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[ニーナの長袖の服を着せようとして、今度は手首の内側の擦り傷の酷さにびくりと身をすくませた。
一瞬、もしかしてネリーがノーマンの元を離れた理由に、先刻の地下室への監禁の様な出来事があったのでは──と浮かばなくも無い。けれども、それは目の前のネリーを持ってしても、シャーロットには非現実的な出来事に思えた。手枷、足枷、首輪に口輪。地下室で拘束され、視界の自由も奪われ、言葉で、指先や舌で、道具で──あるいはもっと…。昼夜も分からず非人間的な扱いで嬲られる。そんな世界があるとは思いも及ばず。]
…ホントに痛そうだわ。
電話が通じたら、ボブさんにすぐ迎えに来てもらえるのに。[自分がボブに会うのは少し嫌だなと思いながらも]ダンソックさんの家では、よくしてもらえてるの、ネリー?
[ネリーの着替えを終え、後の事をヒューバートに相談しようと*移動を促そうとして、ニーナの顔色も随分と酷い事に気付く*。]
…ニーナも、まさかノーマン叔父さんに?
そんなわけない…わよ……ね。
──居住部→雑貨屋へ──
[シャーロットがネリーに着替えさせる様子を見ながら]
その服、返してくれなくていいから。
[わずかな苛立ちを含む声。
大きくため息をついて、ボブが自分を送って帰っていったと吐き捨てるように小さく告げると、ネリーを僅かに睨んでいたがシャーロットの呟いた人名だけ耳が音を拾い]
あら、あの人帰ってきてるの?
[今更、と冷めた表情のままシャーロットに同行する。
彼女の傍らを歩けばかなり小さい声で]
…シャーリィお願い、ダンソックの話はしないで。
あの男に近づいてはだめ。
なるべくなら、彼女とも関わってほしくないわ。
[睨むような青い視線を少しだけネリーにむけ]
あー……煙草か。別に構わねぇよ。
[そう呟く男の肌の上には、微かな震え。幻想の世界から寝室に舞い戻って来た意識の表層には、先ほどよりも微妙に感じる涼感。]
……………?
[男はその時、自分の服が剥ぎ取られていることにはじめて気付いた。]
[煙草をふかしながら男の顔を見下ろす。
あの医師に委ねて、薬物を吐かせるなりなんだり適切な処置をした方が良いというのは分かってはいたが、彼はその方法を取る気は毛頭無かった。
彼は彼なりに男の選択を尊重していた。この男が自ら望んでこうしているのは間違いなかったからだ。]
どうもこの煙草は口に合わんな。
ああ。服が汚れてたんでね。脱がした。
……寒いのか? 着替え、持って来ようか?
どっちでもい………
[ぼんやりとした視界の中に、テーブルの上の様子が入る。煙草、メモ用紙、財布、そして3本の鍵。]
なっ………!?
[それまでの緩慢な動きからは予想できないほど早く、ナサニエルはテーブルの上にある鍵に手を伸ばした。]
[テーブルに手を伸ばしたはいいが、酩酊状態であることには変わりはない。ナサニエルは身体を支えていたバランスを崩してしまい、ベッドから勢いよく転がり落ちた。]
…………っ痛…………!
[頭を思いきり床に打ち付けたにもかかわらず、それでもテーブルへと這ってゆく。]
返さなくてもいいだなんて、そんな、悪いわ。
[口から出ている言葉の単語は日常的でも、会話以外の全身からのほうがより強い意思が発されている。ニーナも、シャーロットも。
特にけんもほろろなニーナの声。青い視線、宛ら青い炎。緑のネリーは気圧されそうだ。何もなくてもニーナは機嫌が悪そうな人だったが、今日は輪をかけて酷い。何かあったのだろうか。]
あ、二度手間になっちゃったわね、ごめんねシャーロット。
[ネリーはシャーロットに着替えを手伝ってもらう。酷い疲労がまだまだ残る身体で、両手を伸ばしてTシャツを脱がせてもらう。
シャーロットが自分の身体を気にしているのが分かる。人の気持ちに疎い私でも分かる。シャーロットの指先の器用さを考えれば容易に察することができる。
何を見られているのだろうか。裸よりも違う何かを見られているような気がする。
単に私の髪や肉付き、胸の大きさなのか。
手首に浮かぶ擦り傷をはじめ、無数に散らばる細かい傷なのか。
そう……リックの指す獲物、ニーナの指すペット、という意味なのか。]
[それは反射的にやったことで深い意図は無かったのだが、ナサニエルが転倒したことで、手ではなく鍵の方を掴んでしまった。]
>>137
ダンソックさんはとても素晴らしい方よ。彼の持つ音楽の世界を理解しようとする人が少ないのは、大陸にとってマイナスだわ。
[「あんな男(ノーマン)と比べるまでもないわ」と誰にも聞こえないように続ける。
ニーナの視線がどことなく痛い。]
[必死に手を伸ばすナサニエルを見遣り、]
この鍵がそんなに大事なのか?
[ちゃり、と指で摘んで鍵をぶら下げた。
琥珀色の瞳には、少し面白そうないろが浮かんでいる。唇は笑いと素面の中間で歪んでいた。]
[男はギラギラと見開いた目をギルバートに向けた。]
それは、俺の……………!
[ギルバートがヒラヒラと動かす鍵に手を伸ばした。]
躾 の な っ て な い 犬 は
糞 ほ ど の 価 値 も な い
――――
重々しい叢雲が空を圧する湿原を、父は右手に銃を携え猟犬を引きながら歩みを進める。
それは、成犬になればかなりの体高となるはずのアイリッシュ・ウルフハウンド。しかし、未だ幼犬だった。猟犬は力ない泣き声を漏らしながら徒労にも似た努力で、待ち受けるであろう運命に抗うかのように脚を踏ん張る。しかし、分厚い筋肉とその周りを鎧のようにまといついた脂肪で重々しいほどの威容を誇る父の豪腕に、為す術もなく引きずられていった。
「なにをしている。早くついて来い」
気乗りしない私の足取りは重くなっていたのだろうか。父は私を叱咤する。ふと、通り過ぎた脇の直立した喇叭のような植物が目に入った。食虫植物、サラセニアの長い壺状の葉の中はじっとりと潤い、捕らえた蝿を溶かしていた。
バンクロフトの邸宅が灌木と木立の影に隠れた頃。芦原の開けた場所で、父はウルフハウンドを放り出した。
「よく見ておけ」
猟銃を構えフォアエンドを引く。ショットシェルがチャンバーに送り込まれ、カチリと音を立てる。装填の正確な機械音が張り詰めた空気の中で明瞭に耳に残った。
こちらを見つめる子犬はもはや逃げようとはしていなかった。父の爛々と燃える瞳に射すくめられたかのように。ただその円らな瞳は絶望に黒々と塗りつぶされていた。
大気を振動が震わせると同時に、対峙していた絶望は粉微塵に砕かれた。
「次に同じ事があれば――」と父は言う。「お前が同じことをするんだ」 私はうんざりとしたように首を振り、天を仰いだ。OK、ダッド、となんとか気の入らない返事を返した。
「いいから、よく聞け」 父はほとんど握りつぶすほどの力で私の上腕を掴み、睨みつけた。
「我々は、“獣”を飼い慣らして“家畜”にしなければならない。それができなければ、滅びるしかない。
これは、何よりも重大なことなんだ。
家族を守れ。
妻に文句を言わせるな。
子供を聢り躾けろ。
口で糞をたれる前に、己の義務を果たせ」
父は、「わかったか」と言うように腕を打ち据えた。
Yes、ダッド。
――それが、父の教えだ。
――――
―雑貨店―
[発熱しているソフィーの頭をせめて冷やすことができるものはないものかと、私は雑貨店の中へと足を踏み入れていた。
食料品をクーラーボックスで運搬される際に用いる冷媒が冷凍庫の中で冷えている。私はタオルを一時拝借し、氷嚢の代替とさせてもらうことにした]
これ……は?
[冷媒とタオルの代金を、レジに残しておこうとカウンターに近づいた時だった。一冊の見慣れぬアルバムに目が留まる。それは、商品のように陳列してあるわけではなく、不規則な並びから誰かの忘れ物かと察せられた]
誰のだろう。持ち主の名前はあるかな……
[パラパラとアルバムをめくりかけた手が止まり、双眸は凝固する。そこには予想だにせぬ嬌態に彩られた情景が映し出されていた。戦慄く指先で慌ててページを繰る。下着で発見されたネリーのことといい、写真の内容といい、よく見知っている筈の雑貨店が突然異界に堕ちたかのようで現実感が遠のいていくのを感じていた。
「躾だ」
父の言葉が頭蓋にゥワンゥワンと響動する。
「内なる獣を飼い慣らすんだ」
喉がカラカラに乾いていた。]
ロティ、まだかい?
ソフィーが、熱が出ているみたいなんだ。
早いうちに送り届けた方がいいと思うんだが。
[店の奥に声をかける]
ネリーはどうだい?
一緒に乗っていくかい?
五人までなら大丈夫だから、送ってくぜ。
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