をなぞる空気の感触が加わって、更に羞恥心を誘う。]
あのっ…――これ以上は…
[躊躇うように視線を外したまま、わたしは両腕で体を抱きしめるようにし、身を堅くして次なる命を待つ。
今は時期外れであろう彼のレザーコートしか視界には映らない。
漏れる吐息はいつの間にか熱を帯び、噛まれた事によって赤みを帯びた唇を艶かしく縁取っていく。
ただ左腕に巻かれた真白な包帯だけが、常に現実味を帯びている。]
[道路が大きく曲がっておりボブがハンドルを切る。ネリーは思わず身体を持っていかれそうになる。]
旦那様、神様はいるんでしょうか?
私にはまったく見当がつきません。
[神と言うものが存在するのかネリーには全く信じる事ができなかった。
ただ、神と言うものを信じる事により生きる事が出来る人が大勢存在する事は判っていた。 たとえそれが誤りであっても、信じる事自体が肝要なのかもしれない、と感じつつあった。
もしかしたらこれらの会話の中身に意味はないのかもしれない。しかし言葉自体を交わしあう事に意味があるとネリーには感じられた。]
そうして。
[息を吐き出しながら静かに相槌をひとつ。
まさか名前をたずねられるとは思わなかったようで、男が勝手に名乗りを上げれば僅かにきょとんとしたような瞳で彼を見返し]
……ニーナ。ニーナ・オルステッド。
[事務的な返事を返すと、どうにかこうにか店の扉から離れて男に説明した道とは反対の方向へと爪先を向ける]
じゃあね、ギルバート。
…貴方が「ギルバート」でよかったわ。
[最後の一言は本当に口の中で微かに音を転がす程度の呟き。
そのまま、後ろをまったく振り返ることなくその足は今度こそ*図書館へと向かってゆく*]
―――ドサリ。
[返事をする代わりに、男は手にしたトランクを床に置いた。]
―――ガチャ………
[床に片膝を付き、男は中をしばし物色する。
手にした物は、2本の長い鎖と、革製の拘束具が2つ。
一対の拘束具を女の足首に嵌め、その一端にある金具に鎖を嵌め込む。]
―――カチャリ。カチャリ。
[女がその場から逃げ出さぬよう、足を固定する。拘束具に嵌め込まなかった鎖の端を、椅子の脚に巻いて固定すると、男は無言でその上に座った。]
…………………。
[両手の自由を「契約」相手に残したまま、男は視線を女に向けた。]
キミだから言うけどね。
[サングラスの奥の瞳が、鋭く。]
私は、生まれてこの方神なんて信じたことはないよ。
ヘイヴンを短期間空けたとき、ゴスペル歌手なんかも
やったけど、別に信仰心からやったわけじゃあないし。
[調子はいつも通りだが、いつもと違う声色。]
それ以外に、道がなかったのね。
今でこそ立派な価値として確立しているけど、
昔は、我々には価値なんて認められていなかったしね。
──雑貨屋前──
[雑貨屋の扉には見た事のある青い髪の女性の姿があった。]
ニーナさん…?
[何故かそこで立ち止まったまま店に入ろうとしないニーナを訝って、道の反対側から様子を窺う。
どうやら店内の聞き慣れぬ声の男性と話しているようだった。]
ニーナ・オルステッド……ニーナか。
[明らかに拒絶する態度を見せて立ち去る女性の背を眺め、その名を舌先で転がすように呟いた。
一度だけ、細めた目に暗い愉悦が漂ったが、それはすぐに明るい好奇のいろに溶けて消えた。]
ゴスペルですか…いくつか聴きましたけど、何を現しているのでしょうね。
私にはとても理解できないものだわ。
[緑色の瞳は前の背景をとらえ、口元が少し固くなる。
100年も200年も前の音楽しか知らないネリーでも、ボブの苦労はなんとなく判るような気がした。
ボブが私と同じぐらいの頃は戦争によって疲弊していた時代であったし、それによる人々の余裕のなさ故、ボブがそばづえを食った事もあっただろう。歌手である以前に。]
[視線を伏せていたので、初めは何が起きたのか解らなかった。
床に物が落ちる音が耳を掠める。その音に誘われるようにわたしは条件反射で視線を上げる。
黒い物体が口を開ける。そこにずらりと並べられた品物を見て、わたしは恐怖に震えた。]
……ぃゃ…っ…いやっ…やめてくださいっ…!
それだけはっ…!
[しかし抵抗は無き者でしかなく。あっさりと自由を奪われたわたしの脚は椅子に繋がれて。
見下げられる冷やかな視線に身を堅くする。しかし体内では体温が更に上昇し始め。見上げる瞳すらうっすらと潤み始めるのがよく解った。]
『媚態…が目覚めたのね…』
[心の中でそっと呟いて。わたしは彼の次なる行動を密かに待っている。]
[人懐こいとは言えぬ性格のソフィーは、来る日を改めようかと思い、ニーナの後ろ姿から目を逸らすように来た道を振り返った。
緩く編んで肩に垂らした、日に透ける淡い金髪が、ソフィーの動きに合わせて踊るように背を滑った。]
……でも。
ここまで来て戻ったら馬鹿みたいよ、ソフィー。
[途方に暮れたように来た道を眺め、少しの間迷っていたが、やがて自分に言い聞かせるように呟くと、意を決したように再び雑貨屋の扉に視線をやった。]
──あれ?
[ほんの少しの間目を離していただけなのに、既にそこにニーナの姿はなく、代わりに見慣れぬ姿の男性が立っていた。]
Amazing Grace! How sweet the sound
That saved a wretch like me...
[よく知られているだろうゴスペルの曲を口ずさむ。]
ま、信仰心の強い連中は、霊歌のつもりで歌ってるんだろうけど。
私は、あくまでも我々のプロテストの証だと思っている。
昔は、白人警官も我々がこれを歌い終わるまでは、
黙って待っててくれたっけなあ……。
この時代になっても、相変わらずここは
私のような者には、風当たりの強い土地柄だよ。
同じ色の血が、流れているってのにさ。
[サングラスの奥で、何かがキラリと光っている。]
敵さんの敵は味方って図式だよ。
別に、好きで支援しているわけじゃあないんだ。
我々の価値を認めないなら、わからせるしかないっての。
[男は、分厚い唇を歪めた。
その中央――2枚の肉の塊がゆっくりと隙間を作り――]
『自分で、自分の身体を弄れ。
貴様の醜態を晒せ。
――座ったり、寝転がることは禁止する。』
[用件を伝えると、男はコートのポケットから煙草を取り出し、安っぽいライターで火をつける。
煩い虫の鳴き声と無機質な金属音が、彼の耳に入っていった。]
[雑貨屋の外にいるのなら言葉を交わす必要もないだろう。
そう判断し、ソフィーは足早に店の入り口へと歩き出した。]
──。
[迂闊に視線を合わさぬよう俯き気味に歩くその姿は、異邦人を避けるいささかわざとらしい仕草にも映ったかもしれない。]
─雑貨店前の路上─
[ずっと手に持ったままだった煙草に目をやる。肩をすくめ、改めて咥え直して火を点けた。
既に日は暮れ始めていた。
山の端に血の色に染まった太陽が掛かり、空も綺麗な紫から徐々に藍を深くしている。]
[アンゼリカに「OPEN」とはあるが中の主は見えない。
不在の店へ入ることに少し後ろめたさも感じながら失礼し、カウンターへ袋とメモをおいて早々に店を出る]
缶切り二つあったら借りたかったんだけど仕方ないかな。
さて、ヒューバートさんかルーサーさん、いるといいんだけど…
[さっさとアンゼリカを後にし、また来た時とは別の道を]
[振り向くと、ニーナと入れ替わるように店へと近付く金髪の女性の姿が見えた。
帽子を取って大仰に挨拶するその身振りが、避けるように俯いて歩く彼女に見えたかどうか。]
[ネリーもボブに釣られて口ずさむ。]
Es ist Zu schwer
Die MAgische...
[続けざまに自分の持っているレコードの歌詞の冒頭をそらで歌う。特に内容は全く理解していないが。が、ネリーが出た学校では決して教えてくれないRequiemだ。]
わ、私は旦那様の味方です!ええ、味方ですとも。
どうして旦那様を理解しようとする人は少ないんですか?
[イタリア車ではなく前にテーブルがあれば両手で叩いているところだ。]
えっ…?
自慰をこの場で行え…と?
[しかし問い掛けてもそれ以上の返事が返ってこないことは、燻らせる紫煙から窺い知れることで。]
っ――…
――わかりました…。
[今にも泣き出しそうになる瞳を何とか堪えて。わたしは羞恥で赤く染まる頬を髪の毛で隠すように俯き。恐る恐る右手の人差し指を唇で咥える。
舌を絡め唾液を滴せ充分濡らした右の指を下半身に。包帯が巻かれた左指は胸に。それぞれ自分の体では無いような動きで這わせると。快楽への道標をそっとなぞり上げた。]
――…んっ…ふっ…っ…
[弄るのは自分の躰。どこをどうすればすぐに感じることが出来るか知りえた物。
わたしの唇は僅かな時間で嬌声を上げ始め、右指に誘われるように流れ出た水脈は太腿に新たな線を描いてゆく。]
[俯き加減にそそくさと道を渡るソフィーの視界の端に、男性の大袈裟な身振りがちらりと映った気がしたが、気のせいと振り切り、逃げるように雑貨屋の扉に身体を滑り込ませた。]
……ふぅ。
[完全に扉が閉まり、外から遮断されたと感じると、片手に持った財布を胸元に引き寄せ、ほっと胸を撫で下ろした。]
[男は、立ったまま自分の身体を緩やかに撫でる女の姿を無言で見つめている。]
[虫の声に混じり、微かな水音が部屋に響く。――否。極端に接近してはいないのだから、普通の感覚では聞こえる筈は無いのだが。]
――くちゃり……ずぶっ………
――ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ……
――ぴたり、……ずっ、ずっ……
[徐々に水音が大きくなってゆくのを感じた男は、隈を垂らした目を細め、口許を歪めた。]
フフフフ。ネリー、ありがとう。
キミが来てくれて、良かったと思っている。
[ニッコリと微笑む。]
わかってない人がいるんだって。
ここだけでなく、世界中にさあ。
我々の肌の色は、穢れた色じゃあないっての。
[呪詛のように吐き捨てる。]
辛気臭い話になっちゃったね……ハハハハ。
そう言えば、カナヅチ壊れてなかった?
せっかくだから、ドライブついでに買いに…。
[言ってしまってマズったな、と思った。
ネリーの前の雇い主は知っている。
だが、そこで何があったか、ボブは聞かなかった。
彼自身は、特にあそこの家と険悪ではなかったが、
ネリーの手前、何となくきまりは悪かった。]
[奥で用事をたして表にでてくれば、そこにはハーヴェイの書き置きと缶詰]
あら、ハーヴェイさんったら。
声をかけてくれればよかったのに。
[缶詰はアンチョビやらツナやらで]
助かるわ。お礼をしなくちゃね。
余分な缶切りはあるけれど、ここにまた寄ってくれるかしら…。
―町外れの小高い丘 -> 山道―
[ルーサーは腰掛けていた岩からゆっくりと立ち上ると、車の停めてある場所へと歩き出した。暴風雨の影響で山道の足場は悪くなっていたが、彼は慣れた足取りで丘を降ってゆく。
しかし、この時、誰かが注意してその様子を観察していれば、彼が無意識のうちに左足をかばうような歩き方をしていたのに気づいたかもしれない。]
うむ、きょうは足の調子がいいな…… 気候のせいだろうか。それにしてもちょっと長居し過ぎたな。きょうは …… さんの様子を診にゆく約束をしていたのに。
[そう言って、手帳をめくると確かに、…… 時、…… 氏、往診予定、とある。ルーサーは車へとたどり着くと目的地へと急いだ。]
[いらっしゃい、という明るい声に顔を上げると、カウンターの奥には可愛らしい少女の姿があった。]
こんばんは。
今日はウェンディが店番なの?
[ご苦労様と労いの言葉を掛け、何を買いに来たのと尋ねる相手に欲しいものを告げると、パタパタとカウンターから抜け出し、店内の棚から必要なものを揃えて手際良く紙袋に詰めてくれた。]
村長の娘 シャーロット が参加しました。
──バンクロフト家・アトリエ二階──
[高台に建つヘイヴンの中では異質にモダンなガラス張りのアトリエ。
開け放たれた窓の傍にアームのうつくしいソファ。
図書館の古びた本でも無くペーパーブックでも無い、大判の画集を開いたままで、長い髪の少女がうたた寝をしている。]
………………。
[夏の緑の香りと共に爽やかな風が吹き込むと、少女の髪がさらさらと揺れた。]
[言葉とは裏腹に愉しげな声音の呟きが、紫煙と共に唇から洩れた。
軽く肩を竦めて踵を返す。
ニーナが教えてくれた「アンゼリカ」への道順を思い出しながら、*のんびりと歩き出した。*]
いえ、そんな。私はただ思った事を言っただけです。
気にしないで下さい。
[ネリーはボブという人間性、徳の高さには惹かれるものがあった。]
カナヅチですか…? 私は大丈夫ですよ、行きましょう。
[確かにあそこはひとりではやはり怖い。けれど明確な用事もあり、ボブと一緒に行くなら心配はなかった。]
[やがて右の指はするりと体内へと滑り込み。中を掻き乱す様にと動き回る。
最初は小さく。そして円を書く動きは大きくなり、わたしは堪らなくなって中指をもそっと中へと滑り込ませた。]
んっ…はっ…だめっ……そこは触れちゃ…っあんっ…やだっ…もっと…欲しいの…
[記憶の断片が漏れる。いや、それはわたしの妄想でしかないかもしれない。
しかし脳内ではしなやかな指の持ち主は、紛れもなく私ではなくて『彼女』。
その彼女の指は勤勉にわたしの性感帯を探し当てては攻め立て、恍惚への近道へと誘ってくれる。]
「どうして欲しいの?」
[記憶の中での彼女の声が聞こえる。甘く優しい声。全てを受け入れてくれそうな。
その優しさに身を委ねてしまいたいと思いながら、指を動かす手を強めた。
最早わたしには契約相手の男の姿も、部屋の音も聞こえない。]
あ、いえ大丈夫ですよ。
私もみんな元気か気になりますし。
[ネリーはつとめて明るく振る舞う。車は雑貨店の方を向き軽快に進んでいった。]
[男は、ニヤリと唇を歪めた。]
……………「ローズマリー」。
[昨日、目の前の「契約」相手が熱い目で見ていた女の名。「契約」相手がその女を思い浮かべていると知ってか知らずか、男はぼそりとその「名前」を口にした。]
………抱かれたいか?あの女に。
[椅子の背もたれに肘をつき、ククッ…と喉の奥を鳴らして笑った。]
[何となくふらりとバンクロフト家への道をたどる。
外から家を見、変わってないことに安堵する。開けられた窓を見やり、人がいることは確認する]
まぁ今日も遅いし…明日でいいか。
シャーロットも元気だといいけど。
[明日の食料については何も考えていなかったが、とりあえず缶きり無しで缶詰を開けるほど無謀な挑戦をする気にはならず、何か買って帰ろうかと暫し思案]
[ふいに聞こえたある人の名前に、わたしの理性は一斉に蘇る。]
……え?
な…んで?何で…その名前が…?
[聞こえて来た名前。それはここに来て初めて親しくなった彼女の名前。
「ローズマリー」
確かに彼はそういった。
「抱かれたいか?」と]
[虚を突かれ、わたしは慌てた。
どうして?何故彼が彼女の名を?
それより…いつからばれていた?ずっと心に秘めていたのに。誰にも知られないようにと…隠し通していたのに。]
そっ…そんなことっ…ない…もの…っ…。
わたしはただ、貴方に…
[精一杯の強がり。でも彼には通用しない事は判っている。でも否定せずには居られない。]
―町中 病人宅―
[ルーサーが家の戸を叩くと、家人が出てきて、中へと招き入れられた。彼は帽子をとって挨拶すると病人のいる部屋へと進む。]
やあ、…… さん、加減はどうだい? きょうは随分と顔色がいいね。何かいいことでもあったのかい。
[ルーサーが診察を続ける間、病人は床から体を起こしながら嬉しそうに語った。暴風雨の被害があまりひどくなかったこと、庭の木に花が咲いたこと、町を出て働いている家族が夢に出てきたこと。いずれも他愛のないことだったが、とても嬉しそうだった。]
そうですか。以前より体調が安定していますね。いい経過です。やはり、神があなたのことを見ておられるのですよ。
[そのとき、病人の家族が後ろから不意にルーサーに声を掛けた。]
家族 「センセイ、診察が済んだらさっさと出て行ってくれないか」
「貴方に」……?
[片方の目尻を歪ませ、歯を見せて笑む。]
ククッ………
「抱かれたい」とでも、続けるつもりか?
[唇の間から、空気の塊が飛び出した。]
ぶっ………
あっはっはっはっはっ!
はぁっはっはっはっ!!
そうかそうか!俺に「抱かれたい」かこの雌犬が!!
ならば「お望み通り」にしてやろうじゃねぇか!!
ひぃやあっはっはっはっは!!
[男は椅子から立ち上がり、腰からぶら下げていた携帯灰皿に煙草の火を押し当てた。そして、ツカツカと女に歩み寄り、床に押し倒さんとする勢いで彼女の髪を掴んで引っ張り回した。]
―町中 病人宅―
え、ええ。それでは …… さん、もし、また胸が痛むようであれば、この薬を飲んでください。痛みは和らぐはずです。また、…… に様子を診に来ます。お大事に。
[病人は名残惜しそうにルーサーと別れの挨拶を済まると再び床についた。ルーサーが出口へと向かう途中、家族は診察代を手渡すと突き放すように言った。]
家族 「どうせ、…… は、もう長くないんだ。あんまり気を持たすようなことは言わないでくれ。それから、いつも言ってるだろう。神がどうとか、あやしげなことを吹き込むのもやめてくれって。ハッキリ言って迷惑なんだよ。」
[ルーサーは、否定も肯定もせずに、その言葉を受け止めるしかなかった。彼は車に戻るとシートに体をあずけ、しばらく*動かなかった*。]
[やはり空腹には勝てず、一路雑貨屋へと足を運ぼうと決心する。ここから大分歩くし途中で行き倒れになる可能性もあるが翌朝餓死するよりはよほどましな筈。
お約束のため息をついて踵を返す。
赤紫色に光るピアスは夕陽を反射してか、それとも石自体の輝きか。
恐らくその場に知り合いが居合わせるかもしれないが、自分の家に帰った時は少なくとも翌日を生き延びるだけの食料を買い込んでいるはずである*]
―自宅―
[買って帰った食料品を大型の冷蔵庫の中にしまい、花材をリビングの花器に活けた。暴風雨の災害と事後の対処に慌ただしかった私たちには、潤いと気持ちのゆとりをもたらす華やぎが必要なものと思えたからだ。
向こう側を向いた、窓の近くのソファの背もたれ越しに柔らかな曲線を描く白い脚が目に入った。私は足音を立てないようそっと近づく。
絹糸のような髪が風の中で泳いでいる。鬢は櫛で綺麗に後ろに流されかたちのいい耳がのぞいている。
唇の動きだけが、“ただいま”と言葉を紡ぎ、私は彼女を起こさぬよう触れるか触れないかの口吻を頬に残した。]
[先を越されて突きつけられる願望に、わたしはどうしようもなく恥ずかしさを感じ。返事すら出来ず俯くしかなかった。
そんなわたしの頭上を、彼の下卑た笑いが通り過ぎていく。]
『嗚呼、また一つ満たされていくわね…』
[怯える素振りとはうらはら、内心悦びで満ち溢れていく思いを胸に仕舞って。彼の行動に大人しく従う。]
嗚呼、お願いやめて…貴方の言う事を全て聞くからっ…髪だけは触れないでっ…!
[恐怖に怯える素振りを、思う限りで演じながら。]
[礼を言って紙袋を受け取り、カウンターに数枚の紙幣を置く。
また来てねと手を振る少女に手を振り返し再び扉をくぐった。
店の外に出ると、既に辺りは夜の帳に包まれ始めていた。]
パンも買えたし、急いでうちに──…、あ…。
[買い物が済み次第すぐに家に戻るつもりのソフィーだったが、ふと、何か忘れているような気がして足を止めた。]
―アトリエ二階・浴室―
[汗を洗い流すため、簡単にシャワーを浴びる。ボクサーショーツにTシャツを身につけ、リーバイスのブルージーンズを履いた。
空は茜色から濃紺へと色彩を変じ、山の稜線にかかる陽の光はか細くなっていく。今日はあまり外を出歩くことはないだろう――そう思い、ラフな室内着に着替えたのだった。ジーンズはあまり外で履けるものではない。町の住民の中には、あからさまに眉をひそめる人がいた。この時代、まだまだ年配者の中にはジーンズは不良の履くもの、反体制的だという意識が色濃かったのだ。
顔を洗い、鏡を覗き込む。あまり濃くはない髭を無理に伸ばしたのは、若造だと舐められないためにそうすべきだという父の薦めを汲んだものだった。童顔というわけではなかったが、表情がよく変わるせいか子供っぽく見えることがあるのか、年相応に見られることが少なかった。]
「言うことを聞く」だとォ……?
雌犬。テメェはバカか。
俺の目が誤魔化されるとでも思ったか?
[指先が白くなるほど強い力で女の肩を掴み、床に押し倒す。]
テメェの頭ン中を暴いてやろうか。
いつも考えてンのは、「女とヤること」だけ。男に服従するフリして、テメェはテメェの×××に指突っ込まれることを待ちわびてンだ。
………男の×××を女の×××に置き換えるテメェの想像力にゃ感服するが……
[女の背後から顎を掴み、容赦無く持ち上げる。]
残念だったな。
テメェは所詮、男に×××突っ込まれるだけの価値しかねぇ肉人形なんだよ。
[それはすぐに思い出せた。
嵐の後始末に追われ忘れていたが、もうすぐ母の──]
──もうそんな時期…か。
[ぽつりと呟きを漏らしたソフィーは、紙袋を抱え直すと向きを変え、ローズマリーの営む酒場を目指して歩き出した。]
―アトリエ二階・廊下―
[バスルームを出て吹き抜けのある廊下に出ると、母屋に繋がる渡り廊下の向こうに扉を開けて入ってくる妻・エリザの姿が見えた。]
「バート、帰ったの? そろそろ夕食よ。」
[見晴らしのいい母屋の窓からは、勾配を登ってくる車の姿が目に入る。彼女が窓際に居たのなら、母屋とアトリエが離れていても私の帰宅を察することは容易なことだった。]
ああ、わかった。
[振り返ると、私はソファーのシャーロットに声をかけた。]
ロティ、そろそろ夕食だよ。
[髪から離された彼の手は、わたしの右肩を掴んで床に押し付ける。その反動で背中にひやりとした感触を味わいながら、わたしは尚も罵る男の言葉に聞き入っていた。
人形以下と罵る彼。その言葉にわたしは悦びと屈辱と罪深さを同時に味わう。
嗚呼神よ。やはり同性を愛する事は、罪なのですか?
そんなわたしは彼の言うように、ボロ雑巾のようにぐちゃぐちゃにされてしまうしか、罪を償う方法が無いのですか?]
そうよ…。
わたしは貴方の言う通り、ペニスを同性の指使いと重ねて求めている罪深き女だわ…。
だからお願い…。あなたのその躰で…わたしを穢して欲しいの…。もう二度と同性を…禁忌を犯さない為にも…きつく叱って?
[顎を持ち上げられた体勢で、わたしは懇願を繰り返す。
これが神の言う背徳に与えられる罰だというのなら、素直に受け入れようと――]
けっ………なんだ、分かってんじゃねぇか。テメェの身の上をよ。
[女の肩からゆっくりと指先を下ろす。――爪を立てながら。
白い線が4本、女の背中に刻まれた。獅子の入れ墨の手前でその歩みを止め、男は言葉を放つ。]
喋ンな、雌犬。
テメェは犬だ。犬らしく吠えてやがれ。
言葉喋ったら……
―――パシィ!!
[トランクから引きずり出した鞭をしならせ、その先端を床に叩き付けた。]
……どうなるか分かってンだろうな。
[目の前の「雌犬」を四つん這いにさせ、男はガチガチに硬直したペニスを「雌犬」の尻の中に容赦無く突っ込んだ。]
痛…っ――
[背筋に刻まれた爪痕は背中の傷を穢す事無く立ち止まる。
その感触を得ながら、わたしは内心ほっと胸を撫で下ろした。この二つの絵画を傷つけられたら。わたしは契約という名の行為であっても、すぐさま彼へ危害を加えていただろう。何人であれども、これは穢すことはできない。たとえ命に代えても…護るべき物であり、護らなければならない物。]
[そうしている内に、床を叩きつける鋭い音が耳を突き刺す。
次に与えられた命は【禁止】。言葉を発することを禁じられたわたしは、彼の脅しとも取れる文句にただ素直に頷くしかなかった。]
[そんな姿は彼にはさぞかし滑稽に悦ばしく見えたのだろう。文字通り犬のように床へと這い蹲るような形にさせられたわたしの躰は、男の手によって腰を持ち上げられ。
間髪居れずにわたしの体内には、生温かい硬直した性器が差し込まれたのだから。]
──バンクロフト家・アトリエ二階──
──(ヒューバート帰宅以前)──
[シャーロットは近付いて来るヒューバートの車の気配を感じて、一度目を開いた。広いアトリエの中でもこのソファをシャーロットが好む理由は、見晴らしの良いガラス窓から遠くが見えるよりはやく、近付いて来る車の音が一番最初に聞こえる位置だからだ。
────独特の振動音。
一般乗用車やバスとは異なる、その車の乗り心地とヒューバートの運転を思い出したシャーロットは、無意識に小さな笑みを浮かべた。]
[「雌犬」の腰を両手で掴み、男は肉棒でその中を捏ねる。]
――グチャリ……グチャリ……
――ズブッ……ベチャ……
[男はコートを着込んだまま、緩やかに腰を上下させている。]
はァッ……くっ……ん……
雌犬。テメェは俺の奴隷だ……そうやって「男」に従うがまま、肉人形やってりゃあいいんだよ……
[何度も、何度も、腰を振っては叩き付ける。女の腟がグイグイと彼の性器を締め上げる感触に、深い溜め息を漏らす。]
んっ、ああ………ぐっ………ああ………
はぁっ……うっ………
[今、シャーロットが座っているソファは革張り。ロメッシュのシートとはまた異なるが、このソファもまた指先に触れるなめらかな感触が心地良い。ソファ、車、アトリエ…etc。
シャーロットは、父が選んで来る様々な「もの達」が好きだった。
ヒューバート自身が彫刻家である所為だろうか。選んで来るものは何処かに独特の共通項があった。美意識と言うものかもしれない。シャーロットにとって、それは当たり前である同時に、いつも新鮮な楽しさを感じることだった。父親以外の家族にはそう言った面白さは無い。父親と行く買い物は通い慣れたリックの家の雑貨店でも楽しかった。]
『はしたないことを言うんじゃありません。』
[母親の声が不意に甦り、ソファに凭れたままの姿勢で睫毛を伏せる。
あれは、最初にヒューバートがロメッシュにシャーロットをはじめて乗せた日の事だった。
車が家にやってきたその日に母親は、子どものシャーロットにもわかる嫌悪感をあらわしていたが、初ドライブの時には、それほど尖った姿勢ではなくなっていた。
広い視界と、普通の車ではあり得ない顔に当たる風の感触。シャーロットははじめてのオープンカーに「飛ばされそうでこわい」と言いながらもはしゃいだ。降りてから、感じたその魅力を母親に伝えたのだった。父親を擁護する気持ちがあったかどうかはおぼえてない。ただ、無邪気に楽しかったのは記憶している。]
『スピードを出すと、お腹に響いて気持ち良いんだよ』
[確か、話の途中でそのような内容をシャーロットは母親に言った。高級なシートを通して、太腿や下腹部に伝わる走行の振動。それはスピードと車に乗っていると言う事実を心地良く体感させるもの。言うなればエンジンの魅力。当時、普通の車にしか乗ったことの無いシャーロットには純粋に新鮮なことに思えた。
──何故、シャーロットの言葉がはしたないのか。母親は説明をしなかった。]
[数秒して、聞こえていた車の音が遠ざかる。
そこからどれくらいで車の姿が見えるようになり、ヒューバートが到着するのか。考えなくともシャーロットには理解出来た。母親もアトリエに居るのだから、当然ヒューバートの帰宅時刻が分かるだろう。]
でも、私にはママより先にパパが帰って来る時間が分かるの。
[呟いて、画集を閉じて置いた。そこまでは記憶している。]
[指とは比べ物にならない程満たされる感触に、思わず吐息交じりの喘ぎ声が零れてしまいそうになって。わたしは必死に唇を噛みしめた。
床に跪く体勢は関節に負荷が掛かり痛みを伴う。けれどそれ以上に圧迫する感触に、滴り落ちる雫は留まることを知らない。]
[途中、投げ掛けられる屈辱の言葉には、わたしは反論すら許されるはずも無く。また肯定の言葉も許されないためただ素直に頷く。
声の振動と共に内壁を擦り付ける感触が俄かに増して――]
んっ…んー…っ…あんっ…もう…だめっ…!
気が…触れてしまいそう…っ…!
もっと…もっと…欲しいのっ…女の人じゃなく…男の貴方の物が欲しいのっ…お願い…頂戴?もっと与えて頂戴?
[気付けばわたしは禁忌を破り。
男女の享楽としての恍惚を、涙ながらに懇願していた。]
………口聞くなって言っただろうがよ!!
[男は、片手に持っていた鞭をしならせ、「雌犬」の背中に叩き付ける。]
テメェは犬だ……おぅ……犬……っ……
いくらでもやってやろうじゃねぇか……あァ……
イク時はちゃんと吠えろよ、雌犬………っ!
[徐々に腰を振る速度が大きくなる。1匹の「雌犬」と「獣姦」をする男の荒い息は絡まること無く不協和音となり、外で鳴いている虫の声と共に部屋の中を駆け巡る。]
………はあっ……ぐっ……
出すぞ……おぅ……雌犬が………
………ッ!!!
[四つん這いにした「雌犬」を床に突き飛ばし、その背中に精子の群を発射した。]
―回想―
ほら! ほらほら、ほら!
めちゃくちゃ楽しいって!
[子供のように嬉々とした表情がエリザに告げる。
ロメッシュにシャーロットと初めて乗った日。楽しさを口にしたシャーロットを私は思わず抱き上げ、ひゃっほーと飛び上がらんばかりに喜んだ。
試乗を見に来たエリザは手の甲が白くなるほど心配そうな表情だったが、車から無事降り立った私たちを見て安堵のため息をついていた。
シャーロットの言葉によくわからない怒り方をしていたエリザだったが、彼女の楽しげな様子に表情にはいつしか母親らしい優しい笑みが浮かんでいた。]
大丈夫だよ。小さいシャーロットだって全然平気なんだから。
[私はエリザを促す。]
「本当に? ……あまりスピードは出さないでしょうね」
[エリザの表情からは未だに不審が拭われていなかったが、それでも少しだけ車の方に歩み出る。
私はシャーロットの肩を抱いて、微笑みかけていた。]
[私は時々、本当に実感する。もし、シャーロットがいなければ私たち夫婦は夫婦たりえていたのだろうか、と。
エリザがシャーロットを、あるいはシャーロットがエリザをどう感じていたのかはわからない。だが、シャーロットはそこにいるだけで私たち家族を繋ぎとめてくれているのだと、私は少なくともそう信じていた。]
[背中に振り下ろされる罰。でも今はその痛みすら絶頂へと誘う物でしかなく。わたしは叩きつけられる度に先を懇願し、それでは飽き足らず自らの腰を動かす。
ぬちゃぬちゃと淫らな水音と肌が打ち付けあう音が、初夏ののどかな空気漂う部屋に響き渡り、それがまた淫靡さを増してわたしの欲を煽っていく。]
あっ…もう…っ…来るのっ…快楽の波が…
だからお願いっ…出して?
貴方の精液をわたしに掛けてっ!
[懇願すると同時にずるりと抜け出た熱は、次の瞬間白濁した物を吐き出し。わたしの背中を穢していった。
そして絶頂に達した躰は心地良い疲労感と脱力感に見舞われ。生臭い匂いに囲まれながら、わたしは虚ろな眼差しで契約者を見つめながら、暫し悪夢と幸福の交差した*夢を見ていた*]
──バンクロフト家・アトリエ二階──
[今度は短い時間で夢を見ていた。
内容はおぼえていないけれど、おそらく取り留めの無いもの。]
「ロティ、そろそろ夕食だよ。」
[ヒューバートの声に慌ててシャーロットが跳ね起きる。
振り返って最初に、いけられたばかりの花の鮮やかな色彩が目に入った。父はきっと眠っている自分を起こさないよう、やさしく頬にキスをしただろう。]
…あ。
待ってパパ、すぐに行くわ。
[シャーロットは廊下へ向かう。]
[廊下に居るヒューバートにすぐに追い付いた。
ジーンズ姿の父親の横に並び、顔を見上げてにっこりと笑う。]
おかえりなさい、パパ。
言ってた予定よりも、はやかったのね。
[何時の間にかほどけけしまっていた髪のリボンに気付く。
慣れた動作で手早く結びなおしながら、]
…あ。「はやかったのね」って別に眠っていたことの言い訳じゃないわよ?
でも、私がソファで寝てしまっていた事、ママに言わないでね。
[今日の母親は昼間めずらしく、母屋では無くアトリエのリビングでシャーロットと共に過ごした。何時ものように仕事をしていた。もしかすると母親なりに災害後の今、家族の事が心配だったのかもしれないが、シャーロットにはそう言った理由はイメージ出来なかった。]
と言っても、ママもお昼間はこっちに居たから、ばれちゃってるかも。……怒られるかなあ。
[目の前で果てた女に優しい言葉を掛けることもなく、男はペニスをしまう。恍惚の表情を浮かべる女の顔を見ることなく、彼女を拘束していた道具と鞭をトランクに詰めると、男は無言で部屋を出ていった。]
[女の家を出て、しばし歩く。1955年製のトヨペットクラウンは、無言で持ち主の帰りを待っていた。]
[男は車内で紫煙をくゆらせながら、メモ紙にペンを走らせる。こうしてまた1人、彼の『記憶』の『兵隊』がこの世に生を受けた――*]
─アトリエ二階廊下→渡り廊下─
[それから5年半ほどの年月が過ぎた。愛らしくあどけなかったシャーロットは、日に日に美しく成長していた。
リボンを結ぶために擡げられたたおやかな腕と指先の滑らかな動き、なにげない日常の動作すらハッとさせられるほどの色気を含んでいる。
だが、「ソファで寝てしまっていた事、ママに言わないで」という言葉の年相応の可愛らしさに私は思わず笑みを零した。]
だいじょうぶだよ。
ママだってきっと事務室で時々居眠りしてるさ。
[そう言うと彼女の肩に手を添え、渡り廊下に促した。]
「あの娘はどうしてるの?」
[アトリエに近づきかけたエリザだったが、シャーロットと共に廊下に向かう私たちの姿を認め、軽く頷いた。ふと、彼女は私の顔を見ると、思い出したように言った。]
「ねえ、バート。あなた、雑貨屋で2ダースも何を買ったの? しかも特別注文で」
へ? 2ダース? なんだよ、それ。
[エリザの言葉に、一瞬なんのことかわからない。
エリザは災禍に遭った彼女の所持品の整理を手伝っていて、私の名前が書かれた伝票を見つけたのだと説明した。その発注が一月ほども前だと聞いて、やっと思い当たるふしがあった。]
「衛生用品って何?」
ああ、ああ。いや、たいしたものじゃないんだ。
ちょっと素材に使うものでね。
[一つ二つなら町の外で自分が買い求めたものだったが、なにしろ量が量だけに注文なくしてはままならないものだった。注文した時には二週間ほどで着くと聞いていたのだが、暴風雨によって道が閉ざされまた復旧の混乱の中でそれだけ到着が遅れたのだろう。
発注したものが無事届いているというのは喜ぶべきことだったのだろうが、モノがモノだけに今の状況を思えば不謹慎極まりないと受けとめられそうだった。]
「ダンボールで届いているそうよ」
[エリザの表情は不審に満ちていた。私は心の裡でため息を吐く。後ろめたさなどないはずだったが、妻や娘にはやはりあまり知られたくないものだったからだ。
そのうち取りにゆく、と伝えその話を打ち切った。]
[エリザは足早に再び厨房の方へと戻っていった。
私は、シャーロットに今日一日あったことを聞いた。エリザが母屋ではなくアトリエで仕事をしていたというのは珍しい話だった。]
いつもどんな話をするんだい?
[二人だけの時にどんな話をするものか、ふと興味が湧いたのだ。]
[小さく唇を尖らせてから笑う。]
…あは。
やだパパったら、ママが居眠りなんかするわけないじゃない。
すごくキチンキチンとしてるもの。
夜眠る時間だって…──。
[ヒューバートに肩に触れられて、無意識に安堵したのか軽く首を傾ける。母親が出てきたので、彼女に関する話題はそこで止めた。]
…ダンボールの中身って。
パパ、何か新しくちがうものを作る──の?
[首を傾ける。]
[話題が少し変化したため、実はシャーロットは昨夜上手く眠れなかった事は説明しなかった。
ネリーが道端で暴漢に遭ったことなど知るよしもなかったが、災害に間連して、町がヘイヴンの町外の人間が少数ながらウロウロしている。州の調査の人が一度、災害救助関係者らしき人達が何度か(町外の人間の立ち入りを好まないヘイヴン独特の土地柄があるため、アーヴァインが中心となりあまり町内に入れないように動いているらしいが)、暴風雨の最中にテレビの取材が来た事にはシャーロットも驚いた。
そう言った情報は母親から。あるいは、シャーロット自身が目撃したりして知った。日頃、内心はヘイヴンの町に飽き飽きしているシャーロットだったが、学校や役場、色々なものが壊れた事も含めて──なんだか、落ち着かないのだった。]
今日、お昼間ママと話してた事は……。
こういう時だから仕方ないけど、町に知らない人が来るのは落ち着かないって話とか、アーヴァインさんのお仕事の話。
レベッカおばさんのお店が心配だから、顔を出した方がいいんじゃないかとか。
もうすぐ、先生が家庭訪問に来るって話と。
ママは予定もちゃんとしておきたいのね。
後は、いつもと一緒よ。
…おばあさまの容態の話とか。
[母屋の建物は、古く廊下の装飾等を見るとヘイヴンの図書館と共通の意匠をみとめることも出来る。モダンで開放的なアトリエとは異なった空間だった。
シャーロット自身はこの母屋をあまり好んではいない。何処か避けている節もある。けれども、異質な二つの空間の往復が日常でもあった。
祖母は、今日は夕食に二階から降りて来るのだろうか。]
わからないぜ。
ママは目を開けたまま居眠りできるかもしれないんだ。
[私は笑いながら、冗談を言った。
シャーロットがダンボールの中身についてぽろりと言った言葉は、核心をついていたことだろう。だが、16の娘にそれがどんなものかを説明することはひどく不穏当なことに思われ、私はやや赤くなりながら“しーっ”と口元で指をたて、ウインクをした。
秘密を隠し、あるいは披露する前の道化師のように。]
[シャーロットの話に耳を傾けていて、ふと引っかかる事柄があった。]
家庭訪問に来る先生って……イザベラ先生かい?
[母屋の家屋は手入れが行き届いていれば、古風で趣のある建物に見えたことだろう。建物に比して著しく住人が少なくなったその建物は妻エリザや数少ない使用人の手では毎日の掃除など行き届かぬものだった。高い天井の暗がりには、蜘蛛の巣が張っている箇所さえある。
エリザはそれでも、自分が主に使用する事務室と食堂、厨房に関してだけは几帳面すぎるほどに整頓していたのだが。
バンクロフト家の住人で私の父は怪我をして後、脚が不自由となり介添え人がいなくては移動が覚束ない。祖母は耄碌し、年々意味のわからない言葉を呟くようになっていた。
そして、やや頭の弱かった叔父は暴風雨のさなか養鶏場の様子を見に行き泥流に呑まれ帰らぬ人となった。]
[家庭訪問に家を訪れるのがステラだと知り、私は内心少なからず動揺していた。
彼女はシャーロットとどんな風に接するのだろう。あるいは妻は彼女と会うことがあるのだろうか。
僅かな葛藤を心の奥底に押しやり、話題を切り替えた。]
……しかし、折角の夏休みだというのに、災難だね。
嵐の日が続いた時にはろくに外に出られなかったし、嵐が去った後も復旧で色々バタバタしてたからなあ。
[家の中に閉じこもらざるを得なかった数日を私はシャーロットの型取りのために使い、有意義な時間とすることができた。だが、シャーロットにとっては閉じこもり、また制約のある時間は退屈なものだったのではないか。そんな思いが口をついて出ていた。]
落ち着いたら、遊びに行こう。
だが、できたらもう少しつきあって欲しいんだ。
[荒々しい暴風雨の惨禍は目を覆うばかりだったが、身の回りの変化からは同時に創造のための意欲もかき立てられていた。年に一度の周期になる型取りを終え、作品を生み出すための気持ちの準備も整いつつある。
旧友ホレスの残していった言葉もその意欲を後押ししていた。]
そろそろ、次の作品の制作に入ろうと思う。
その予定で考えておいてくれないか?
[近いうちにモデルになってくれるようシャーロットに頼んだ頃、食堂の入り口についた。私はその話を終え、*扉を開いた*]
双子 リック が参加しました。
――雑貨店――
[十何回目かになった呼び出し音を数えて、僕は受話器を置いた。チリンと小さく鳴った音に、ウェンディが身を竦ませたのが見えた]
『――あれから、いつもこうだな』
[思いながら僕は振り向き、結果を口にした]
……ダメだ。繋がらない。
事務所に誰も居ないのか、あるいは。
[言外に置き去った可能性を判じかねたように、ウェンディは小首をかしげた。僕はかすかに嘆息する。どうやら見た目通り、彼女はただ漠然と座っていただけにすぎなかったようだ]
……つまり、さ。あの暴風雨で、電話線が切れてるかもしれないってこと。そりゃ、確かに、ノーマン――父さんが不在ってことは良くあるけど。事務員まで連れて“出かけてる”とかね。
[以前見た情景を連想する。都市に出した事務所に顔を出した時のこと。若い女性を伴って出て行くノーマンの後ろ姿。あれは――誰だったろうか]
でも、幾らなんでもさ。
電話ひとつ、電報ひとつ寄越さないってのは、ちょっと、ね。
[幾らなんでも。その言葉が示す事柄に触れないようにうやむやに濁し、僕は今後の方針を述べた]
……まあ。あいつならそれも有り得るか……。
とりあえず、町の様子、見てくるよ。
店番は任せたから、ね。ウェンディ。
[ローズはブランダーの店に電話をしている]
ええ、食料品を適当にみつくろってください。
はい、お時間は何時でも。
よろしくお願いしますね。
[電話を切って]
これでもうちょっとマシなものを作れるかしら。
─酒場「アンゼリカ」─
今帰りましたよ。
煙草買いがてらちょっと町見てこようと思ったら結構時間掛かっちゃって。
[ドアから入ってきて開口一番がそれであった。この男は常に何処となく楽しげに見える。
帽子を取ってカウンターに置き、ローズマリーに微笑みかける。]
何か、手伝いましょうか?
[まだお客も居ないから大丈夫、とローズマリーに言われ、あてがわれた2階の客室に戻った。
帽子を椅子の背にかけ、ベッドに腰掛けてブーツを脱ぐ。身体を屈めるとどうしてもシャツの脇の辺りが引き攣れて、今にも布地が悲鳴を上げてそうな気配だ。
ついでとばかり借りていた衣服も全部脱ぎ捨て、ベッド脇の椅子に無造作に積み上げた。ポケットのなかの、煙草やライターや、細々としたものは皆サイドテーブルの上にぶちまけた。]
[ギルバートはどちらかと言うと着痩せする方で、筋肉の付き方も厚みを増すよりは締まっていくタイプだが、それでも裸になると縄の捩れのような隆起は目立つ。
室内に他に誰も居ない所為もあるのだろうが、それにしても裸身を晒した人間にまま見られるそこはかとない気恥ずかしさや弱々しさは感じられない。誰かの視線を……自分自身のそれも含めて……まるで意識していないか、或いは見られることに慣れているのか。
カーテンを閉めると、明かりをつけない室内は闇に包まれた。外はもう夕暮れなのだ。
腰周りにシーツだけかけて、頭の後ろで手を組んで横になった。
しばらく闇の中で目を見開いて何か考えていたようであったが、*やがて目蓋を閉じた。*]
[『お前はこれくらいのこともできねぇのか!?
何で俺からお前見たいなカスが生まれやがる。いつもナメクジみたいな目で見やがって、薄気味悪い!』
『あぁ、ユーインと同じ顔でなければこんな子100人から死んだとて痛くもないのに。何故あの子と双子で生まれたの?
お前なんて生まなければよかった…!』
『また痛い目にあったの?ハーヴ?仕方ないよね、ハーヴは一人じゃ何もできないんだから。
大丈夫だよ、俺がずっと一緒にいてあげるから。
俺はちゃんとハーヴを愛してあげる』
父さん、俺何もしてない、してないよ?なんで殴るの?
母さん、俺だってあんたたちを親に選んで生まれたくなかったよ
兄さん、いつになったら俺を一人にしてくれるの?
迷惑はかけないよ
見えるような所にもいない。
ちゃんと『愛してる』というから
…だから…』]
…っ!
[浅い眠りの中、昔の記憶の一部が交差する。
飛び起きた自分の体は酷い寝汗。
暫くこんな夢は見なかったのに。
叔父の家に行ってから長く使っていなかった睡眠薬、少しばかり持ってきて正解だった。多分今夜から世話にならないといけないかもしれない。
窓の外は月が覗く。あの災害の後とは思えないほど綺麗な月。
明かりを付け、ベッドルームから抜け出すと水を一杯、取りに行く]
[通り過ぎたリビングにあったあの写真。
確か兄の学校の宿題、[家族の写真]で撮った物だったか。
幸せそうな家族の笑顔と一つ無表情に近い青白い顔。
あの時は笑っていたつもりだったのに、と苦笑する]
これが家族ってヤツか。家族って何なんだろうな。
笑っても殴られるものなのだろうか。
あんなことをするのが愛情っていうんだろうかね。
兄さん…いや、ユーインがあんな死に方をしなかったらこんな所二度と寄り付かなかったけど。
[くくっ、と喉からかすかに笑い声。次の瞬間、床に何かを叩きつける音が響く。まだ夜は長いはずなのに暫くは眠れそうにない*]
―ナサニエルの自宅・書斎―
[宵闇が差し込むベッドの上で、男はだらしなく横たわっていた。
男は、微かに目を覚ます。先ほどの「依頼」の遂行により、疲労感が身体の中に小さな澱みとなって走っているのを、彼は明確に感じていた。]
[安楽椅子の上には、無造作に置かれた黒いレザーコートとトランク。床には無数のメモ。]
ルー……シー………
[ズルズルとベッドから起き上がると、ライターの小さな明かりを頼りに、机の横にある段ボール箱にもたれ掛った。]
ルーシー………ィ
[ゴソゴソと中を物色し、男は小さな紙片を見つけた。瞳孔が開き切った目が、しばし釘付けになる。ミシン目に沿ってその断片を切り取ると、男はそれを舌の上に置いた。]
………………………!!!
[紙片が舌の上で、艶やかな根を下ろした。]
[直後に彼の視界に入ったのは、色とりどりの光。グネグネとカタチを変える赤、黄色、あ、あ、青。]
[真夜中だというのに天上から光が差し込み彼を優しく包み込む彼の目の前に現れたのは顔の無い女神でありセックスシンボル彼女の王冠は四方八方に貴金属特有の腕を伸ばし南国の椰子の木のように空を彩る]
あああああ……………
[恍惚は暇を待たずすぐにやってくる聖女の姿をした淫乱な神の使徒が数多の手を伸ばして男の身体を愛撫する彼は天上の国の王のごとく余裕の笑みをもってその感触を受け止める]
ルー………シーィ………
ああ………あああ………!
[真暗闇の書斎、本棚の林の中。
メモの木の葉の上に顔を半分埋めながら、男はひとり、恍惚の笑みを浮かべて床を這いずり回っている――*]
[ローズは誰もいない店で考え事をしている。
先程戻ってきたギルバート。朝に感じた強い魅惑は健在だったが、彼の着ている服を見て思い止まり、早々に店から追い出してしまった]
どうして、あんな服をとってあったのかしら…。
[3年前、あの人がでて行ったときに全て処分したつもりだったのに。それを見つけたのはほんの数日前。
すぐに捨ててしまおうかとも思ったが、この災害時、必要になる人もいるかもしれないと取っておいたのはよかったのか悪かったのか。
体つきはあまり似ていないギルバートがそれを着ているだけでも、気持ちがざわつく。
わたしをなじり、打ち、許しを乞い、そしてでていったクインジー…]
[クインジーがわたしをなじるようになったのは、やはり子供ができなかったせいなのだろうと、ローズはかすかにため息をついた。
5年に渡る結婚生活では避妊などしていなかったにもかかわらず、妊娠の兆候は少しもなかったのだ。
そのあとも何人もの男と寝たがローズは避妊をしたことはないにもかかわらず、子を孕むことはなかった。
自らの欠けた機能。それを認めたくないがためにいろんな男と何度もセックスを繰返しした。
それが諦めに変わるころだったろうか、ステラと知り合ったのは]
――雑貨屋前――
[様子を見てくると言って店を出た僕は、小さく聞こえた唸り音にやがて気付いた。乗り込もうとしていたヴァンの扉に手を掛けたまま振り向く]
『あれは――』
[特徴的なエンジン音。こんな山奥の辺鄙な町には似合わない高級車。その車の持ち主にはただ一人しか心当たりはなかった]
『ボブ、だね』
[そう思いながらガレージを出、通りを眺める。次第に大きくなるシルエットの助手席に、緑色の姿が見えた]
それと……ネリーか。
[子供の頃から見知った彼女の笑顔。父親が街に出てからの数年は見なかったけれど。そして僕はふと、ある事に思い至った]
『そういえば。ネリーがヘイヴンに戻ってきた理由、聞いていないな』
[ヘイヴンに戻ってきたということは、辞めたのだろう。あるいは辞めさせられたか。でもどちらにしても、僕はその理由を知らなかった]
─アーヴァインの自宅─
[日が暮れる前に補修を済ませたアーヴァインは、早めにありあわせのもので軽い夕食を済ませた。
今夜は久しぶりにゆっくりとコレクションルームで過ごすと決めていた。
お気に入りのレコードを選んでプレイヤーにセットし、ホームパーティの客には絶対に出さない、とっておきのコニャックを用意して、ヴィクトリア調の長椅子に座る。彼は年に数回、休暇をとって大都市に行くことにしていたが、この酒はその折に購入したものだった。
この秘密のコレクションルームで一人のんびりと過ごすのが、普段町に居る時の彼の唯一の憩いのひと時だった。
スピーカーから流れるゆるやかな管弦の音を聞きながら、壁面一杯に飾られた写真を見回す。どれもこれも、彼が手ずから撮影した作品であり、額に入った一枚一枚全てに愛着があった。
もう少し劣る作品も、彼はアルバムにして保存していたが、このコレクションルームの壁面を飾る作品は別格である。
その写真がもたらす思い出の一つ一つを、彼は恍惚として反芻した……──]
村の設定が変更されました。
[ローズは一度店をCLOSEして洗濯物を取り入れに奥に入った]
いつもの何倍だったのかしら。
[取り入れた後部屋に戻り洗濯物をたたむ。
ギルバートの衣類から、彼の匂いがかすかにして、ローズは少し身体が熱くなるのを感じる]
[まとめた洗濯物の山をかごに入れ、ギルバートの部屋にとどけようかと考えてかすかに逡巡し、苦笑いを浮かべて、腰を上げる]
そう、いればこのまま渡せばいいし、いなければ部屋の前に置いてくればいいのよ…。
[ローズはギルバートの部屋の扉をノックした]
[ボブのカナヅチを買いたいと言う意見を受けて、ボブと共にネリーはブランダー家の雑貨店へ向かった。
言いたい事のいくばくかを言う事ができたからか、ボブはすこぶる上機嫌でハンドル捌きやアクセルの踏み、あるいは戻し等に軽快さが一層あった。
その後、イタリア産の自動車は雑貨店の前へ滑り込んだ。
ネリーは仕事としてはここへ来る事はあるが、やはり気が進まない。
ボブもそれを察してか、自分がが品物は買ってくる、とネリーを制してお店へ進んでいった。
ネリーは自動車のそばで雑貨店を見上げてひとりで呟く。]
ここにはいろいろあったわね・・・
……あぁ。今開けます。
[急いでベッドの上に起き上がり、脇の椅子からズボンだけを引っ張り出して足を通す。
素足のまま入り口まで歩き、扉を開いた。]
[ふと、ネリーの目線の向こうに少年の姿が見える。
名前はそう・・・リック。あの人の子だ。 しばらく顔は見ていなかったが、ものすごく背が高くなっているように感じられる。
少なくとも眼前で対面した時、彼との視線の角度は全く違うだろう。
ネリーはいつものように笑顔をリックに向けた。
笑顔が出ることそのものはネリーの持ち前の良さだったがその笑顔そのものに・・・何か違和感を自分に*感じさせるものがあった*]
[目を細めてローズマリーに笑いかけたところで、彼女が持っているのが自分の衣服であると気付いたようで、その笑みが一層深くなった。]
あ、ありがとうございます。ベアリングさん。
大変だったでしょう。汚くて。調子に乗って全部出したからな…。
──母屋の廊下…→食堂──
[ヒューバートのウィンク。おどけて見せるその動作に、好奇心がくすぐられた。けれど、今それを聞く事は出来ないだろう。]
…楽しい秘密なのね。
後で、またダンボールを開ける時、ママが居ない時に教えてくれる?
──先生は、イザベラ先生じゃないわ。
今はステラ先生。 ステラ・エイヴァリーと言って、ブルネット…と言うよりは黒髪って言った方がいいような。 ステラ・エイヴァリー先生。パパ、先生が変わったこと知らなかったの?
ママは、暴風雨の所為で仕事が増えちゃったから、もし大丈夫ならパパに頼みたいって言ってたけども。「パパが無理なら、私のスケジュールを変えるから大丈夫よ」ですって。
[高台にあるこの家と比較すると掃除が手間だったが、それほど事務所の被害はひどくは無かったはずだ。どうも今日のエリザの話ぶり、「何かどうしても変えたく無い予定」があって「そのために調整をしなくては」と言う様子に、シャーロットは戸惑いをおぼえていた。災害の所為だけなのだろうか。
エリザは姉妹であるレベッカ(故人)とは仲が良かったが、家の仕事や町の自治会関係のあつまり以外はあまり友人もなく、几帳面だとはいっても格別に予定で困るような生活はしていないはずだったのに。]
[上半身裸のギルバートに目が釘付けになり、ローズは一瞬無言になった。
ギルバートに微笑みかけられ、あわてて洗濯物を差し出す]
洗濯物、無事に乾いたわよ。
…今日貸した服は好きにして。捨ててもらってもかまわないから。
[ローズはギルバートにぎこちなく微笑み返した]
[そう言えば、ヒューバートの叔父にあたる人物の死については、昼間エリザは口にしなかった。下流で発見された彼の遺体がそのまま、ヘイヴンの墓地にある遺体安置所の職員ユージーンに引き取られて行った時、母親が少し安堵していた事を、シャーロットはおぼえている。キリスト教式の葬儀式が行われる事の無いヘイヴンでの人の死はややシンプルなものだ。つい先日、ヒューバートの叔父にあたる人物と同様に、エリザの妹──つまりシャーロットの叔母レベッカも死んだが、こちらもやはりシンプルだった。
エリザは、もしかすると、経営の傾いている養鶏所を手放す機会だと考えているのかもしれない。耄碌し始めたシャーロットから見ての曾祖母。車イスの祖父。立派な母屋は以前も今もどこか疲れる場所だった。
16歳の誕生日を過ぎてからいわれるようになった
「あなたもそろそろバンクロフト家ことをわかっていってね。一人娘なのだから。」と言う、責任感の強い母親の言葉を、食事前に思い出してしまう。ああ、未来の事を考えるのは苦痛だった。]
新学期がはじまったら、私も一年で卒業──。
[父親に聞こえるか聞こえないか、小さく呟いて軽く首を振った。その時に、続いた父親の言葉にぱっと顔を上げて頬笑む。すでに瞳が好奇心でキラキラと輝いている。]
今度はどんなのを作るの、パパ。
…ううん、良いわ。
まだ教えてくれなくて。
だってその時まで楽しみにしてる方が良いもの。
[じっとしていて肩が凝ったら、ストレッチするから大丈夫よ、とも付け加え。
災害後の片付けもすでに終った。
母屋の食堂には*良い匂いがしている*。]
――自宅――
[嬌声と艶かしい水音が入り混じる部屋、時を向かえて欲を吐き出したわたし達。肩で呼吸を整えていると、ようやく部屋に前からあったであろう虫の声が、わたしの鼓膜を揺さぶった。]
[果てた男は早々に、大して乱れていない身支度を整え、享楽に酔いしれ悪夢と幸福の入り乱れた挟間に佇むわたしの躰から、拘束具を外し無言の内に立ち去る。
その後姿をただぼんやりと見送りながら、わたしは扉が閉まる音を聞きつけると、ほっと長く溜息を吐きだした。]
お疲れ様、ナサニエル。付き合ってくれてありがとう。
――これで少しは…あなた達の欲望も…治まってくれたかしら…?
[たくし上げられ肩紐が肘まで下がったコットン製のブラジャー。そして足首に小さく纏まる汚れたショーツ。髪は乱れおまけに背中にはまだ精子の鼓動が鳴り響き、太腿には愛液がまだ生々しく光り輝いている姿で、まずは彼に対して労いの言葉を呟いた。
そして背後に潜む二匹の獣達に問い訊ねた。]
[わたしが声を掛けると、彼らは背中に撒き散らかされた精液を貪るように食していた。と言っても膚に刻まれた絵画は食事等出来るはずも無いのだが。
しかしその考えを覆すかのように、彼らは瞬く間に色鮮やかに蘇り。まるで今にも鼓動が聞こえてきそうな位艶かしく目を光らせている。]
久し振りの食事は、そんなに美味しかったの?
[どろりと背中を滴り落ちる白濁を、わたしは味見をするために後ろ手で掬い上げて口許へと運ぶ。舌で舐め取るように口に運んだ体液は、生臭さと苦さと微かな甘みを帯びていた。]
んっ…おいしっ…――
[一口運ぶとまた一口欲しくなり。わたしは出来る限り掬い取っては無心に口許へと運ぶ行為を繰り返した。
窓の外からは子供達の無邪気な笑い声が聞こえる。わたしの生徒達。彼らはわたしを穢れ無き人と認識する。そう教え込んでいるからだ。]
[だから彼らは知らない。純潔を重んじる潔癖な教師の素顔は、性欲に塗れ罵られて絶頂に達する罪深き者ということを。神に背き子孫繁栄の道徳にも背き、己の欲望と罰の挟間に常に身を置かなければ自身の形成も出来ない欠陥品だということを。]
「あのねっ、あたしステラ先生が憧れの人なの!大きくなったらステラ先生みたいな人になりたいな!」
[ふいに外で遊ぶ子供達からわたしの名前が挙がる。その無邪気さに触発され、わたしの理性は一瞬にして体中を巡り巡る。嬲られた記憶と重なるように。
舞い戻ってきた日常で非日常的な姿を確認すると、すっと血の気が引ける。鏡を見なくても判る。今のわたしの顔はきっと青褪めているのだろう。
嗚呼、わたしは…またなんて事をしてしまったのだろう――
後悔の念が体中を渦巻くいた。]
――いやっ…そんな風にきれいな者として見ないでよ…。
わたしは神に背いて穢された挙句、欲に狂った女なのよ…?今だって欲望に感けて男の躰をむさぼり続けていたんだから。
だから…綺麗なんかじゃない…綺麗なんかじゃないんだから…憧れだなんて…言わないでよ……。
お願いだから…言わないで…――
[我に戻ると必ずと言って良いほど訪れる自己嫌悪。その反動は行為が激しければ激しいほど大きく、わたしを深く傷つける。
ナサニエルに望んだ【罰】は思いの外絶大な効果を上げて、深く深くわたしの心身を抉っていく。
しかしこの罪を認識し罰を与えられる行為は、どんなに辛くても拒むことは出来ない。]
[もし拒んでしまったら。わたしはこの町で暮らしていく事すら出来なくなってしまうだろう。
でもどんな事をしてでもそれだけは避けたかった。ここはあの人の住む町。あの人が教えて与えてくれた居場所。そんな意味深い場所を、わたしは僅かな苦しみと引き換えには手放す事はできない。]
だから…多少の苦痛は我慢して…わたし――
[性欲に塗れた膚をそぎ落としてしまいたい衝動を必死に堪えながらバスルームへと駆け込むと、わたしは力いっぱいコックを捻った。熱めのシャワー越し汚れた性器を厭きるほど洗い流して。その日は悪夢を抱えたままベッドへと潜り込んだ。診察も、家庭訪問も、残った用事も全て投げ出して。わたしはただ死んだように眠り扱けた。]
* Family Procepts - 家訓 *
[どこの家にも、なにかしら独自の決まり事や他から見れば珍奇な習慣があるものだ。
バンクロフト家では朝食や昼食は各々の住処で好きに摂ってよいものとなっていたが、夕食は母屋で家族が揃うことが望ましいとされていた。
食前の神への祈りをテレビで観た時に、あれはその家の特殊なローカルルールだと思いこんでいた。我が家では、一族の主が毛皮のベストを羽織り、蔦と樫の葉でできた冠を被る。手には松笠のついた小さな簡易杖を握り、並べられた食事の上で振った。
新鮮な生肉が手に入る時には、食卓の中央の銀の高坏に捧げ置かれ、御饌とされる。この肉だけは、他の食事とは違って必ず手か歯を使って千切らなければならなかった。
アートスクールに入り友達の家に招待された時、一向に松笠の杖が出てこないので、「あれ? 松笠は?」と聞くと皆一様に宇宙人を見るような顔でぽかんと私の方を見たものだった。それで、私は説明を諦めた。
なぜそんなことをしなければならないのか、明確な説明など聞いたことはない。紀元前のある密儀に類似性は見られるが、関連があるかまではわからなかった。]
[たとえば、我が家の書斎に並ぶゲーテ全集には『若きウェルテルの悩み』が収録された巻が抜けている。それは、娘にシャーロットと名付けられた時、私の手で書庫に片付けられた。
シャーロットがまだ幼い頃、飼い始めたばかりの猟犬が噛みついたことがある。父は躾が行き届いていなかったその犬を、猟銃を持ってどこかへ連れて行った。犬は帰ってはこなかった。
バンクロフト家で育つ子供は、十二歳まではパドルで躾られる。それ以降も成人までは、親が罰する必要があると感じた時には「罰が必要か? そうでなければ自らを罰せよ」と選択を迫るかたちで罰が科せられた。
――それが我が家だった。]
―母屋・食堂―
[シャーロットは、私がそこをあまり気に入っていないのと同様に母屋をあまり気に入ってはいない。父は孫娘を目に入れても痛くないほど可愛がっていたが、ともすれば教育や彼女の将来について口を出したがっていた。
隣の椅子に腰を降ろすシャーロットを横目に、一瞬先程の会話を思い出す。
シャーロットなら、ダンボールの中身とそれから作られるものをきっとおもしろがってくれそうな気がした。だが、“それ”に年頃の娘が興味を示すことは父親としては心穏やかでないのも確かで、私は少々困ったように微笑するばかりだった。]
『それにしても…… どうしたものか』
[心を騒がせるのは、ステラのことだった。間違っても、私の居ないところで妻と会わせる気持ちにはなれない。かといって、シャーロットとステラ、私の三人で会った時に私がおかしな振る舞いをしてボロを出したりしないとはこれまたまったく保証できなかった。まして、シャーロットは鋭いところがある。秘密はあってないようなものだとさえ思った。
後は野となれ山となれといった心境で、「できるだけ私が立ち会うよ」と彼女に約束したのだった。]
[だが、そんな事柄は些細な憂鬱にすぎなかった。
シャーロットは、次の作品制作を快諾してくれたのだ。いくつか浮かんでいるアイデアに思いを馳せると、浮き立つ気持ちを抑えることができない。
少々そぞろになっていた私の耳に、エリザの話し声は断片的にしか届いていなかった。「聞いてるの?」と咎めるような眼差しに、やっと注意を引き戻した。]
「バーサったら、飼い犬を車にはねられたかもしれないって」
[エリザは噂好きの老嬢バーサからの電話で午後にたっぷりと愚痴と町の出来事を聞かされたようだった。見知らぬ来訪者が町を訪れてもいるらしい。シャーロットやエリザの話からは、テレビクルーの姿まであったという。私はトラックが物資を運んできた後の学校での様子を話した。]
[やや耄碌している祖母はデミグラスソースのビーフシチューをスプーンで掻き混ぜながら「糞の海に兵隊は呑み込まれていくよ」とニコニコしながら呟いていて、私は頼むから食事中に汚いことは言わないでくれと頼んだ。ベトナム戦争は終わったんだ、と理解してるかどうかわからない彼女に教えながら。
「“つの”だよ」と祖母は私を見つめて言う。「角が囁いてるから、よく聞かないとねぇ」
祖母の妄言はいつものことだ。私は意味を理解することを放棄した諦め混じりの笑顔で、虚ろな相づちをうっていた。]
[だが、“角”と聞いてふと記憶が呼び覚まされる。]
そうだ、図書館にもそのうち行かないとな……
[被災してそれどころではなくなっていたのだが、図書館に送り届けなければならないものがあったことを思い出していた。
ステラ、ニーナ、ハーヴェイたちと図書館と学校の展示物や出し物についてのワークショップを開いて話をしていた時に、教育史についての書物や資料を扱ってはどうかという意見が出た。私はそれならば、と十五世紀頃から子供たちが文字を習うために用いていたアルファベット絵本の元祖、ホーンブックの提供を申し出たのだ。
母屋の屋根裏部屋、古びた櫃の中にそれは眠っていた。子供の頃に一度見たきりだったそれを記憶を頼りに探し出してみると、しかし残念ながらとても使用に耐える状態ではなかった。
私は元々そうした工芸品を自分の手で作ることは好きだったし、ホーンブックの造形に心惹かれるところがあったため複製を作ってみることにしたのだった。]
[ホーンブックは握り手のついた木の板―羽子板状というのだろうか―で、中央にはアルファベットの文字盤がついている。その文字盤は透明になるほど薄くスライスした角で保護され、それ以外の部分は革で覆われていた。
子供たちは角でできた表面に下の透けてみえるアルファベットをなぞり書くことで文字を練習することができるというものだった。
私は糸鋸で樫木の板を羽子板状に切り、水牛の角の表面を幅広の刃物で丁寧に削いだ。湯の中で、割れないようにゆっくりと、まっすぐな板状になるまで延ばす。真鍮の板にアルファベットを刻み、文字盤とした。鞣した革を張り、表には意匠と補強のため四隅にリベットを打った。
作っているうちにこの過程が楽しくなった私は、自分用にも一つ別に誂えることにした。そちらは通常のラテン文字の他にフサルクとフェニキア文字の三種のアルファベットが刻まれたものとなった。]
[そういえば、嵐が訪れる前に革を鞣す作業を手伝ってくれたハーヴェイは今はどうしていることだろう。できあがったホーンブックを見せ、礼を言えたらいいのだが。
他にも、嵐の後の雑事に追われる日々の中であまり会う時間を得られなかった友人は幾人もいた。
ぼんやりと考え事をしていた私は、すぐ近くの燭台の灯明に浮かび上がるシャーロットの横顔がほんの僅か常とは異なることに今頃のように気づいた。容色に聊かの曇りももたらすほどではなかったが、薄い皮膜のようなごく微かな倦怠がその表情を覆っているように感じられたのだ。
午睡に落ちていたのも、あるいは夜の眠りが定かではない所以ではないだろうか。考えてみれば町を襲ったのは未曾有の惨事で、心休まらぬのも無理のない話だった。だが――]
――だが、本当にそれだけだろうか。
惨事はこれで終焉を向かえたのだろうか――
[パンを千切り皿のシチューを拭う。食事を口に運ぶその眼差しはいつしか遠くへと*導かれていた*。]
―自宅にて―
[鏡台の前に座り、男はファンデーションを顔に塗り、深い色の隈を隠している。]
[書斎の床には、彼が「原色の世界」にいる間に書き散らしたメモの類が散乱している。走り書きの中には、もはや文字として成立していないものもあるのだが。
金色の光、サージェント・ペパー。
段ボールに詰め込まれ、ノーマン・ブランダーの雑貨屋から配達された紙片――LSDは、何事も無かったかのように箱の片隅でひっそりと息を潜めている。]
……っと。こんなモンか……
[鏡台の引出から、香水の瓶を取り出すと、男はそれを両手首に1つずつ掛けた。あまり大量にならぬよう、控え目に。
甘い苺の香を首筋に寄せ、それが全身に回るのをしばしその場で座って待つ。]
─ローズマリーの酒場・客室─
ンン…
[扉枠に手を付いて、ローズマリーの方に身体を傾ける。視線を合わせ、彼女の瞳を覗き込む──その更に奥底の隠されたものを貫くが如く。
笑みを刻んだ唇が、ローズマリーの顔に近付く。琥珀の瞳が蜂蜜の輝き見せて揺蕩う。]
[目が覚めるといつものように微かにだったけど嫌悪感は薄れていた。子供達の声も聞こえないし、もし聞こえたとしても今なら「憧れのステラ先生」を演じられるだろう。]
そろそろ家庭訪問にも…行かなくちゃね。
教師が仕事をさぼっていたら、生徒にも示しがつかなくなっちゃう…。
[生成色で統一した寝具から這い出、わたしは小さく伸びをした。目を背けたい行為の後はくたくたに疲れている所為か、いつもより深い睡眠が得られる。
わたしが彼との契約遂行の中で唯一歓迎するのは、事後の深い眠りだけ。後は出来れば味わいたくも無いものばかり。]
そう言えば訪問先って…たしかシャーロット・バンクロフさんの御宅よね。この町の…――ってわたしが言うべき事じゃないか…。
でもそういった家なら。少しは服装も整えた方が…良いわよね。薄化粧を施して…。あ、香水は逆に失礼に当たるかしら?
[自身に聞かせるように呟く言葉は、身形を整える為の言い訳。本当は…少しでも着飾りたい心の裏返し。
だって、シャーロットのお父様は――]
…逢えるかなんて解んないし…。
でもっ…少し位期待しても…良い…わよね?
[充分な睡眠で冴え渡った脳内は、心が弾む事しか提案して来ない。なのでわたしはその命に従って、クローゼットからレース仕立ての華美にならない程度の下着を取り出し身に着ける。
その上にスタンドカラーの上質なブラウスに足首までのスカートを組み合わせ。髪を丁寧に纏め上げた。
仄かに香る黒水仙の香りはウエストから。嫌味にならない程度に漂わせる。きっとすれ違った際には微かに香る程度。密着しなければその本来の香りは届かないようにして。]
さぁ、用事を片しながら職務を全うしましょう?
[丁寧に磨いた履きなれた革靴を鳴らし、わたしは*自宅を後にした*
仄かに染まる薔薇色の頬に、彼の人への思いを色溶かして――]
ん〜と…
[おき出してから、昨日叩き付けた写真のガラスの後片付け。腹の虫は昨日の努力の結果買い取った食料品で押さえつけ、ちらりと外を見やる]
そろそろ先生ンとこ挨拶いかないと…心配してもらってると悪いし…。
それと…缶切り…
[雑貨屋で買いそびれた重要物資、このあとローズマリーの所に電話の一つでもかけた後、訪れるのだろう]
あ。
[ふと改めてみる自分の車、災害のあった道を通ってきた当然の結果か、泥だらけ。免許を取った後に買った安物ではあったけれども愛着もって乗っている物]
…掃除の後に、かな。
[苦笑しながら予定を消化する為、まずは腕まくり]
[ローズマリーは吸いよせられるようにギルバートに口づけをした。
ギルバートの匂いがローズの眠っていたものに火をつける。
ローズは腕を伸ばし、ギルバートにしがみついた]
[しがみ付いてきたローズマリーの身体を受け止め、より深く唇を合わせる。幾度も幾度も貪るように。
舌を口腔に差し入れ、口蓋を歯茎を舌の付け根の甘い腺をなぞっていく。]
[鏡台の前から立ち上がり、男はシャツを着替える。
左腕の肘の裏側から前腕、手首にかけて、真っ赤な薔薇の花びらが重力に従ってハラハラと舞い落ちる絵が刻まれている。
胸には、心臓を連想させる、脈打つハートマークに、"Dusty Angel"と刻まれた白いリボンと薔薇の蔦が巻かれ、ハートの後ろには、白い後光が放射状に何本も走っている絵。――だが、その奥に「十字架」が無いのは、彼がヘイヴンの出身であるが故のことだろうと推測される。]
[鏡に映った彼の背中には、肩甲骨から腕の付け根にかけて、一対の翼が刻まれている。――「天使の翼」――彼は時折、歪んだ笑みを浮かべながらそれを他人に見せるのが常だった。]
[ボタンホールが右側に付いた白い襟付シャツが、男の膚を外界から遮断する。]
……………。
そろそろ約束の時間だなァ……。
[腕時計をチラリと見やり、LSDが潜んでいる箱から小さな黒い缶をひとつ取り出す。
いつものように書斎と玄関にひとつずつ鍵を掛けると、男は古めかしいトヨペットクラウンに乗り込んだ。]
[徐々に闇に近づきつつある空を見ながら、足早に酒場を目指す。
人員不足なのだろう、街灯は沈黙したままだ。
殆どの住人と顔見知りと言っていい小さな町だから、襲われるような心配は然程していないものの、用心に越した事はないし、夜間の女の一人歩きは一般的に歓迎されるものではない。]
[ギルバートの舌に自らの舌をからめ、流れこんでくる彼の唾液を受け入れる。
彼にしがみついた腕は彼の背中を撫で回し、その筋肉を堪能する。
逞しい漢。彼ならわたしを…]
[背に回した右手を腰に滑らせ、女性らしい丸みを帯びた尻肉を掴んで引き寄せる。
左手は彼女の後ろ首へと這い上がり、その細さを愛でるように優しく撫で摩る。]
―雑貨屋前―
[リックを見ていると、あの時のおぞましい記憶が頭の中に蘇る。
どうしても記憶の箪笥の相当深い部分、鍵をかけたくてもかけられないものだ。
ネリーはかつてノーマンの元で働いていたが、その職を離れたのはノーマンが解雇したのでもなく、ネリーが申し出た訳でもなかった。
敢えて言うなればいわゆる『あ、うん』のフレーズだろうか。]
[暗闇が世界を支配する。
否、サングラスのせいかもしれない。
カーステレオからは、ビッグバンドが鳴らす陽気なメロディが流れてくる。キーボード、トランペット、サックス、トロンボーン……後は何だろう。
「ハイホー、ハイホー」という男のコーラスが時折聞こえてくるが、どうもこれは炭鉱労働者の歌では無いらしい。
パッパー、パッパー、パッパーラパッパッパー
ハイホー、ハイホー……その後は雑音が酷く、歌詞までは聞き取れそうに無い。]
[決して忘れてはならない。
これは、老いた老婆が若い娘に敗北する話なのだ。王子様の口づけなど、所詮は添え物に過ぎない。老婆は若さに嫉妬し、色気づいた己の娘にある種の危機感を覚え、そして抹殺しようと企んだ。しかしその純粋なる願いは叶わず、老婆は報復されるのだ――
『処女』のヴェールに隠された、『女』という性の残酷な世代交代の摂理。これはそういう物語なのだ。]
もし毒林檎じゃなくてナイフで殺したとしたら、イタリアン・マフィアも真っ青な物語だよなァ………
[と、くだらない独り言を呟きながら、男は無機質な建物へと車を走らせていった。]
[熱い囁きの答えは、首筋への口接けだった。柔らかい唇と舌が、雨のように降り注ぐ。そのままローズマリーの尻の曲線を滑り落ちた右手を、太腿の裏に持って行き、脚を持ち上げようとする。]
[彼女が腰をすり寄せたなら気が付くだろう、ズボンの前を押し上げる硬く熱い欲望に。]
[かさ張る紙袋を何度か抱えなおした所で、薄闇にぽぅと浮かんでいるようなアンゼリカの看板が見えて来た。
夜の酒場に相応しい格好ではないな…と、自らの服装を見下ろして少し後悔したが、長居するわけではないと思い直し、歩く。]
[ローズはギルバートの誘われるがまま左足を自らあげ、身体をすりよせる。
感じるギルバートの硬い高まりに自らの奥が熱く潤うのを自覚する]
[ローズマリーの唇はギルバートの耳たぶを甘くかみ、首筋を舐めあげた]
[ローズマリーを廊下の壁に押し付け、スカートを捲り上げる。
太腿に下りた手が再び這い上がり、隠されていた素肌を撫でる。
その指が下着に掛かった。]
[ネリーは離職前に大怪我をした。
誰にも知られたくないものだったので私は可能な限り周囲には伏せた。ノーマンもそれは望む所だったので、大事にはならなかった。
ノーマンの元を離れたは離れたが、それは逃げるようなものだったのかもしれない。
私はすぐ街の医者で評判のいいデボラの元へ駆け込んだ。デボラは私をを手厚く保護し、診てくれたがそれでも全てが元通りには至らなかった。
私はデボラに深い感謝こそすれ、恨むような事は一切しなかった。 だが、あの時の記憶はお婆さんになって老いでもしない限りなくならないのだろう。
身体にも、精神にも忘れないあの、痛みと、恨みを。]
[店の前に着き扉に手を掛けようとした所で、扉に提げられた「CLOSE」の札に気付いて、伸ばしかけた手を引っ込めた。]
──お休み?
[曲げた人差し指の間接で唇をなぞりながら、立ち止まって考える。
いつもなら、とうに開いている時間の筈だが。]
[太腿に到達したギルバートの手がこの先を期待させ、ローズの中心が熱く溶け、下着を濡らし始めていた]
[ローズはブラウスの前ボタンをはずし、ブラをあげ、ギルバートの肌を自分の素肌で感じようとしていた]
[僕の足を引きとめたのはネリーの視線だった。いや、違う。もっと正確に言うなら、彼女が僕を通して見ているだれかか、なにか。
その相手に向けられていたゆらめく感情の気配が、僕にゆっくりと向き直らせた]
……なに、ネリー?
どうかしたの、僕の顔に何かついてでもいる?
[店に入ると、番はウェンディ一人のようだった。]
やあ、ごきげんよう。元気そうで何よりだよ。
[黒い顔に、白い歯が浮かぶ。]
カナヅチを探してるんだけどさあ。
どこにあるかねえ。
[ローズマリーを廊下に寄り掛からせたことで空いた左手で、曝け出された胸を包み込み、揉みしだく。身を屈め、そのマシュマロのような柔肉に唇を寄せた。]
[同時にその右手で性急に下着を下ろしていく。]
[車を綺麗にしようにも道具も何もない状態。泥を落とすだけに留めれば時間はそうかからない。
一人で物事をこなす事が多かったせいもあり、手間はかからなかった。
それでも汚れた服を取替え、汗を流そうと浴室へ。
お世辞にもたくましいとは言える身体ではないし大学の頃はその見た目も手伝って随分とからかわれたものだが。
ざっと汗を流し、着替えを終えるとふと思い出したようにローズマリーの店へ電話をかける。用件は例の少しマヌケなメモのこと]
―とある工場の一角にて―
[男は、いつものように指定された場所に車を停める。出し入れは決して楽では無いが、『車は目立たないように』という依頼を受けているのがその理由である。]
――コツーン……コツーン……
[水害の影響か、工場の作業ラインには人間の温もりや気配といった類のものが蒸発して久しい。人間が居ないその場所は暗闇に包まれており、昼か夜かすらの区別すら付かない様子である。何日も稼働していない機械は、普段は滅多に与えられない昼寝にすら退屈を覚え、すっかり無機質な空気に慣れてしまったような顔をしている。]
[男はゆっくりと機械の群の中と、工場と同じように暗闇に包まれた事務所の中を通過し、さらに奥の部屋の扉の前に立った。そして、鍵――「契約」相手から与えられたもの――をポケットから取り出す。]
――コン、コン、コン。
奥様……今まいりました……
あの……鍵を開けて入ってよろしいですか……?
[男の分厚い唇から、柔らかな音が零れ落ちる。
扉の隙間からは、微かな光が漏れている。男は部屋の主の返事を確認し、「ありがとうございます、奥様。」と告げると、鍵を開けて部屋の中へと入って行った。]
[電話の呼び出し音はなるけども出る気配はない。
この間と同じならとっくに店は開いているはず]
あれ?おかしいな…席外してるのかな?
ん〜…行ってみるか。
[リックの言葉がひとつの見えない空気を壁を作り、その壁がそのままネリーめがけて駆け抜けていった。ひとつの衝撃を浴びたネリーは我に返る。
むしろ顔についていたのはネリー自身だろう。
ネリーは自分のかき混ぜられた感情を横に置いた。]
リックよね…前に見たよりずーっと大きくなったな、って思ったの。
いつ以来かしら?
[ネリーは目を細めた。]
[声を掛けた時には既にネリーは視線を逸らし、店の看板を見上げていた。“Brander's”と描かれたその文字は僕にとってだけでなく、彼女にとっても見慣れた物だろう。けれどその横顔には懐かしさや親しさといったものよりも、もっと陰鬱で抑制された暗がりのような色合いが感じ取れた]
『……なにがあったんだろう?』
[ネリーがノーマンの元を離れる時の事が気になりつつも、僕は彼女から視線を戻し、店内へ入っていくことにした]
[同空間に、自分とウェンディの2人。
このシチュエーションは、彼を滾らせた。]
ホラ、私こんな目だからさ。カナヅチ1つ探すのも
人一倍の苦労を強いられちゃうってわけよ。わかる?
[サングラスで、渦巻く。]
持ってきてくれたらねえ…お小遣いあげてもいいんだよ?
[胸に与えられた刺激にローズは声をもらす]
あ、はあんっ…。
[降ろされた下着。さらけだされたローズの秘所の柔毛はすでに湿っていてしんなりとしていた]
[店の内外を隔てる扉枠で、背後から掛けられた声に振り向いた]
いつ以来だろうね。
ネリーがヘイヴンに戻ってきたって知ったの、多分だけど結構日が経ってからじゃないかな?
少なくとも、僕がまだジュニア-ハイに通ってた頃だったから。
[その時のネリーの、驚いたような怯えたような表情は今も記憶の中に鮮明だった。しかし、と彼女の言葉を振り返る]
それでも、ずーっと大きくなったっていうのは、本当に昔の話だよね。ネリーがまだこの家でメイドをしてた頃と較べてかな?
[ネリーはリックが屋内へ入っていくのを見送っていたが、リックが扉枠から言葉を投げてきたのを少し離れた所から聞いた。]
――ヒューバート宅前――
[腰元にそっと振りかけた黒水仙の香りが、トップからミドルノートに変わる頃。わたしは訪問先の屋敷前に辿り着いた。]
改めて目の当たりにすると、凄い重圧感ね…。
[そんな感想を漏らしてはいたけれど、実の所わたしはシャーロットという生徒がとても苦手だった。
不登校ということも手伝って認識が薄いという所為もあるだろうけども、落ち着きを払った佇まいは時にわたしの内面を見透かしてしまいそうで。
だからわたしは彼女と接する時だけ、他の生徒よりも一間隔間を空けて接していた。生徒に弱さを見せてはいけないと判りつつも――]
訪問に上がりました、わたしシャーロットさんの担任でステラ・エイヴァリーと申します。
[呼び鈴を鳴らすと現れた屋敷の者に用件を述べ、わたしは彼女と彼女の保護者に取り次いでもらうように願い出た。]
[口を横一文字に構える。]
ニィちゃん、私はカナヅチ探してるんだけどさ。
[ウェンディに、代金としては常識的に
過剰なお金を握らせる。]
目ェがこんなんだから、キッツくてさ。
持ってきてくれないかなあ。
[ローズマリーは手を伸ばし、ギルバートの高まりに触れ、撫で上げる。
そのものに触れたくて彼のパンツのボタンをはずそうとした]
[引っ込み思案で人見知りがちな性格のソフィーにとっても、アンゼリカはお気に入りの場所だった。
酒場と言うのは柄の悪い男達が酒の勢いに任せて暴れる場所、といった子供っぽい偏見を持っていた幼い頃のソフィーにとってアンゼリカは近づき難い場所であったが、おおらかな両親に連れられ、18になったその日に初めてここを訪れた時、思っていたのとは違う落ち着いた店の雰囲気に心惹かれるものを感じたのだった。]
『もうお店は再開したと聞いたのだけど──。』
[看板の照明は灯っている。
もしかしたら、札を変えるのを忘れたのかもしれないと考え、少しの逡巡の後、札のかかった扉を押してみる。]
[右手を使ってローズマリーの片方の足を持ち上げて、下着から抜く。下着はもう一方の足の太腿に絡まって落ちる。
熱い吐息が女の胸に零れる。]
――雑貨屋――
そんなの、チップを渡すまでも無いよ、ボブ。
[声を掛けた時にはもう、彼はウェンディの手に紙幣を握らせていた。真横に結ばれた唇がニッと笑ったように見える。ボブの横から視線を送るウェンディへと、僕は声を投げた]
取ってきてあげな、ウェンディ。
右手の棚の上だ。脚立に乗れば、届くだろ。
ずーっと座ってばっかりじゃ、身体カチコチになっちゃうぞ。
ーアンゼリカの前ー
[折角だしと洗ったばかりの車を出し、アンゼリカまで走らせる。割合近いその場所にたどりつくまでにそう時間は要しなかったが、電気がついているのにクローズの看板が出ているのに首をひねる]
どうしたんだろう?いるなら電話くらい出てもいいのになぁ…
[不思議がっていると同じく悩んだ末の行動だろうか、店の中に金髪の女性が入っていくのが見て取れる。
ローズマリーの知り合いか、あの後姿は確か…。
はっきり思い出せないまま、自分はどうしようか暫し思案]
[キィ──。
蝶番の擦れる金属的な音を立てて、扉はあっさり開いた。]
『良かった、開いてる。やっぱり忘れていたのね。』
[勘違いしたソフィーは、腕で扉を押し開き、店の中へと進んだ。]
[ウェンディが、取りに行く様子を眺めている。
舐めるように舐めるように、じっくりと。]
いくつだっけ?いい子じゃあないか。
こりゃ、引く手数多ってヤツじゃあないの?クク。
[サングラスに遮られ、ボブの目は見えない。]
夜の一人歩きは危ないって言っておいてね。
あんなカワイイ子、目ェ付けられても仕方ないからね。
『……どうぞ。よく来てくれたわ、ネイ。』
[部屋に招き入れられ、「ネイ」と呼ばれた白いシャツの男はゆっくりと歩みを進める。]
あっ……奥様。
これ、よろしかったら一緒に飲みませんか?以前奥様にお話した、苺の紅茶葉なんですよ。とっても甘い香りがして……きっと疲れも取れますわ。
[「ネイ」は、目を細めて笑う。]
『ネイ……だめよ?
今は"奥様"だなんて、やめて頂戴。ちゃんと名前でお呼びなさい。』
………はい。
あっ……ごめんなさい。
エリザお姉様……。
[「ネイ」は、視線を床に落とした。]
[キィ──。
入った時と同じ軋みを上げて扉が閉まる音を背後に聞く。]
こんばんは。
ローズさん、いますか──?
[しんと静まり返った店内の様子に若干戸惑いながらも、カウンターの奥へと声を掛ける。]
[ローズマリーの胸の先端はすでに固く、ギルバートからの舌や指先の刺激で立ち上がっている]
ああ、もっと、きて、ギルバート
[ローズマリーはギルバートのパンツのボタンをはずし、ジッパーに手をかけようとした]
[あまりの昂りに上手く下がらないジッパーをもどかしげに、それでも器用に片手だけで下ろすと、窮屈な場所から開放されたものが天を突く。
ぐいと腰を押し付けて、それを茂みの奥の、蜜の溢れる女の泉の入口に宛がった。]
ウェンディは一人歩きなんてしないな。
[脚立を抱えて棚に向かうウェンディは、どこか憂鬱そうな足取りだった。無言のまま商品を探し、レジへ向かう様子に僕は小さな不安を覚えた]
一人歩きなんてしないよな、ウェンディ?
あんな水害の後で通りだってまだ散らかってるっていうのに。
それでなくても普段から怖がりなんだから。
[ネリーはぼうっと周囲に目を見やる。大きな水害の爪痕がそこかしこに残る。大きく傾いた樹木などは元の向きに戻るのは何ヶ月もかかるのだろう。]
神様がいると言うのなら、こんな事はしないわよねえ。
[ローズマリーは入り口にあたるそれに秘所をこすりつけるように腰を蠢かした]
欲しい、ギルバート、ちょうだい、あなたの、これを!
あの──ローズさん、いませんか?
[先ほどより少し強く呼びかけてみる。]
───。
[しばらく待ってみても応えはない。
ソフィーは薄暗い照明の中、困ったようにぽつりと立ち尽くした。]
[ニヤニヤしながら、リックとウェンディを
交互に見つめる。蛇のような。]
ああ、ありがとね。
[ウェンディから、品物を受け取る。]
わからんよ…年頃の子は、好奇心に負けるんだよねえ。
[看板も店内の様子も、営業中である事を示している。]
『困ったわ──。出掛けているのかな……。』
[折角来たのだし、店が休みでないのなら帰ってしまうのは勿体無い。少し待てばローズマリーが戻って来るだろうと考えたソフィーは、カウンターに紙袋を置きスツールに腰掛けた。]
「ローズさん、いませんか?」
[この声の主はソフィーだと、頭の隅で考えに至る。
だが、高まり切った欲望には抗えず、ソフィーのことは頭の中から追い出して]
ああんっ、ギルバート、早く挿れてっ、あなたの大きいの!
[ローズマリーの声は階下まで聞こえただろうか]
[ボブのニヤニヤした視線が癇に障る。
ウェンディを見ると、彼女は無表情のままでキャッシャーが弾き出した引き出しから釣り銭を数えてトレイに乗せていた。商品を袋に入れて手渡す動作も機械的でぎこちなかった。顔色がひどく青白い、とようやく気づいたのはその時になってからだった]
……ウェンディ!
『……いいのよ、ネイ。気にしないで。
それより、紅茶を淹れて頂戴。私もクッキーを焼いてきたのよ。まずはお茶にしましょう?』
………はい。
[安堵したように「ネイ」は微笑んだ。
家から持参した黒い紅茶缶を取り出した。黒い缶には2匹の猫。『可愛らしい缶ね』というエリザの言葉にくすりと笑いながら、「ネイ」はポットに湯を注ぐ。茶葉が開いた頃を見計らい、小さな小花があしらわれたミントンのティーセットを用意する。]
もう……エリザお姉様ったら。たまには私にも、お菓子を用意させてください。私だって、ケーキくらい焼けますわ。
『ううん……ふふっ、だめよ、ネイ。お菓子を作るのは、私の役よ。それにあなたは、私の知らない素敵なお茶やプレゼントを用意してくれるのだもの。……ふふっ、私はそれが楽しみなのよ?』
[レースのクロスが敷かれたテーブルの上には、白い薔薇を生けた花瓶とミントンのティーセット。同じくミントンの皿に乗せられたクッキーとたわいのない日常会話を口に運びながら、2人はしばしのティータイムを過ごしている。]
[好奇心に負けるんだよねえ、というボブの声が耳に届く。一体何のことだ、と思いながらカウンターに急いで近寄ると、ウェンディは全身の力を失ったようにずるずると床に座り込もうとしていた]
……なっ、……どうしたんだ、ウェンディ!?
−墓地−
[図書館で必要な用事を済ませると、その足は自然と墓地へと向かう。
水害があるまでは終業の後はかならず墓地を通ってからブランダーの店へと帰っていた。
泥水をかぶった墓石もあれば既に来た身内か誰かによって現れきれいになった墓石もある。
けれど、墓石群にも墓地内にもひとつも十字の意匠はない。
墓地を管理する細面の男を見かけたので軽い挨拶をした後、墓地の高台の区画を目指す。
幸い、そちらは泥水をかぶった様子もなくて逆に多量の雨水で表面を洗い流されたために並ぶ医師たちはとても美しかった。
やがてひとつの墓石にたどり着くとその前にしゃがみこんでそろりと手を触れる。
墓石には三つの名前が刻まれていた。
その名前を指でなぞりながら、微かに呟く]
Bennet.Olmsted.Michele.Olmsted
……Ralph.Olmsted
[最後の名前を呟けば、微かに瞳が揺れて心臓がはねる。
そして唇が微かに、兄さん、と音のないまま形を作る。
指は幾度も幾度も、兄の名前をなぞる。
兄がここに眠っているという事実を確かめるように]
[滾った欲望を泉の奥へと沈めていくと、荒々しく突き上げる。
女の尻を両手で掴み、更に奥に突き進もうとするように引き寄せた。
激しいインナウトの動きのたびに、女の身体を幾度も壁に押し付ける。]
[階下の声と気配にはずっと前に気付いていたが、途中で止めるつもりなど毛頭無かった。]
[店に入った女性が出てこない。中にローズマリーがいるのだろうか、と特に深く考えずに挨拶がてら自分も店へ。
後姿が知り合いに似ていたのもあったからだろうか]
お邪魔します…って…あれ?
ソフィー…さん?
――雑貨屋――
[ボブの視線がまるで、『君は判ってないのかい?』と揶揄するかのように思えた。内心に焦燥の火が広がっていく。
いまやウェンディは目を閉じて、カウンター内部の椅子に抱きつくようにして地べたに座っていた。唇の端には唾液の泡。嗅いだことのない、甘くてむかむかするような香りがした]
何か……何か、飲んだのか、ウェンディ!?
[ギルバートに激しく貫かれてローズマリーは歓喜の声をあげる]
くあんんっっ、すごい、ああん、もっと、奥つっっ
[快感はどんどん高まっていき、ローズマリーの声は叫びに近くなっていった]
[しばらくそうしていれば気が済んだのか、少しだけぼうとした瞳で墓石から離れれば、来たときと同じように管理者に簡素な挨拶だけ済ませて墓地を離れ、その足はブランダーの店へと向かう。
今の自分にはそこが自宅だったからだ。
蒸し暑い時期、ましてや水害の後だというにもかかわらずブラウスのボタンはすべてきちりと留められ、スカートこそ膝丈だったがそこからも肌を露出させたくないとばかりに黒いストッキングに包まれる。
叔母の死後であるがゆえに喪に服しているからすべて黒、というわけでもなかったのだが。
やがて店の前へと戻ってくればそこに街の風景に馴染まない外国車と、その持ち主に付き従う女の姿が見えて、少しだけ瞳を細めた]
―アトリエ・リビング―
[食事を終え、ギネスビールを呑みながらテレビで地方局のチャンネルでやっているドラマの再放送番組を見ていると、インターフォンが小さく鳴った。私は『To Rome with Love』の映っているテレビの電源を切り、インターフォンに出た。
雑事を手伝ってくれている古くからの使用人、マーティンが取り次いだ来客はステラだった。]
ああ、わかった。すぐ出る。
[私はマーティンに告げると、慌ててブルージーンズを履き替えた。薄茶色のコットンパンツを履き、Tシャツの上にマオカラーのシャツ。皮のベルトを締め終わると、シャーロットを呼んだ。]
シャーロット。
先生だ。
[彼女に呼びかけると、やや急ぎ足で玄関へと向かった。]
[リックに、支配的な口調で。]
おやおや。大変だね大変だねえ。
私は、音楽屋だし…お医者さんとこ連れていかないとな。
婆さんとこか、ルーサーさんとこにでも…ね?
[ずずいと、2人の近くに]
キミが、この私に頼むんだったら……
ちょうどいい具合に、車もあることだし。
[飴玉、ガム、ボールペン。セントやダイムで買える程度のざっとした品物がレジ周辺に置かれていた。切手シートもあった。そういえばウェンディには文通友達が居た、と思い出して引き出しを開くと、見慣れない図案の切手が貼られた封筒がそこにあった]
これ……いや、違う。切手じゃない……。
でも、どこかで見た。……どこ、だったろう?
[不意に聞こえて来た女の嬌声にびくりと肩が震えた。
あまりにも露わなその声に、階上で何が行われているのかを理解し、顔が強張る。]
───。
[声の主は間違いなくローズマリー。]
[記憶を辿ろうとした僕の耳に、小さな呻きが聞こえてきた。
魘されるようなウェンディの声だった]
「……イヤ、こない、で……っ、や、おにい、ちゃ――」
どうしたんだよ、ウェンディ!
いったい!?
[水害の激しさを今一度地面で踏みしめ、確かめているネリー。
緊張感もほぐれ、注意力も緩慢になっていた。外国産車や自分に目を留めた人がいる事にはまだ気づかなかった。]
知るかよ、とにかく、床に寝かせてくれ!
ネリー、来てくれ、ウェンディが大変なんだ!
[扉の外に叫びつつ、僕はネリーを呼ぶために店を出た]
双子 リックがいたような気がしたが、気のせいだったようだ……(双子 リックは村を出ました)
[続く悲鳴のような叫びに、頬が高潮した。
ギルバート。
聞いた事のない名前。
誰だろう。]
───ッ!
[そこまで考えた所で、再び音の軋む音。
続いて、聞いた事のある声。
呼ばれた名前に弾かれたように振り返った顔は、一目でわかるほど真っ赤に染まっていたかもしれない。]
『苺の香りが佳いわね……』
ええ、ミルクティーにしても美味しいんです。フランスの紅茶らしく、派手なお味ですけれど……ふふっ、他にもいろいろ種類があるんですよ。オレンジ、グリーンアップル、ココナッツミルク……
[目を細めて穏やかに笑う、青髪の「ネイ」。アイロンの掛かった、右閉じの白い襟シャツの袖から伸びる手に、そっと女の手が重なる。]
『可愛いネイ……。あなたからも、甘い香りがするわね……ふふっ。これはなぁに……?』
[エリザの鼻先が、「ネイ」の首筋にそっと近付く。]
やっ………
『……分かったわ。
あなたからも、苺の甘ぁい香りがするわ。
……どう?当たりかしら?』
[控え目ながらも楽しそうな声で語り掛けるエリザの言葉を至近距離で聞いた「ネイ」は、小さくコクリと頷いた。]
[翌日、結局、エリザは事務所と工場が気になるからと、家庭訪問の相手をヒューバートに頼み、車で出掛けて行った。
シャーロットは、ヒューバートに呼ばれ、ステラが待っているであろう母屋へと急いだ。ステラやヒューバートの内心は知らず。]
待って、パパ。
双子 リック が参加しました。
――雑貨屋前――
[何事か物思いに耽っていたらしきネリーの姿に、安堵とそれに倍する焦燥が僕の中で入り乱れた]
どうしたんだよ、聞こえなかったか!?
ちょっと来てくれ、ウェンディが、倒れて!
[突如、甲高い声が響いてきた。はっとするネリー。
雑貨屋のほうに視線を移す。
リックが血相を変えて飛び出してきた。どうしたのだろう。]
どうしたの!?リック。
ウェンディがどうしたの?
[ネリーは雑貨屋、リックの方へ近づき始めた。]
[特に話しかけて何か雑談をするという間柄では多分ないし、一言二言挨拶程度にネリーに声をかけてから店に入ればそれで問題はないだろうと。
ちょうど彼女まであと数歩といったところだったか、店の扉が開いて従弟の姿が見えれば少しだけ視線はそちらにうつる。
なにやらあわただしい様子に視線は細められ]
[リックの後ろ姿を眺め、ウェンディを寝かせ手を握る。]
やれやれ。あれが人に物を頼む態度かって…なあ?
若いってのは、向こう見ずってことだとは思わない?
[ニタニタしながら語りかける。]
[袖が伸びんばかりにネリーは左手を掴まれた。少し抗議の色も見せようかとも思ったがウェンディが心配になりあっと言う間に吹き飛んだ。
ネリーはリックに引き込まれるように雑貨屋へ吸い込まれていく。]
―町の路上 車中―
[どれ位、そうしていたのか。ルーサーは車のシートに深くもたれかかりながら黙然と祈りを捧げていた。]
…… 御在天なる父よ 願わくば ……
[病が、老いが、その命を奪おうとしている人のために。死にゆく人を前に心の平穏を乱されている彼の家族のために。ルーサーに悪罵を浴びせ、彼とその神を否んだ人のために。]
…… 御国を来たらせたまえ 御心の ……
[静かに、何度も、何度も。何かを振り払うように。]
[女の嬌声が切羽詰っていくのに従い、深奥に打ち込むストロークが深く素早いものに変わっていく。
男の呼吸も荒く、笑んだ唇から微かな呻きが洩れた。]
[家の者が主を呼ぶ間、わたしは暗くなり始めた辺りを見渡し、仄かに甘い吐息を漏らした。
彼、ヒューバートと初めて逢った時も確かこんな空の色をしていたと思った。しかし辺りは比べ物にならない位賑わっていたはずだったが。]
本当に…不謹慎だわ。わたしは今、仕事でこの場所に来ているのに…。まるで逢瀬をせがんでいた頃を重ねるだなんて…。本当に不謹慎…。
[とくん――]
[とくん――]
[心臓は次第に高鳴りを強める。
わたしは崩れた身を正すために大きく息を吸い込んで、緊張を解す為に左腕を強く握り掴んだ。]
いい?今は教師としてここに来ているのよ?
判った?――ファファラ…。
[そう言えば、教師がイザベラからステラに変わる少し前に、シャーロットは時々学校を無断で休むようになった。ヘイヴンの学校に馴染めないのなら──と、ヒューバートのすすめもあって、ヘイヴンの人間にはめずらしく町外の学校へ転校した事もある。
結局は戻って来る事になったのだが。
そう言った意味で、家庭訪問──と言うものは、シャーロットに取って歓迎すべきものではなかった。何を言われるかわからない。母親ではなく、父親が残ってくれたのは幸いかもしれない。]
[断続的に響くローズマリーの嬌声。
きっとハーヴェイの耳にも届いているのだろう。]
あ──…。
[あたふたと立ち上がるも、挨拶に返す言葉もない。]
え?ちょっと…どうしたんですか?!
[上から聞こえる声と音、自分の声にはじかれたように振り返った真赤な目のソフィーと。
状況が上手く飲み込めないまま、ソフィーをなだめるように近くへ]
あの…何か…あったんですか?
―バンクロフト家アプローチ―
ああ。すまない。
ロティ、おいで。
[シャーロットに手を添えるように腕をとる。私たちはアトリエから出た。
玄関へと続くアプローチを進む間、私の心臓は緊張や不安、あるいは期待に高鳴っていた。期待?――おかしなことだ、と私は思う。これは二人だけの逢瀬ではない。まして、今の私たちの間柄はそんな関係ではない。私たちの間には、6年という年月が重く確固とした壁のように横たわっている。
それどころか、隣には愛する娘がいるのだ。
アプローチは間接照明の仄かな光に照らされているとはいえ、薄暗い。闇の中玄関に向けて進む私の瞳は彼女の姿を求めて彷徨い――
――
……何?
[リックもネリーもこちらに気づく様子はなく、従妹の名前が挙がったことだけは聞き取れて。
鳩尾の辺りが嫌な予感でひやりとする。
それを少しだけこらえて足早に店の中へと入るだろう]
――雑貨屋――
[ニーナの小柄な姿が視界の隅に入る。店内の喧騒―そうはいっても騒いでいたのは僕だけだったが―には同じく気づいて居なかったらしい。扉を抜けて戻ると、明暗の差で視野がくらっとした。ボブとウェンディの姿が見えないことに一瞬焦るがカウンターの奥で声が聞こえてきて安堵。そこで喉の渇きを覚え、そのときまで気づきもしなかった自分の迂闊さを呪った]
……と、いう、か、水、そう、水、だな。
ミネラルウォーターのボトルが、あった、はず。
冷蔵庫に入ってるから、ネリー、取ってきてくれないか?
だめ……お姉様……。
[悪戯な仕草で、エリザは小さく身を捩る「ネイ」の首筋を追う。
「ネイ」の首筋にエリザの唇が触れ、舌が触れ……やがてそれは、「ネイ」の唇に重なる。]
ああん………っ
[「ネイ」の潤んだ瞳に、エリザの笑みが映る。]
エリザお姉さ……まっ
[目の前にいる相手から目を逸らすように、「ネイ」はギュッと瞳を閉じる。視界を自ら失った「ネイ」の身体は、エリザの双の手が導くままにソファへと倒された。]
──アンゼリカ店内 - 1階──
あの──、これは──…。
[自分の事ではないのに何故か感じる羞恥。
なんとか誤魔化そうと口を開いても、先が続かない。]
………!
[ソフィーへ声をかけた瞬間上から聞こえてきた鋭い声。一瞬で全てを物語ったその叫び声に流石に硬直する。
自分の頭に巡るのは一体なんだったのか。
思考が巡りきった後、襲ってきたのは目眩がする程の吐き気]
うっ…!
[リックがネリーを連れて戻ってくる気配に、
表情、態度がガラリと変わっていく。]
オイ!大丈夫か?どうしたってんだ一体!
[邪な笑顔の黒人はもうそこにはおらず、
今は、心配でいっぱいの男に見えるだろう。]
―町の路上 車中―
[ルーサーはやがて祈りを終えると、手帳に目をやり、以前、頼んでいた薬のことを思い出した。]
ああ、そうだ。ブランダーさんのところに頼んでおいた薬はもう届いているころだな。しかし、あの嵐だ。ひょっとすると仕入れが遅れているかもしれないな……
ふむ、ひとまず様子を見に行ってみるか……
[キーを捻ると、エンジンが鈍い音とを立てて動き出す。彼はブランダー家に向かって車を走らせた。]
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