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[通行人に、泥を跳ね上げるのも気にせず、
いつもにも増して荒い運転だった。]
…思い知ればいい。思い知ればいい。思い知ればいい。
貧乏くじ引くのが、常に我々なのは不公平だ。
求めても、届かない思いを味わえばいいんだ。
[リックだけでなく、彼を含有する何かの総体への
呪詛のように、呟いている。]
[ネリーの言葉が耳に入らないかのように、
ずっと呟いていたが、ハッと我に返り]
あ……あぁ…そうだねえ。
私も、もう若くはないから急に気温下がると
体調崩してしまうかもしれないなあ。
ネリーに迷惑かけるから、気をつけないと。ハハハ。
[きまりが悪そうに笑う。]
[一方的な告白を終え、僕はもう一度息を吐き出した。
肺の中の空気がすっかりなくなってしまうまで、長く、長く。]
……どうして知ってるかは、秘密。
……どうしてそんなものがうちにあるかも、秘密。
おおよそ想像はつくだろうけどね。でも、ウェンディが使う可能性なんて考えてなかった。気づかせずに、ずっと。
……隠しとおせると、思ってたんだ。そんな訳ないのにな。
[ボブの危なっかしいハンドルの握り方を心配する余裕はネリーにもとてもなかった。
ただ、私にもっと的確なジャッジメントがあれば変わったのかもしれない、と唇を噛んだ。]
あ。あ、はい。
私も今後旦那様にご迷惑をおかけしないようにします。
[ネリーはちょっぴりくすっと*笑った*]
ハンサム?俺が?
[ふふっ、と面白そうに喉を鳴らす。初めて言われたらしい]
なら尚更この車は不幸だね。
たまたまハンサムが運転する車だったばかりに俺が乗せる人に嫉妬しないといけないでしょう?
俺だって一緒にいるなら綺麗な人の方がいいですからね。
次ソフィーさんが乗ったらきっとこいつヘソ曲げますよ
[珍しく多弁であったのはあの出来事をさっさと消し去りたいから。普段はしないような冗談口も叩く。
ソフィーから示された家を確認し、指定された場所へと車を着ける]
どうぞ、お疲れ様でした。足もと気をつけて。
[母親が亡くなって数年経つ今、血の繋がった
肉親は、いない。正確に言えばわからない。
今、ネリーや動物たちに囲まれた生活。
それはそれで、極上の幸せなのかもと*思った*。]
…そう。
そういう心配があるなら。
隠したい秘密があるなら。
きちんと秘密の戸棚に鍵をかけてしまっておかなきゃだめよ。
[いい勉強になったんじゃない?と首を小さく捻れば、床に視線を落としてしまったリックに苦笑する。
もっと、と水をほしがるように自分のブラウスの袖を軽く引くウェンディに請われるまま、彼女が飽きるまで幾度でも口づけて少女に*水分を与えた*]
ふふ、そうですね。
きっと女の子を乗せたら嫉妬しますよ。
──あら、それじゃあ私も嫉妬されたのかしら?
[ソフィーの方も、いつになく饒舌に、会話が途切れる事を恐れるかのように喋り続ける。
互いに先程の事に触れぬよう努めているのが伝わって来る。]
今日は本当に有難う御座いました。
このお礼は、後日必ず。
[家に着くと、丁寧に礼を言って車を降りる。
別れ際、窓から覗き込むようにちらりと青年の目を盗み見た。]
俺女の人に嫉妬されたことないですけどね。
車に嫉妬されたら下手すると…怖いですよ。
もう載せられないかな。
[また小さく笑う。
ソフィーから礼の言葉が聞こえると]
かまわないですよ、家の途中だし。礼なんていりません。
また雨脚が強くなってきた。気をつけて下さいね。
[別れ際、こちらを見るソフィーの視線に気が付くと小さく会釈を返し、我が家へと車を走らせる]
――居間――
[しばらくの間、ばかみたいに僕はロッキングチェアを揺らしていた。ふと目を上げてウェンディにニーナが水を飲ませる様子は絵になるな、なんてリビドーそのままの思考が走っていくのをぼんやりと感じていた。ささやかな反応とはいえ、ウェンディの動作が見られて安心したのかもしれない]
『秘密の戸棚の鍵?
……どうしてだろう。無くなってしまったみたいだ。
……母さんが、持っていっちゃったのかな』
[ニーナの言葉が逆に呼び水になった。先刻の追憶が甦る。
10年前のあの時、6歳の僕とウェンディがそこに居た]
『ぐったりとしたウェンディ。ずきずきと痛む身体の奥。擦り傷。涙。両腕で抱えた猟銃の感触。引き金が落ちる重さ。銃声。
……血の匂い』
[視界は朱と白に染まっていた。僕は呆然として目を閉じる]
……ん。ごめん、ニーナ。
さっきの言い争いで少し頭が痛いみたい。
ずっと此処で見ている訳にもいかないだろうし。
[視線で着替えを示し、チェアから立った]
一度、部屋に戻ってくるよ。また何かあったら知らせて。
[一見女性のようにも見える綺麗な顔立ちの青年。
近くに居ても性を感じさせる事の少ない彼だったが、そうは言っても健康的な大学生の男子。アンゼリカの2階で何が行われていたかくらいは理解しているのだろう。]
ハーヴェイさんこそお気をつけて。
路面が濡れてますから、事故を起こさぬよう。
[彼はさっき何を考えていたのだろうか。
走り去る車のテールランプを見送りながら、ソフィーはしばらく家の前で雨に打たれるままに*佇んでいた*。]
―アトリエ・リビング―
[少し経ってリビングに戻り、ソファーに身を沈めた。飲みかけのギネスを煽る。
緊張を強いる時間だったが、致命的な過ちは犯さなかったことにやや安堵していた。ステラの様子はやや気がかりだったが――
視線の先には、エドゥワール・ダンタンの『A Casting from Life』があった。私はつい先日そこで交わされた会話を思い出していた。]
―回想―
「で? 娘なんだろう? あの作品のモデルは」
[アートスクール時代からの悪友、ホレス・ワイズマンは鼻を膨らませながら言った。嵐でヘイヴンと外部との連絡が取れなくなってすぐ、駆けつけてくれたのは他ならぬ彼だ。無論、彼が心配したのは私ではなく私の一連の作品だったのだろうが、それはむしろありがたいことだ。作り手としては、作品を愛してくれる以上に好ましいことはない。
災害に遭うと、さすがにこの場所が作品の保管場所として適しているかどうか不安にはなる。彼の助言に従って町外に新たな倉庫を確保し、いくつかの作品はそちらへ移動することになった。
それらの手続きをほぼすべて担ってくれたのは彼だったが、彼の好奇の問いかけを私はウンザリするようにあしらっていた。]
誰だっていいだろう?
学芸員にとって作品は作品。モデルはモデル。それに、私は型取りを作品制作には用いない。
[そう、彼はシカゴの美術館に勤める学芸員だった。私の作品に値をつけ時には預かり、美術館に展示してくれていた。時にはクライアントとの売買の仲介をしてくれてもいた。]
「よくはないさ。あんな綺麗な娘なんだから、できればお近づきになりたいね」
[そう言う彼を私は蹴飛ばす。ははは、と苦笑いする彼は、ふと不思議そうな表情になると問いかけた。]
「だが、なぜ型取りはしないんだ?」
[つきあいの長い彼は、私がモデルから直接型をとる直取りの手法を作品制作には用いないことを知っている。型取りを行うのは、記憶が混乱しないための記録を目的としたものに限定していた。だが、確かにその理由を話したことはなかった。単純ではない理由をどのように説明したものか。
間をおいて、『A Casting from Life』を指し示すと口火を切った]
この絵を見てくれ。型取りをする二人の男は、モデルに傅いているように見えないか?
彫刻の素材はブロンズや石膏や大理石といった単一の固形物だ。本物の型を取って本物そのものを再現しようとしたってとても再現できるものじゃない。人体の劣化した模造品だ。
もちろん、型取りに手法として新しい試みが持ち込まれたり冒険的な別の意図があるなら例外だけど、ただ単純に本物の形だけを写し取ろうとする試みならそれは創造を放棄しモデルの価値に身を委ねているに過ぎないのだと思う。
[言葉を選んでも、創作について語ることは難しいことだった。語調が厳しくなっていないだろうか、と内省しながら言葉を紡ぐ。]
造形は、一度対象の姿を自らの内側で受けとめなければならないんだ。対象の持つ美を最も的確に現すことができる道筋を追い求める。モデルそのままではモデル本人の美に到底及ばない。自分に従いすぎれば対象は逃げる。
だから、モデルと自分との間のどこかにある理想の美を探し求める。それでも、複雑で精緻極まりない人間の美に近づくのは難しい。
[黙って聞いていたホレスは、それだけ聞くと口を開いた]
「それで、そうやって、完璧だと思えるものを作れたことはあるのかい?」
いや。
[私は笑って首を振った。]
挑んで挑んで、私はいつも敗北する。
この絵の男達と同じく、やっぱりモデルに屈服する。
だが、同じ敗北でもそちらの方がどこかへたどり着けるのだろうと思ってる。
それにこうした敗北は常に幸福なものだよ。
また挑みたいという気持ちになる。
[まして、それが自分の娘ならば、という胸の中の想いは口にはしなかったが。]
―アトリエ・リビング―
シャーロット。
君をモデルにした作品だけど、評判がいいみたいだ。
[ホレスの度重なる勧めに従って一度美術館に貸し出したシャーロットをモデルとしたいくつかの作品。それらは派手な目新しさを盛り込んだ前衛的な作品ではなく、むしろ古典的な作品と解されるものと考えていたのだが、予想していたより遥かに評判がよかった。
かつて、二十代になったばかりの頃、私が発表した具象的な作品についての評価は「リアルそのものだが創造的な魂が宿っているとは感じられない」というのがほとんどだったにも関わらず。
新たに受け取った評価は、娘との制作過程を経ずしては得ることができなかったものに違いなかった。
私はホレスの置いていった美術雑誌と目録を彼女に手渡した。
窓の外に広がる幽邃とした森林に、静かに雨が吸い込まれてゆく。静謐な夜の親密さの中で、私は一時の*幸福の中にいた*。]
―― 町の路上 車中 ――
ふう、参ったな。当分、雨は御免蒙りたいんだかな……
[ルーサーの頭には先日の暴風雨の猛威が頭を過ぎる。]
ああ、そういえば頼んでいた薬…… まあ、今戻っても、な……
[ブランダー家での出来事を思い、沈んだ面持ちを浮かべる。]
私は、ウェンディを、リックを、置き去りにしてきてよかったのだろうか…… たとえ何を言われようと私はあの場を離れるべきでは無かったのではないか。しかし……
[ルーサーは、ブランダー家に引き返したい思いを抑えながら、車を自宅へと*走らせた。*]
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