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[薄い布団を被り堅く目を瞑る。
しかし声は何処までも追い掛けて来た。]
『飼い慣らせ』 『獣を』
『正しい交わり──正しい"血脈"』
『───狼憑き』
[普通ならば老人の妄想で片付けられてしまいそうな言葉達。
しかしソフィーには妄言で片付けられない理由があった。
網膜に焼きついた、浅ましく血を啜る野犬のような父の姿。
本能に突き動かされるように、血を求めていたイアン。
その"獣"を抑え込む術は、肉体を餌に行う背徳の行為。
それは正しく、血を分けた血族──"血脈"同士の"交わり"。]
[薄暗い室内で、戦慄く唇が無意識の言葉を紡ぎ出す。]
では…あの人達は知って──?
[浮かびかけた思考を自ら否定する。]
違う…。
そんな筈ない……お母さんが死んでからは
一度もバンクロフト家の招待に応じてない……。
[そもそも精神状態の不安定な父自身、外出は控えていた。
精々が自分を伴って行き着けの店に顔を出す程度で。]
私達の関係を知っているわけじゃない…?
じゃあ、あれは何の事を言って……?
[次々と浮かぶ疑問を、確認するように唇に乗せる。]
[名を呼ばれ、彼は薄く、今にも剥がれそうに脆い微笑を浮かべる。
迎え入れるように腕を広げ、夜の底に沈んだ町を背に立つ。]
──ハーヴェイ。
よく来たな。
[こめかみがズキズキと痛み出した。
まるで病がぶり返したかのように身体全体が熱を持っている。
気だるさでなく何処か高揚感を伴った熱さ───。]
気にしすぎ…かもしれない……。
普段ならこんな事くらいで動揺したりはしないのに…。
[些細な事に敏感になり過ぎていると感じる。
無用な関連付けで自分を追い詰めている。]
きっとそうだ……まだ疲れてるだけ。
色々な事があり過ぎて…落ち着かないだけ。
[広げられた腕に戸惑いもなく、吸い込まれるように近づき、虚ろな微笑を向ける]
来た……
[自分を散々苦しめていた彼の気配。しかし今は心地よさすら感じる。
ゆっくりと手を頬に滑らせながら]
…やっと…会えた……
[自分を宥めるような声音。
静寂の室内に暗示のように響く。]
ポーカーフェイスを思い出しなさい…ソフィー。
秘密は、永遠に秘密のまま。
もし何かを知っている人がいたとしても──、
知らない顔をしていればいい。
そうすればなかった事になる。
それが私達がここで生きて行く為の、術。
何時までもずっと……、二人きりで…。
ねぇ、そうでしょう……?
だから早く帰ってきて、お父さん……。
[呟いて瞳を閉じ、しばしの間、強引な眠りへと──。]
―自宅1階・リビング―
[彼にしては珍しく、部屋中を包むようにレコードの音を流していた。]
Cat's foot iron craw
(猫の忍び足 鉄の爪)
Neuro-surgeons scream for more
(神経外科医は手術を叫び続ける)
At paranoia's poison door
(パラノイアの危険な入口)
Twenty first century schizoid man.
(21世紀のスキッツォイド・マン)
[頭の中を支配せんとするようなホーンセクションの音。ギターの音が響き、ベース音は胸を叩く。
――音の洪水は彼を攻め立て、或いはリドルを投げ掛ける。]
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彼女の記憶は、2ヤードほどの頑丈な檻の中ではじまる。
他のトラックは不衛生な状態で複数の檻が混在していたが、彼女の檻はトラックの中でも、特別な一台に乗せられていた。二重の幕、表には当たり障りのない大道具。
検問等に引っ掛かっても不自然に見えないその仕掛けの所為で、彼女の檻の中は常に薄暗かった。
檻に捕えられてからどれほどの月日が経過していたのか、彼女は昼夜の区別を忘れはじめていた。彼女は日に当たる事の無い彼女の肌は病的に白かった。
衣装は気紛れにドレスが与えられる事があれば、襤褸のままの時も、着ない方がマシだと言いたくなるようなきわどく卑猥な衣装の時もあった。共通しているのは、細い首と手足に繋がれた金属の拘束具。首輪に繋がれたチェーンは、常に檻に留められ厳重に錠が掛けられていた。
鉄道移動が廃れ、トラック移動が主要になってからのサーカスは、田舎の興行を止め、都会のみで大規模な巡業をするものが主流だった。そのトラックの一軍が──とある山間の小さな田舎町を通過したのは、給油とタイヤの修理の都合に過ぎなかっただろう。
[私はトラックが最初に停車した鬱蒼とした森の傍を通るうねる一本道に見覚えがある事に気が付いた。
それは、いつもパパの車の助手席で見ている、ごく親しんだ風景。]
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けばけばしい極彩色のテントの内側。
檻の覆いが取り去られ、ショーがはじまる。単純で俗悪なショーだ。
その日の彼女の餌は珍しく、人間の子どもだった。
大抵は「人間の肉」と称された牛や馬、時に犬の屍骸(すべて何処かの民家から攫って来たもの)だったので、彼女は幼い頃、自分が人間だった時代に祖母から習った歌いながら食事をしていた。その町につく前に迷い込んだ都会出身の浮浪者の子ども。人肉が彼女の餌として「その町」で出された事は偶然にすぎなかったのだが。
彼女は食事の時間、目の前に好奇心を剥き出しにした客が居る事には、すでに慣れきっていた。客が罵声を浴びせようと、笑い声をあげて自分を指差そうと、何も感じなくなっていた。食事中に目の前で吐瀉物を撒かれるのと、甘ったるいコークをぶつけられるのだけは、あまり好ましくはなかったけれど。
[歩み寄ってきたハーヴェイを腕の中に抱き取り、その瞳を見詰める。
頬に滑る手の触れるがままに任せ、彼の求めるものが確かにそこに居ると理解できるのを待つように。]
At paranoia's poison door―――
[男は、黙って口許を歪めた。
その目には、澄んだ色の光が宿る。]
ああ……………
「死」の官能が、そこに………!
[目の前には何も無い。
否、彼にしか見えぬ何かが在った。
――「後戻りはできない」。
ギルバートの金色の光が、彼の脳裏に蘇る。]
………もちろん。
望む、ところだ………
[車のキィを手にし、外に出る。]
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弓張り月がやけにくっきりと浮かんだその夜に現れた3人組の客は、今までの客と様相が違っていた。まず、一人の男が彼女が口に銜えた人肉を指差す。すでに断片であるそれを、彼には一目見ただけで人肉だと分かったらしい。
そして、横に見世物小屋の主人が居るにも関わらず、彼は彼女にしか聞こえない声で囁いたと言う。
「私は話す以外の能力は何も無いが、君が何者か分かる。この町の人間は皆、私と似たり寄ったりだ。君の味方になるよ。明日の夜、必ず助けに来る…──。」
じっと檻を見つめたままの男に勘違いをした主人が「檻に入ってあの娘を好きにしていただいても宜しいんですよ、旦那様方」と3人組に意味ありげに耳打ちをする。男は黙って見世物小屋の主人から一歩距離を取り、“Lycanthrope”とおどろおどろしい文字で書かれた札を指で軽くはじいて、出て行った。
[私は石壁に映った長い金髪の彼女が、檻の外へと揺れる大きな青い瞳を向ける姿を見つめる。安っぽい赤いドレスを着た彼女は、珍しく動揺を見せていた。]
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次に私が見た場面は、燃えるトラックの群れと動物が焼かれ泣き叫ぶ声が印象的な夜の場面。先刻、彼女の檻の前に現れた男達と他数人の者が、トラックの持ち主達を屠殺用の刃物と銃で殺し、バラした物をその焔の中へ投げ込んでいた。
彼女はその光景を、彼女に話し掛けた男の首に縋るようにして抱きかかえられながら無言で見つめていた。檻の中での生活が長過ぎた彼女は、足の肉が削げ落ち歩く事が出来なかった。男は言う。
「私は人狼の血を引く者が暮らすこの町で、墓守をしている。新鮮な人肉を君に与える事は出来ないが、死人が出た時、安置所に納めた後から君に少し分ける事は出来ると思う。平穏が欲しくは無いか──」
自らを積んで来たトラックが、檻だけを残して完全に焼け落ちる様子から目を逸らすことなく、彼女は彼に頷いた。
[ヘイヴンを囲う深い森の奥から、遠吠え(>>150)が聞こえる…──。
音は無いのだけれど、私はそれが声である事が理解出来た。
私の血を引いた子ども達の子孫もまだヘイヴンに居るのよ…。
と言う言葉を残して、何時の間にか彼女が見せるヴィジョンは終っていた。結末が暗澹たるものではなかったことに、私は安堵の息を漏らす。
ああそれにしても、旅人が<彼>がこの町に来ているのだ。
<彼>──…ギルバート・ブレイクが、平凡な田舎町だったはずのヘイヴンに厄災を齎した張本人なのだと、私は知る。私が誰かに刺された事も、私が人間として死亡する直前に人狼として目覚め、仮死状態でこの安置所に運ばれ、リックを喰らい、女性の骨の見せるヴィジョンでヘイヴンの知られざる過去を知った事も、すべて──彼が引き起こした出来事なのだと。]
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