自警団長 アーヴァイン
ふむ……まだ集まっていないようだな。 今のうちに、もう一度見回りに行ってくるとしよう。
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文学少女 セシリア 会話が対話であることを保障するのは何だろうか。 『独り言も囁きも呻きもなく……』 それならば、その場にあるのは対話だけだと、信じられるだろうか。 たとえば今私が読んでいる、この本。『人狼審問β1 1422』の登場人物たちみたいに。 でも<div id="monoX">や<div id="mesX">の裏付けがない世界では、かえって人々は孤立しているようにも思える。この十一人の登場人物が発している言葉は、それぞれ別の記録から適当に抜粋してきたもので、組み合わさって会話が成立しているように見えるのはただの偶然じゃないだろうか。 そうじゃなければ、登場人物それぞれは全然違う文章を読みながら、独り言を言っているだけじゃないだろうか。 ちょうど、私みたいに。 | |
(79)2006/05/07 02:10:01 |
見習い看護婦 ニーナ 確かに相手がどのように認識しているかを判断するのはあくまでも私自身の自我による認識ですから。 これが発展すると唯我論(そんな括りがあるかどうかは知りませんけれど)ですよね。 世界は私が認識するから存在し、私の意識が消滅する時に消え去る。 でも、そもそも自我を認識しているという自我自体、それは精神的にも肉体的にも自他を区別することから始まるので、他者(精心的・物理的ともに)の存在しない自我は果たして存在するのでしょうか? それとも全てが自我の内部における想像によるものなのでしょうか? 果たして私自身を滅した時に世界は終るのでしょうか。しかし、これを観察するには観察者自信が消滅するという矛盾が生じます。つまりそのようなことを観察することが不可能なのです。 しかし、ただ一人マッドサイエンティストにしてキチガイ博士、マッドドクターの名を欲しいままにするウチの先生ならこの問題を快刀乱麻の如く解決してくれる筈です。 先生〜、早く帰ってきてくださいよ〜。 うん、そうかもしれないわね、って。 | |
(85)2006/05/07 04:25:18 |
文学少女 セシリア 平行植物とは何か? 学術上、La botanica parallelaと称される、今なお解明されざる奇妙な植物群の総称である。 便宜上、「植物群」と称されているものの、植物であるかどうかの議論も未だ尽くされた訳ではない。 これらが植物であるという認識が我々にとっての精一杯である事も事実であり、観測者によってはまったく別のものに見えてもおかしくは無い。ただ、植物らしい外観をもってのみ、それらを「ことば」へ還元できると言えよう。 フランコ・ルッソーリにより命名された平行植物学の「平行」とは、この植物が持つ普遍の異質性を指した思惟深い名称である。 平行植物は総じて、特有の「平行色(可視上は黒色)」、人の知覚が通用しない「非実体性」、この世界の物理法則を無視した「超現実性」を備える。 我々の知覚で認識できる世界に接し、また、その姿を現すものの決して交わる事の無い「塀の向こう側」にある存在ともいえ、それらの状態を示すことがすなわち平行化現象に移行するという事であるとも言える。 | |
(91)2006/05/07 10:57:47 |