![]() | 書生 ハーヴェイ 半四郎の表情を終始つらぬいているのは、この仮面の原理である。仮面はデザインされたものであって、人間の感情の動きによって筋肉を自由に動かすことはできない。仮面には仮面の法則があり、その法則によるほかはない。その法則こそが歌舞伎の美の原理なのであって、その原理に背いてリアルに笑ったりすることは女形たちには許されていないのである。(中略) この話は、八代目半四郎の泣くと笑うように見えたという話と照応している。問題はそれでも、そういう欠点があっても、五代目半四郎のようにあるいは八代目半四郎のように名優になれたということである。泣くときには袖やあるいは小道具(泣き紙というものすら発明された)で顔をかくせばすんだからであり、そうすることが女の慎ましさを表現するために必要だと思われていたからである。彼等女形たちは、仮面で充分であり、顔の筋肉を動かして表情を表現する必要は少しもなかった。彼等が笑いを必要としなかったのは、ひとつはあきらかに笑う必要がなかったからであり、笑いの自然な筋肉の動きが仮面の原理の中では消化されにくかったからである。 |
(1171)2005/12/12 22:11:15 |
![]() | 書生 ハーヴェイ 抜粋終了。これだけで83pt使えました。引用万歳。 私は動物行動学者のようにではなく、社会学者の発想を取る人間ですから、女性は女性らしさを演じることによって女性になるのだ、と理解します。 下着や化粧品、生理の痛みや不便さを知っていることは、リアルな女性を演じる役には立つかもしれません。しかし、それは演じられた女性が、「魅力的な女性」であることを保証しません。 異性に抱いていた期待が、実際の異性と関係を持つと幻滅の原因となることでも明らかなように、「女性らしさ」は実際の女性とは別の存在だからです。 魅力的な女性を演じる上で、リアルな女性に対する知識は、場合によってはマイナスにさえ作用します。だから、リアルな女性について完全に知ることのない男性が演じる方が、型としての女性を美しく演じるのに向いているのではないか、と私は考えるのです。 もちろん、リアルであり、かつ魅力的な女性、という演技も存在しうるでしょう。リアルでない魅力的な女性よりも難易度の高い課題でしょうけれども。 |
(1172)2005/12/12 22:11:49 |
![]() | 書生 ハーヴェイ ふむ。では伯爵さまに却下された、昨日読んだつまらない本の話でもしましょう。 それは新刊で出たばかりの、翻訳ものファンタジー三部作の三部目でした。けなす話になりますから、タイトルは伏せておきましょう。 まず、長さがいけません。文庫本で一部が上下巻になっていますから、三部通すと六巻。これが長すぎます。産地を問わず、なぜか小説は分厚くなる傾向が続いていますが、分厚くなることで幸福を感じられるだけの作家は、実は少ないのです。 その上SFやファンタジーの世界では、最近三部作が流行で、とにかく一つのネタを引っ張ろうとしますが、簡潔に終わらせるということを忘れ去って、悠長な心理描写で文章を水増ししただけのものが多いように見えて、残念です。 新人作家の三部作ものや、長編シリーズだと、最初だけはかなりいいものであることが多く、ついついその後も買ってしまうのですが、たいていは買ってから後悔します。 一部めで、さっさと終わらせておいてくれれば、いい思い出が残ったはずなのに。まあ、その三倍買っているのですから、売る側から見れば正しい行動なのかもしれませんが。 |
(1193)2005/12/12 23:24:00 |