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―ダンソック邸―
聞きたいことは、二つだ。
[私は冷徹な声を刃として彼につきつけていた。
ボブ・ダンソック
今から殺す、その男を前にして。
開け放たれたクローゼットの扉には、先程までネリーが着ていたブルーのワンピースがテープで留められている。足下には靴下を履かされ足らしく見せかけられた綿が突き出す靴が転がっていた。
クローゼットの向かいの洗面所に、私は身を滑り込ませていたのだ。]
なぜ、ニーナだ。彼女がお前に何をした?
そして、もう一つ。
それを行った時、お前の良心と羞恥心はどこにあった?
[――それとも、最初からないか? そんなものは、と私は射抜くほどの強い眼差しで彼の背中を睨みつけた。]
「ネリーは! ネリーはどこへやったんだぁあぁあ!!」
[ボブは問いかけには答えず、忿怒の形相で叫んでいた。
なぜ私がこんな目に、愛する家族が、ネリーがどうしてこんなことに、とボブは歯を軋ませながら怨嗟の言葉を吐いていた。]
答えろ!
[私は、彼の側頭部をナイフの柄で思い切り殴りつける。]
「痛ェよ、畜生!! 蔑みやがって、見下しやがって!」
[私が一体どれだけ――と彼は宿怨の籠もる呪詛を繰り言のように呟いた。オマエらは我々を虐げてきたんだ、と。]
「これはその報いだ」
[オマエらはそうされて当たり前だ、とボブは吐き捨てた。ネリーをどうかしたなら八つ裂きにしてやる。そう敵意を剥き出しにして。]
n1ggerの糞まみれの歴史なんて知るかァ!!
ニーナが貴様に何をしたと訊いてる!
[憤激に駆られ、ボブの背中を蹴り飛ばす。クローゼットの扉に彼の額は激しく打ちつけられた。
ナイフを握った右手を拳銃を握った左手に携え狙いを定める。
ボブは額から血を流しながら、後ずさる。私の目に宿る強い殺意に、もはや死が避けられないと悟ったのだろう。
ただ、ネリーのことだけは、と懇願した。]
[くそっ! と私は激しく舌打ちした。
家族のような愛情を誰かに向けることができるなら、なぜ――
この男の目の前でネリーを犯したならさぞ溜飲が下がるだろうさえ思う。そうでもなければこの男に、愛する家族を穢された者の気持ちは伝わらないのではないか。そしてそう思いかけ、そんな自分自身に吐き気がする。
それは違う――ネリーは関係ない。そしてそれを過つなら、私も彼となんら変わりがなかった。
むしろこの男が我々とは全く違うモンスターであったなら、どれだけ気が楽だっただろう。]
[車内に、襲われたニーナの袖口から落ちた釦を見つけていなかったなら。残されていた粘着テープが雑貨店の窓ガラスに残されていたものと全く同じものでなかったなら。誰のものとも知れぬ可愛らしいマスコットが描かれた幼さの残るショーツが戦利品のように転がっていなかったなら。
これほどまでに確信めいた瞋恚の炎を燃やしていただろうか。]
女ァ犯して、テメェの母親にどんな顔で会うつもりだ!
bastard -私生児- !!!
[苛烈な激情が私に引き金を引き絞らせる]
死ね!
[引き金を引き絞るのと、まさに弾丸のような早さで黒い影が飛びかかってくるのはほぼ同時だった。私が多少視力に秀でてなかったなら、避けるどころか気づきさえしなかっただろう。
ゴライアスだった。
主の危機を察知したものか、巨人兵の名には似つかわしくないほどの俊敏さで死角より忍び寄り、襲いかかってきたのだ。銃弾は僅かに外れ、ボブの肩口を掠ったばかりだった。]
チッ!
[銃把で横殴りにその牙を払いのけ、落下したところを横腹にインステップキックを叩き込む。だが、ゴライアスは一向に堪える気配なく、地獄の番犬のように追い縋る。
機敏な動きに翻弄され、ボブから目線が逸れた刹那――巨大な岩塊のような突進が私の躰の真芯を捉えた。]
ぅおぉおおおお!!
[耳を劈く破砕音と共にバスルームのパーティションの半透明のアクリルは弾け飛ぶ。私の体躯は扉と共にバスルームの床に激しく打ちつけられていた。手から離れた拳銃は床を滑る。
しばらくは呼吸さえ困難なほどの痛みだった。壮年のボブのどこにこれほどまでの力が漲っていたのか。
更に、起き上がろうとする間もなく、振盪しクラクラ揺れる視界の向こうから冥府の番犬が咆哮を上げながら迫ってきた。]
[ダメか――
避けようがないその突撃にせめて喉元を守るべく首の前に左手を出しかけたその時、扉に掛けられていたタオルが床に落ちているのに気づく。
犬の唯一の攻撃手段である顎は、同時に最大の弱点でもある筈だった。タオルを左手に巻き付け突き出すのと、ゴライアスの口蓋が牙を剥き出しに眼前に迫るのとはほぼ同時だった。
私はゴライアスの口内で舌を掴んでいた。
身動きを封じられたゴライアスの無防備で柔らかな腹部を横凪の一閃が捉え、血飛沫が舞う。ピクピクとゴライアスは痙攣しながら、内臓をまき散らした。]
「ゴライアスゥウゥゥ!!!!」
[ボブの悲慟がバスルームに反響する。その太股に投擲されたナイフが突き立った。ガクリと姿勢を崩す彼の側頭部に踵が打ち下ろされる。
床に倒れ悶絶する彼に、銃を取り上げた私はゆっくりと近づいていった。]
[それからのことは、復讐とはいえ振り返るにおぞましい出来事としか云いようがない。
私は彼を後ろ手に縛ると、ジッパーを下ろして陰部を剥き出しにした。
心底おびえきった彼の意識があるままに、ナイフを握り、そして――]
そんなにファックしたいんなら、自分で自分をファックしな……
[遺体で発見される彼の肛門の中にねじ込まれているものを発見する者は、おそらく居ないだろう。私は、それを見る者がないことを願った。]
[そして、その後の作業もひたすら陰鬱なものとなった。
病に冒され荒れ狂う犬たちの中にショットガンを放った。人に危害を与えそうな動物はそのようなかたちで“処理”せざるを得なかった。それらの山のような遺体は母屋から離れた犬小屋に集められた。彼らの主、ボブの遺体と共に。
他に延焼することがないか確かめ、犬小屋に火をかけた。]
[犬小屋の火が火勢を喪った頃、私はネリーを物置から出した。
腕の縛めをやや緩め、猿轡を外す。
申し訳ないが、と私は云う。多少は時間がかかっても自力で解くことは容易なことだろうから、と。
そうして、彼女をそのままにダンソック邸を*後にした*]
―車中―
[憤激に我を忘れるほどでなければ、私刑に手を染めることなどなかっただろう。一ブロックほど離れたところに停めてあった車に戻る間、手は昂奮と恐怖と、あるいは自分自身への嫌悪でブルブルと震えていた。
ハンドルを握っても、すぐには発車させることができない。
しばし瞑目し、呼吸を落ち着け、手の震えがキーを回せる程度になった頃。私はようやく車を*発進させた*。]
─ブランダー家/居住部・自室─
[憔悴しきった虚ろな表情のまま、ヒューバートとソフィーをそれぞれ別々に迎え入れる。
何があったのか尋ねられたのなら、無感情に事実だけを話すだろう]
伯父様達と別れて、ダンソックの車に乗りました。
疲れていたから、私は眠ってしまって。
…着いた、って起こされたら……店どころか…誰も来ないような暗い、人通りのない路地だった。
……そのまま、車の中で……私、犯されたの。
[流石にその事実にほろほろと涙がこぼれて]
[ナサニエルの部屋から外に出た途端、がくりと膝をつく。酷い胸の動悸に冷や汗がでた。
「あの部屋…!」
部屋自体は綺麗に掃除されていた。
しかしそこに残っていたもの全てが消し切れていた訳でなかった。
腕に抱き留められた時特に顕著に感じられた。
それ故弾けた殺意も消されてしまったのだろうか]
……
[帰路では無言のまま]
シャーリィの態度が、彼の機嫌を損ねた、って。
だから、従姉の私に責任をとれって……っ。
でも、そんなことただの口実みたいだった。
お金も突きつけられたし…殴られもしたわ。
[寝台の上、ブランケットごと膝を抱えて小さく肩を震わせ]
それから、私はここまで送り届けられて……。
私は、身体中洗って。
その間にネリーとシャーリィがウェンディーの部屋にいて、伯父様は二人を連れて帰られて。
それから暫くして、店の中に犬が入ってきたの。
狂った犬だった。
でも…“兄さん”が助けてくれたの。
犬を殺してしまったから、あんなひどい店のなかだけど……。
[ギルバートだったことはわかっていたけれど、それでも疲れた心はそんなささいな単語ひとつに心の平穏を*求めていた*]
―自宅1階・書斎―
Joshua fit the battle of Jericho,...
[机に向かい一心不乱に何かを書き記して居るナサニエルの耳元に、或る歌声が聞こえる。]
Joshua fit the battle of Jericho, Jericho, Jericho,
Joshua fit the battle of Jericho
and the walls came tumbling down.
[おそらく何処かの誰かには意味が在るであろう歌声――しかしナサニエルにとっては不規則な羅列として認識されるに過ぎない――が、徐々に耳の中で大きく響く。]
You may talk about your king of Gideon,
you may talk about your man of Saul,
there's none like good old Joshua
at the battle of Jericho.
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